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〈帝都〉からの乗客を下ろし、代わりに地上に降りる乗客を受け入れると、連絡船(シャトル)気密船舷橋(ブリッジ)を〈アリーズ〉から切り離して収納。いったん距離を取ってから地上へと降下を開始する。

〈帝都〉周辺のあちこちの停泊所(ステーション)からやってくる何隻もの連絡船(シャトル)を、こうやって朝からさばいていた〈アリーズ〉は、最後の連絡船(シャトル)を見送ると、急速に黄昏へと染まりつつある茜色の空へとゆっくりと上昇してゆく。

〈アリーズ〉はこのまま高度一万二千まで到達すると、そこに流れる西向きの高速(ジェット)気流に乗って、一気に加速を開始するのだ。

「絶景、の一言に尽きますな」

 一等船室の壁面一面を覆う分厚い気密ガラス越しに、茜色に染まる雲の絨毯を眼下に眺めつつ、少佐は背後を振り返った。

「いかがです、博士。めったに見られる景色ではありませんよ。ああ、お隣のお嬢さんもお呼びしましょうか」

 子供には聞かせづらい生臭い話になる、と少女を隣の寝室に追い出したのは少佐の方である。理由は必ずしもそれだけではなかったが。まぁ、何となくやりづらかった、と表現すれば概ね嘘ではない。

 ソファーに腰を下ろしたまま、博士は憮然と告げた。

「……君は技官ではないな」

「お判りですか」

「彼等も大概ずうずうしい連中だが、君ほどではない」

 少佐は肩をすくめると、テーブルを挟んで博士の正面の席に腰を下ろした。軍曹は何も言わずに、腰に手を当ててドアのそばに立っている。

「お気づきの通り、技研の所属というのは偽装(カバー)です。我々の本来の所属は、陸軍参謀本部特務第6課となります」

「スパイか……」

「近頃では諜報(インテリジェンス)と呼ばれています」

「呼び名を変えたところで、本質は変わらん」

「ごもっとも」少佐は頷き、さらりと話題を変えた。

「ところで、レムサスでの亡命ですが、あれ、ダメになりましたよ」

「………………っ!」

 博士の表情から一気に血の気が失せる。膝の上の拳を強く握り締め、動揺を必死で抑えようとするその姿は見事なものだったが、ここで手を緩める気はない。

「市内の〈同盟〉系スパイ組織が一斉摘発を受けましてね。武官もひとり、『好ましからざる人物ペルソナ・ノングラータ』として追放されました」

「………………」

「かわいそうに。貴方がこんな時期に亡命なんて余計な事を考えるから、こんなことになる。ああいう微妙な土地で組織を作るのは大変なんです。私も以前、北の国境線の向こうでしばらくその手の仕事に嵌まってたことがありましてね。いや、もう、これがどいつもこいつも本当に身勝手な連中ばかりで──」

「長いのかね、その話は?」

「いえ」少佐はあっさりと話を元に戻した。

「しかし、わが〈帝国〉が誇る機械生体学の祖にして泰斗たる博士が亡命をお考えとは……。いや、正直、残念です。

 実は私も大戦中の戦傷で右腕を機人化してまして」

 少佐は白手袋をはめた右手を軽く掲げて見せた。

「博士の開発された技術のおかげで、こうして支障なくお国の務めを果たせている。常日頃から、機人技術を開発された方々には感謝の念を絶やしたことはない。本当ですよ。

 とは言え、博士が逃げ出したくなるお気持ちも理解できなくもない」

「………………」

「グエン・キ参謀総長が今年になって二度目の入院──病名は公表されてませんが、たぶん心臓でしょう。軍内外の抵抗勢力を捻じ伏せて〈同盟〉との停戦にこぎつけた、あの生ける伝説みたいな爺さまも寿命には勝てないってことです。

 まぁ、斬った張ったが当たり前のこの稼業で、80過ぎの死ぬ間際まで現役なんですからご本人としては本望でしょう。ですが、残された側としてはその後のことを考えなくちゃならない」

 元より建国以来、連面と続く数々の戦争によって国勢を伸長してきた〈帝国〉では、伝統的に軍の権勢が強い。戦争により国力を育くみ、戦争により富の再配分を行い、戦争への貢献をその公平さの基盤としてきた──それが〈帝国〉なのだ。

