キバを抜かれた狼
《レオード目線》
「いや……いやあああああ」
目の前の女が突然悲鳴を上げ、そしてぷつりと、糸が切れたように動かなくなった。
「うん?おい――」
何勝手に倒れてんだ、と女を起こそうとした時、こいつが付けていたチョーカーから、眩しい光が放たれた。
そして女の前に、黒いモヤが現れた。
その中から、魔王の姿が出てきた。
「魔王――」
「駄犬」
その瞬間、体が重い何かに圧倒された。
まともに立つことさえできず、四つん這いになって地面に這いつくばる。
魔王はこっちに振り向く。
その怒りに満ちた目に、背筋が凍った。
「俺の所有物に何をした」
「くっ――」
答えようとしても、体が重すぎて、声を出す余裕すらない。
「なぜ俺の所有物が倒れている」
魔王が近づいてくる。
一歩近づく度に、重さが増していく。
「誰の許可を得て、俺の所有物に手を出している」
魔王の手が、俺の髪を掴み上げる。
「ま……おう……」
「魔王様、ディアナ様に大きな傷はありません。彼女を部屋に寝かせてから、その犬の処置を考えてはいかがですか」
後ろに立っている2番があの女を抱えながら、魔王に声をかける。
そこでやっと、体に押しかかる重さが消えた。
「駄犬、貴様は処罰部屋で待ってろ」
その言葉に、体は拒むことができず、処罰部屋に向かって歩き出した。
処罰部屋についてすぐ、魔王と2番が入ってきた。
俺の首はすぐ首輪を嵌められた、それと繋がっている鎖によって、魔王の手から逃れられなくなった。
そんなことをされたのは、契約前以来だ。
それほど俺は、魔王の機嫌を損ねてしまったのだ。
「ガルルルルルルルゥ」
「駄犬、貴様はいつの間に俺に唸れるほど、偉くなった」
生存本能により威嚇が止まらない。
魔王が一気に首輪を締め上げた。
「かはっ……ぐあ……」
「最近、貴様をほったらかしすぎだな。改めて躾してやろう」
そこから何時間、俺は休む暇もなく魔王に痛めつけられ、力の差を見せつけられた。
俺が全身創痍になって、地面に倒れ込んだのを見て、魔王はやっと動きを止めた。
「駄犬、今から貴様に命令する」
背中に刻み込まれた契約印、熱を帯びる。
「貴様は例の行事が開催されるまで、オオカミの姿でい続けろ」
俺の体から毛が生え、オオカミの姿に変わっていく。
そして魔王は俺の口に手を突っ込み、牙を抜き取った。
抗おうとも、体に力が残ってない。
「貴様は犬ころらしく、尻尾だけ振ってろ」
そう言って、魔王と2番はやっと、部屋から出た。
そうなるとは思わなかった。
久しぶりに魔王城に来て、暇つぶしに軟弱者を虐めてたら、あの女が出てきた。
見知らぬ女で、しかも人間ときた。
魔王城にいるということは、魔族の発散相手として、ここに置かれているのだろうと思った。
だから、あの女を味見してやろうと、触れた瞬間、心にあるはずの暴力衝動が跡形もなく消えた。
――なんだこれ、気持ち悪い。
すぐあの女から離れた。
あの女の歪んだ顔が見たいのに、触れられない。
なら他の方法を取ろう。
だからあの女が食べるはずのものを食い尽くした。
人にとって、食事は命に関わる。
あの女が怒るか泣きわめくかを期待した。
しかし、あの女は何ともないような表情を浮かべた。
挙句の果てに、感想を聞いてきやがった。
(何ともつまらねえ女だ)
次はなくしものをしたと言って、あの女に探させた。
言うまでもなく、あの女が愚かに存在しないものを探し回り、最後に愚弄されるところが見たかったからだ。
俺は高い場所に身を隠し、あの女の動向を見守った。
あの女は言われるがままに、庭のあっちこっちに行った。
たまに探す素振りも見せていた。
でも、あれは探すふりをしているだけだと、すぐ分かった。
あの女は知った上で、俺の茶番に付き合った。
(面白くねえ)
歪な顔を見て、スッキリしたいのに。
イライラだけが募っていく。
それを発散すべく、軟弱者をいじめることにした。
今度はやっと、あの女の泣き叫ぶ顔が見られた。
心が達成感に満ちていった。
そして俺は魔王の出現によって、自分は手を出してはいけない存在に、手を出してしまったことをようやく知った。
しばらく休んでから、俺は痛む身を起こした。
オオカミの姿に戻らされ、牙も抜かれてしまったが、鎖は繋がれていない。
俺は魔王城から出て、高い丘に駆け上った。
今日は月が雲に隠れて見えない。
最悪だ。
気分が悪い時こそ、月の下で吠えたいというのに。
魔王城を遠くから眺める。
3階の1つの部屋から、誰かが窓に近づいているのが見えた。
あの女だ。
どんな表情をしているのかはわからない。
けどこの暗闇の中、彼女の月のような目が、妙に輝いて見えた。
思わず魔王城に戻り、魔法を使って部屋の窓まで跳び上げる。
彼女は俺の姿に気づき、一瞬驚いたように体を弾んだ。
けどすぐ、彼女は窓を開けた。
「あなたが最近、近くで遠吠えしている狼さんなの」
彼女の目を真っ直ぐ見つめる。
ますます月に似ていると思った。
「狼さん、怪我しているの?」
そこでようやく、自分の体から、血がぽたぽたと流れ出していることに気づいた。
彼女は窓から少し身を避けた。
「入って、できるかどうか分からないけど、治療してみる」
俺は大人しく中に入った。
牙が抜かれ、体のあっちこっちが痛んで、暴れる気になれない。
部屋の中央に座り込む。
彼女は隣に来て、同じように座り込む。
「……触っていい?」
狼の姿では言葉を発せない。
俺は返事する代わりに、頭を地面に置いて、彼女に背を向けて寝転んだ。
彼女は最初こそびくびくしていたが、ゆっくり、優しく背中を撫でた。
触れられた傷口から、少しずつ痛みが引いているのかわかる。
彼女が背中を撫でる手付きがあまりにも優しく、疲れも相まって、少しずつ眠りに落ちていく。




