不器用な芸術家
「月の、魔女?」
初めて聞いた言葉に、戸惑いが拭えない。
「本当かどうか分からないほど、昔からの言い伝えですけどね。少なくとも私が生きてきた800年、一度たりともそのような人物に会えたことがありません……今日までは」
デビトさんは振り返り、私に顔を向ける。
「気になるようであれば、明日書庫に訪ねてみてばいかがでしょうか。先紹介したセロを呼び出せば、案内してくれますよ」
「魔王様の傍にいなくてもいいですか?」
魔王様は勝手に離れるなといった。
なら私は、彼といるべきでしょうか。
デビトさんの話によると、力が強いほど、嗜虐心が強い。
魔族の王である彼こそ、一番辛いじゃないかな。
「そうですね。彼に聞いてみてください。多分、あなたの行動を制限しないと思います」
「……そうします」
「もう夜が深い。人間が眠る時間です。部屋まで送りましょう」
私はデビトさんに付き添ってもらいながら、部屋に戻った。
「では、よい夜を」
デビトさんが立ち去り、私はベッドに近づける。
枕、布団、シーツ。
一通り広げて、チェックしていく。
何もないと確認してから、ベッドに横たわる。
今日は疲れた。
ステラが散歩に誘ってくれて、毒を飲んで、私が犯人として処刑されて、そして魔王様に合って……
(ステラは、大丈夫だったかな)
重くなっていく瞼に耐えきれず、眠りの中に沈んでいった。
次の日。
私は一番に魔王様を探しに行った。
朝食の時間かと思って、食堂に行ったのだけど、どうやら魔族にとって、食事は必須ではないらしい。
だから人間が必要な分量が分からないらしく、テーブルは食べ物で埋め尽くされていた。
流石に1人で全部食べるのは無理だったから、必要の分だけ食べて、他は後で食べるか、用意してくれた魔族達に分けた。
彼らは人間の食べ物が大好きだったみたいで、とても喜んでいた。
次に昨日魔王様と話した謁見室に行ってみたけど、やっぱりいなかった。
(そういえばデビトさん、魔王様の部屋は私の隣だって言ってた)
そう考えて、部屋に戻ってみることにした。
扉を控えめにノックする。
返事がない。
魔王様はもう、ここにいないのかな。
次はどこで探すか考えていると――
「ここで何をしている」
後ろから、低く不快そうな声が聞こえた。
振り返ると、魔王様はそこに立っていた。
昨日座っていたから、わからなかったけど、魔王様は私より1回り大きく、それだけで威圧されてしまう。
「も、申し訳ありません」
部屋に入るのを邪魔したから不快にさせてしまったと思い、すぐ扉の前を退く。
しかし魔王様は部屋に入ろうとしない。
「貴様は、何をしていた」
「あの、魔王様に、会いたくて」
「用事は」
「えーと、勝手に離れるなって、言われたので」
魔王様から発せられている威圧に、体の震えが止まらない。
けど、これ以上不快にさせないように、私は頑張って答える。
そしたら彼は私の手を取り、握った。
これは昨晩、デビトさんが言っていた、“嗜虐心を抑える”ための接触なのだろうか。
少し、魔王様の威圧が収まっていた。
魔王様はどこからか、赤い宝石が飾られていたチョーカーを取り出した。
「これをつけてろ。必要な時はこれを使って呼ぶ。貴様も必要な時に呼べ」
私の長い髪を肩にかけ、彼は私の首にチョーカーをつけた。
「わかり、ました。あの」
「なんだ」
「書庫に行っても、いいですか」
「呼んだ時以外、好きにしろ」
用事はそれだけかと確認した後、魔王様はすぐどこかに去って行った。
私も記憶頼りに、書庫を探し始めた。
セロさんに案内してもらえると、デビトさんは言ってたけど、彼に迷惑をかけてしまうかもしれない。
何より、彼は私に仕えたくないかもしれない。
だから1人で、探り探りに魔王城を歩き回った。
昨日は行くところが多くて、書庫に入れなかったけど、位置はなんとなく覚えている。
(ここ……なのかな)
確信はないけど、扉の形は似ている……ような気がする。
正直どの扉も似たような形だけど、なんとなく……紋の形とか……きれいさ具合とか……。
びくびくしながら、扉を開けてみる。
中は薄暗いけどいろんなものが置かれている。
布に覆われていたマネキン、何かが書かれているキャンバス、途中まで作られていた小さな木の小屋。
それをもっとよく見たくて、部屋の灯りを灯し、キャンパスを覗き込む。
綺麗な星空の絵。
見ていて、つい引き込まれる。
それにマネキンが着ていたドレスも、色味が淡く、控え目だけど可憐さも備えている。
木の小屋も彫刻も、どれも目を奪われるほど美しい。
「魔女、様?」
うっかり作品達に見とれていると、後ろから気の弱い少年の声が聞こえた。
「あなたは……セロさん?」
そこに立っているのは、私のお世話役と呼ばれていた少年だった。
彼は私がここにいることに、驚きを隠せずにいた。
「魔女様、どうしてここに?」
彼はすぐ私の前に来て、作品を隠すように両手を広げた。
「書庫に行こうとしたら、ここにたどり着いてしまって」
「書庫なら僕が案内します」
彼は焦りながら、私を部屋から追い出そうとしたけど、私はどうしても、ここにある作品が気になった。
「ねえ、この作品達って、誰が作っているのですか?」
「えっと、これ、は」
「どれもとても素敵。特にその星空の絵!家にいた時でも、こんなに綺麗な絵を見たことないわ」
お城にいた頃は、とにかく目につかないように、人の少ない図書室や、コレクションルームに入り浸っていた。
だから、芸術品は誰より多く見ていた。
芸術を見ている時だけ、嫌いな自分を忘れられた。
私の密かな楽しみだった。
だからこの部屋を見て、心は踊らずにはいかなかった。
私の勢いに少し押されたのか、セロさんはか細い声で返事した。
「作ったのは、僕、です」
「あなたが?」
何を思ったのか、彼は益々顔を下に俯く。
そんな彼の手を取り、私は彼に迫った。
「他にもあるんですか?もっとみたいです!」
私より少し高い彼は、真っ直ぐ私を見て、目を見開く。
「他、ですか?」
ここではっと我に返る。
「ご、ごめんなさい!勝手に触ってしまって。いやでしたら見せなくてもかまいません」
私は後退って、彼の反応を待つ。
少し沈黙が続いた後、彼は部屋の奥にしまっていた他の絵を取り出した。
「一緒に、見ますか……?」
少し怯えたような表情をしていた。
でも、チラッと見ただけでも、彼の手にしている絵はとても素敵だとわかった。
「是非!」
この日の朝は、セロさんの絵をひたすら見ていた。
時々どういう意図で、どんな手法で絵を描いたとか、彼に質問を投げつけたけど、彼は丁寧に1つ1つ答えてくれた。
この日、私は人生初めて、芸術を一緒に語り合える友達ができた。