 そもそも近代産業社会にとって、徴兵制下の軍隊は強力な産業教育機関でもある。その支持層は貴族から市井の労働者まで、社会各層深くに及ぶ。議会も元軍人や軍関係の企業に支援された議員が多数を占めるため、軍の意向に反するような議案はまず否決される。

 また〈帝国〉は大陸国家であるだけに、その軍内でもとりわけ陸軍の発言力が強く、陸海空の三軍を束ねる大本営統合参謀長の職は陸軍参謀総長が兼務することとなっている。

 議会より選出される首相の権限は政務の補弼に限定されるし、皇帝への唯一の作戦奏上権者でもある。俗世の権力に限れば、事実上、〈帝国〉の最高権力者といって過言ではない。

 つまり2億の帝国臣民、1,000万の軍人軍属、500万の陸軍将兵を統べる人物が、もう間もなく変わろうとしているのだ。

「そこで、博士にはお話をお伺いしたいわけですよ、私達としては」

 少佐はにやりと笑って告げた。

「終戦の年、西方辺境領内に設けられたある研究施設が、爆発事故を起こして壊滅した。〈帝国〉でも最優秀の機械生体工学の研究者が揃っていた研究施設が、跡形もなく吹っ飛んで生存者はなし──たまたま〈帝都〉に出張中だった所長のあなたを除いて」

「………………」

「機人の研究をしていたはずの研究所で、何でそんな『爆発』が起きたのか。義手にボイラーつける実験でもやってたんですかね──しかし、まぁ、いいでしょう。私たちが興味があるのは、そっちじゃない。

 私たちが関心を持っているのは、研究所を巡る金の流れの方です。

 完全に機械化された10箇師団──1箇軍を会戦1~2回分の兵糧弾薬つきで新設しておつりがくる予算が、この爆発事故を境にきれいさっぱり消えてなくなっている。何ですか、これ? 機人開発には金が掛かるとはいえ、所詮は義手や義足の開発だ。こんなに金が掛かるわけがない。

 参謀総長の肝煎りで、当初より軍の機人政策のブレーンを長く務め、機人技術を巡る軍産官学の協力体制を確立させた貴方なら、何かご存知なのではありませんか?」

「………………」

 しばしの沈黙の後、博士は逆に訊ねた。

「……ならば、君は何に使われたと思うのだね?」

「停戦工作の裏金」少佐はずけりと言ってのけた。

「〈帝国〉も〈同盟〉も、いずれもこのまま戦争を続ける体力は残ってなかったにせよ、落としどころをどうするかにはそれぞれ言い分はあった。そこをうまく丸めるのに、現金(ゲンナマ)が派手に飛び交っていた──と、聞いてます。

 まぁ、その頃、私は前線でライフル抱えて砂まみれになってたので、この目でじかに目にしたわけではありませんが。

 何にせよ、停戦工作なんて、表にできない金がいくらあっても足りるはずがない。

 と、同時にその金の流れは、参謀総長の戦後の権力構造の仕組みとそのままリンクしていることも間違いない。それを押さえられるかどうかで、次期参謀総長の席を巡るレースの行方も違ってくる。

 特務第6ウチだけじゃありません。あちこちに隠れていた有象無象の(やから)どもが、これを先途とばかりに動き出してます。

 レムサスでのスパイ網の摘発もたぶんその一環でしょう。いや、そもそも、〈同盟〉が危険を犯してあなたの亡命を強行しようとしたのも、機人技術絡みというより、次期参謀総長レースにコミットしようとしたのか、はたまた彼等にもよほど知られたくない話があるのか──」

