一時のやすらぎ
デビトさんが、テオ様を書庫から連れ出した。
離れ際に、私へウィンクを送った。
私は呆然と、扉のほうを見た。
最近ずっとテオ様に付き添っていたから、まさか1人の時間ができるとは思わなかった。
(テオ様、大丈夫かしら)
表面こそいつも通り接してくれているけど、テオ様は最近いつも不安そうに見える。
思い出すは前日の出来事。
いつも通りテオ様に抱きしめられながら、添い寝している時。
私は一瞬のどが渇いてしまい、水を求めてベッドから降りようとした瞬間、テオ様が私の腰を強く抱きつく。
『……どこに行く?』
『のどが渇いたので、水を……。』
テオ様はすぐ身を起こし、私と厨房まで水を取りに行った。
以前なら、それくらいはテオ様は1人で行かせてくれたのに、今ではどこに行こうとしても付き添おうとする。
(所有物のくせに反発したから、不快にさせたのかしら)
レオードさんを殺そうとしたテオ様を止めてしまった。
頭では止めてはいけないって分かっているのに、体が勝手に動いてしまった。
今でも、どうすればよかったのかわからない。
いろいろ考えすぎて、夜はよく眠れていない。
レオードさんはテオ様がいない時間を見計らって、夜の時に部屋に来てくれていた。
私がよく眠れていないのを察して、狼の姿で添い寝しようとしてくれた。
テオ様に知られるのが怖くて、何より人型のレオードさんを知って、複雑な心情になるから、最初は断っていた。
でも彼はいつも狼の姿で耳と尻尾を垂れ下ろし、うるうるした目で見てくるから、断るのも心が痛む。
私は、狼さんに弱い。
結局私は押されるがまま、狼のレオードさんと一緒に寝ていた。
幸い彼は私が起きる前までには部屋から離れていたから、まだテオ様にばれていない。
それでも、彼は危ない綱を渡っているとわかる。
(いったい、どうすればいいのでしょう)
書庫でしばらく考え込んでいたら、セロくんとレオードさんが書庫に入ってきた。
「セロくん?レオードさん?どうしてここに?」
2人が一緒にいる時、セロくんはいつも傷つけられているから、思わず体が硬直する。
「セロくん、どこか傷つけられてない?」
「だ、大丈夫、です!」
セロくんはビックリしたように、体を大袈裟に弾ませながら、返事をした。
隣のレオードさんはどこかばつ悪そうにしていた。
「もうしねえよ……お前が怖がるだろ……」
か細く呟いた一言に、驚いてしまう。
でも一緒に過ごしてきた短い時間の中、レオードさんは一度も私を傷つけようとしなかった。
だから、その言葉を信じたい気持ちはある。
「それより、ディアナ様!」
ここで、セロくんが声を上げた。
「一緒に、気分転換に、行きませんか?」
セロくんの一言で、私達3人は、セロくんの作業室まで来た。
「実は、ディアナ様に見てもらいたい作品があったのですが……レオード様から、ディアナ様の気分が優れないのを聞いて、気が変わりました」
セロくんは大きなキャンバスを持って、部屋の中央に置いた。
「ディアナ様!絵を、描いてみません、か?」
セロくんは筆や絵の具を、私に差し出す。
「私が……絵を?」
「僕、気分転換と言ったら、それしか思いつかなくて……」
セロくんは作業室を見回しながら、語った。
「僕、魔族の中でも落ちこぼれなので、いつも他の魔族の発散相手にされてました。でも何かを作っている時は、痛いことも苦しいことも忘れられて……ディアナ様は、芸術がお好きなので、僕と同じなのかなって、少し思って……。」
彼はすぐはっとなる。
「も、申し訳ございません!勝手に一緒にして」
私は彼から、筆と絵の具を受け取る。
でも、不安はまだ消えない。
「私は、絵をちゃんと描いたことがなくて……きれいにできる自信がありません」
セロくんは、筆と絵の具を握っている私の手を、両手で包む。
「ディアナ様、芸術は自由なんです、きれいにできなくてもいいのです」
彼は珍しく、口角を微かに上げる。
「僕はディアナ様に作品を見て欲しいですが、同じくらいディアナ様がどんな作品を作るのか、見てみたいです」
真っ直ぐ伝えてくれた言葉に、目の奥がずーんとなる。
「絵じゃなくてもいいです。ここにはいろいろありますから。彫刻でも、服作りでも、粘土でも……ディアナ様の作品を、思うがままに作ってください」
私はいろんな芸術品を見てきたから、よくわかる。
芸術品は、作り手が見ている世界を作っている。
だから、セロくんの言葉に、臆病になる、同時にやってみたいと思ってしまう。
矛盾した心を抱え、私はセロくんの手から離れ、なんとなく衝動のまま、絵の具をキャンバスに乗せる。
「おい、軟弱者。俺の分は?」
「レオード様もやるのですか?筆の持ち方知ってますか?」
「なめんな!そんくらいできるわ!」
「ふーん。じゃこの粘土を適当にいじっててください」
「絵じゃねえのかよ。お前、こんな生意気な奴だったんだな」
「レオード様はもう少し落ち着いて行動してください。あなたのやらかして、こっちまで巻き添わないでください」
「下手に出してやったら、ずけずけと――」
「レオード様、作品作りの邪魔です。黙っててください」
横で口喧嘩をしているが面白く、思わず小さく吹き出す。
私が笑ったのを見て、セロくんとレオードさんは一瞬動きを止めた。
2人すぐ顔を赤らめて、目の前にあるものを使って、それぞれ何かを作り始めた。
どのくらい時間が経ったのだろうか。
いつの間にかキャンバスはいろんな色に満ちていた。
別に何かを描いていたわけではない、ただなんとなく色を乗せただけ。
それだけでも、完成された絵はなんとなくきれいに見えた。
今まで見たどの絵より、美しく見えた。
「ディアナ様の絵、いいですね」
いつの間にか隣に立っていたセロくんが、絵を覗き込む。
「ディアナ様、絵を描いてどうでしたか?」
「……作るって、楽しいのね」
色が増えていく度、自分から何かを生み出していると感じる。
その感覚が、とても気持ちいい。
「俺からしたら、ちょっともの足りないがな」
レオードさんは手を適当に絵の具に漬けて、そしてキャンバスに色を乗せた。
「ああ!レオード様、何を?!」
「こっちの方が、なんかいいだろう」
「ディアナ様の許可もなく――」
レオードさんの手形を乗せたキャンバスを見つめる。
そして私も、両手に絵の具を漬けて、キャンバスに乗せてみた。
「ディ、ディアナ様?」
「おおう」
3つの手形を見る。
なんかおかしく感じてしまい、笑い出す。
「あっははは――」
目尻から涙が溢れるくらい、笑ってしまった。
生まれて初めて、こんなに笑ったかもしれない。
「セロくん、あなたも手形をつけて」
隣で呆然としているセロくんに、声をかける。
彼が体を固くしていると、レオードさんが無理矢理彼の手に絵の具を漬け、キャンバスに乗せた。
「ああ!」
「いいんじゃねえか。ディアナもこう言っているんだし」
「もう……」
セロくんは最初こそ不服そうだけど、少しずつ楽しくなっていった。
私達はその後、いろんなところに手形をつけていった。
そして完成した絵は、作業室の1番目立つところに飾った。




