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エッセイ

ろっぴゃくえんが払えない

掲載日:2026/06/21

 やらかしました


「六百六十円です」


「ベッソペソで払えますよね?」


 医者に行った。

 口唇ヘルペスが痛すぎたからだった。


 医院での会計は何も問題なく支払いが出来た。


「申し訳ありません、こちらミーオンの中の薬局でして……、ベッソペソ決済は……」


 詰んだ。

 詰みました。


 受け取った処方薬が鞄の中で既に膨らみをみせていたというのに。


「……え、払え……ない……?」

「あの、カードは」

「出向中の夫に生金(なまがね)関係は全て任せていて……、銀行のカードも日本一暑い場所にあります……、クレジットカードは今年やめました……」

「あ、お友達にライソで送金を」

「いません、友人は一人もおりません」


 なんならライソもよく解らない。

 ライソでPRコードを読み取れ、って言われても暫くフリーズする完璧な古式ゆかしい私。


 ベッソペソは、『私はよく病気で寝込むのでネットスーパーの決済に使うから必要だ』、と夫にプレゼンして許容された。


 わたしはさんすうが絶望的に出来ない。

 (地理も出来ない)

 

 金銭感覚がおとついの方角に飛んでいっているので、すべての生金を夫に任せているのだ。

  

 あいつは数学が出来る(高校で3年間同級生だった、文系の皮をかぶった理系ケイ元卓球部部長だ)。


 洋品店の社長令息だ。

 あいつの一族はヂモトを支配している。


 筋金入りのゴレイソクだ。

 

 いちいちウニクロの店で自分が売っているのでもない商品をご丁寧に折り目ただしく畳み直して並べ始めるような御令息だ。


 くそ、お育ちが良いやつめ。

 なんでオマエが文系にいたんだ。


 すげー美少年だった。

 マッハで戀に落ちた。


 大学三年の時に口説き落としてやった。

 無理矢理こっちに振り向かせた。

 長いこと交際した。

 もう逃さない。

 浮気したら焼き討ちだ。


 あやつめ、高校当時の私の友人などをハタチで好きになりおって。


 それだから、私はあやつが振られたところにデルンと漬け込んだんだ。 

 

 男子寮にも夜に忍び込んだ。


 あ、そんな事は関係がなかったや……。


「ろっぴゃくえんが有りません」


 判りきっていたけれど、財布を開いて確認した。


 ギリギリ三百円ぐらいありそう? だった。


 やべぇ。やっちまった。

 熱があるのに一人で外出して医師に診て貰った意味がなくなった。


「……」

「……」


 沈黙。

 薬剤師のお姉さんと私との間に静かな湿度が数滴、たらされた。


「あー、えっと」

「あ、いちおう、他の者にも確認をとってきます」


 ごめん。薬剤師さん、ごめん。

 ちゃんとした大人をまた困らせてしまった。


 やらかした。やべぇ。


 薬剤師さんは私のいる処方薬の受け取り窓口から、透明なガラスを隔てた奥の作業スペースに引っ込んで、何事かを同じ職場の人間に相談してから、またおそるおそると私の方に戻って来てくださった。


「あの……、やっぱり、ダメ……、みたいです」


 そうよな。そりゃあ、そうなのよな。


「あ、処方箋の受付って3日間でしたっけ、4日でしたっけ……?」

「えーっと、よん……、いえ、お客様の処方箋は既に受理されておりまして、薬も出ておりますので、あとはいつでも取りにおいでくだされば……」


 あ、処方箋の限定期間、この場合適用されないのか。でも、でも、なぁ……。


「次に……、いつ出歩けるか……、あと、夫、3日4日帰らないので、しかも……、ヘルペスだと……」

「……はい」

 

 口唇ヘルペスがMAXイタイのは、今だ。

 熱があって、解熱鎮痛剤が必用なのも、NOWだ。


 いちばん辛いのが、今なのだ。


 そう、ヘルペスのウィルス検査の結果は陰性だった。

 陰性だと、急を要さない……、というかウィルスをころすような薬は出して貰えない。


 唇の保湿剤と鎮痛剤がいいところなのだ。


 ほんで、ヘルペスは1週間ぐらいで治るものと世間一般では言われている。


 私が治るのが2週間ぐらいかかっても、お医者さま方の協定が決められたことは動かしがたい。


「……えっと、じゃあ、わたし、帰ってしまっても……?」


 ろっぴゃくえんがないのだ。

 払えないなら薬は貰えない。


「あ、まっ、えぇと、処方薬を既にお渡ししておりますので、あの」


 やべぇ。忘れてた。

 このまんま帰っちゃったら窃盗になっちまわぁ。


「ごめんなさい! 万引きするところでした!!」


 急いで自分の鞄から、私用に処方され受け取って、鞄にしまっていた薬物たちを取り出して、薬剤師さんに御返しした。


「あの、いつでも、また」

「あ、えーと、あの」


 クスリを処方するにも手間暇お金がかかる。

 私はモロモロ泥棒していた。


 幸いだったのは、薬局の利用者が私一人だったことだけだった。


 ウィルス検査と初診で二千円以上払ったのに……、薬局のクスリが買えないとは……。


 わたしのスットコドッコイ。

 パカパカパカ、わたしのパカ。


「本当に申し訳の次第もない……お手数とご迷惑をお掛けしました……」

「あ、あの、本当にいつでも」

「……いやぁ……あいすみません……」


 私は愛犬の待っている家へげっそりしながら帰っていった。


 もちろん愛犬は迎えに出ては来てくれなかった。

 




 

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