 そこまで少佐が話したとき、ふいに鈴を転がすような笑い声が聞こえてきた。

「クロエ!」

「ごめんなさい、お爺さま」

 隣室にいたはずの少女が、小さく舌を出す。目許には笑いすぎて涙まで浮かんでおり、それをそっと指で拭いながらクロエは博士に謝った。

「いや博士、小さなお嬢さんからすれば、くだらない大人の事情でしかありませんからね。まったく笑われてもしょうがない──」

「ああ、ごめんなさい、少佐。そうじゃないの」猫のように瞳を細め、にっこりとクロエは微笑んで告げた。

「だって、何も判ってないんですもの、貴方」

「……何も、ですか?」

「そう。何もかも」

 邪気のなさがかえって悪意を鋭くしているような表情で、クロエが頷く。

「クロエ!」博士が気色を変えて叱る。

「彼等を捲き込んではならん」

 捲き込む? ──何の話だ。

「もう手遅れよ。こんな場所まで、のこのこ首を突っ込んできてるんですもの」

「博士」少佐は眼前の老人を振り返って訊ねた。

「何の話です?」

「………………」

 博士はしばらく額を手で覆い、やがて苦くこぼすように口を開いた。

「……君らが考えているような話ではないのだ。研究所の件も、私の亡命も──いや、そもそも我々が『機人』を開発させられた理由自体……」

「開発させられた……? 『機人』の導入は、戦争で生じた兵力不足を補うために始められたのでは?」

「……違う。順番が逆だ」

「逆?」

 何を言い出す気だ、この老人は。

「『機人』を開発するために、戦争が始められたとでも?」

「考えてもみたまえ。戦争が本格化するまで、私たちは電子制御技術もそれを成立させるための精密加工技術も手にしていなかった。人口筋肉や人口皮膚に使う高分子ポリマー生成技術、神経電位を電気情報に置換するセンシング技術、筋肉の動きの制御に予測フィードバック理論が必要なことも知らなかったし、脳の意識レイヤーからの情報を出力(アウトプット)して外部機器(デバイス)と繋げるなぞ夢にも思わなかった。基礎理論すら、存在しなかったものも少なくない」

「それらの技術を確立するために、資本と人的リソースを集中させるお題目として『戦争』が利用された……まぁ、よく聞く話です。共和主義者が好んで口する陰謀論にありがちですね。しかしそんなものは、卵が先か、ニワトリが先かといった(たぐい)の議論で──」

「そんな次元の話をしているのではない」博士は少佐の台詞をさえぎって言った。

「言ったろう。基礎理論さえ存在しなかった、と。元の発想すら存在しなかったのに、確立もへったくれもあるまい」

 少佐は首を振った。

「よく判りませんね。天から技術(テクノロジー)が降ってきたとでもおっしゃりたいんですか?」

「そうだ──と言ったら、君は信じるかね?」

 じっとまっすぐに少佐を見据え、博士は告げた。

 嘘をついているような目ではない。自身の奉じる学問に身命を捧げた者のみの持つ、真摯で透徹した視線──つまり、真剣に頭の底からイカレてるということか。

 少佐は胸の裡で呻いた。

 功なり名を遂げたその身で、地位も名誉も投げ打って急に亡命など思い立つだけでも相当にイカレてるが、謀略史観どころか、こんなオカルトじみた話まで口にし始めるとは。まぁ、この業界、正気と狂気の境界線を踏み外す連中に事欠かないので別に珍しくもないが、確実に面倒事が増えることが予想され、気が滅入ってくる。

 その辺の感情が表情に出てしまったのか、博士の顔にも失望の(かげ)がさした。

「無理よ、お爺さま」冷ややかにクロエが告げる。

「こいつらは、自分の鼻先に見えるものだけが『現実』だと思い込んでる。そいつを後生大事にこね廻して、世界を理解したつもりでいるんだもの。

 しかも、それがどんなに間抜けで、どんなに幸せなことなのかも判ってない。

 だから、こんなところであんな抜けた話を恥ずかしげもなくできるのよ」

「……君、失礼だが──」

「わかった」博士は少佐のクロエへの問いを断ち切るかのように言った。

「わかった。君らの言う通りにしよう。私をどこへなりと連れて行って、好きなように利用したまえ」

「……よろしいのですか?」

「良いも悪いもあるまい」博士は重く疲労感をにじませながら言った。

「その代わり、せめてこの船を降りるまでは、我々を放っておいてくれ」

「いいでしょう。ただしどこで地上(おか)に降りるのかは、私達で決めさせていただきます。それと護衛として、この軍曹を残す。よろしいですね」

 博士が無言で頷く。

 それを確認すると、少佐はクロエの方へ目を向けた。

 踵を返して寝室に消えようとするクロエが、一瞬肩越しにこちらを見る。

 その明らかな侮蔑を含んだ視線は、どう考えても10歳の少女のものとは思えず、少佐は微かな困惑を覚えた。

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