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書いてて楽しいお話 と 読んでて楽しいお話 の雑感

作者: KC

(前書き)

1万文字!? Σ( ̄∇ ̄;

長いの苦手な方は済みません…。


↓で区切られてます。

  ◇  ◇  ◇


全体論

 ↓

そもそも"書けない話"とは

 ↓

具体例(ラブコメでの失敗談)

 ↓

あらすじについて(余談)

 ↓

終わりに


という感じになっています。



書いてて楽しいお話。


読んでて楽しいお話。


これが完全一致していれば、どんなに良いことか。


でもそうはいかない。


悲しいことに、大体はズレてしまっている。


大体の作者はこれで悩む。





先ず、"楽しい" とはそもそも何だろう、ってとこ。


楽しいというのは、当たり前だけど、何かしら "欲求" が満たされること。


言い換えれば、求めたものに到達できること。


それは意識的じゃなく、無意識の欲求も当然あるかと思います。




なお私の場合、残念ながら "書いてる瞬間" って全然楽しくないです。


書くという行為自身、別に…というか、結構どうでも良くて。


まぁまぁ面白い作品を消費しているときを1くらい、


凄く面白い作品のときは2~3くらいとして、


書き出す前の、構想/妄想してるときが大体0.5~1.5くらい。


できたものを振り返って満足してるときが大体1~4くらい。


基本的に "書き出しているとき" は完全に虚無、又は辛い。苦行。


これって基本、消費者気質だからでしょう。




一応、でき上がっていく過程、積み上がってく数値を見るのは楽しいですよね。


ただそれって、"書いてて楽しい" って話? なのかなぁ。




あとスピード感の問題も。


私の場合は、


書くのは 500文字/時以下 (おっそ)、


読むのは1500文字/分前後 (はっや)。


少なくとも3*60=180倍以上の開きがあって、書いてる作品に対しては、


ものっそいスローモーションで再生されてるような感覚なんですよね。


約1/200のスピードで楽しめる作品なんて、普通ないですよ。


だから書いてて楽しいっていうお方の精神、凄く謎。


絶対消費してる方が楽で良い。




なお、書いてる瞬間が楽しくないというのは、


過去作の手直しも、新しい創作も、ある意味同列の作業になるということ。


むしろ、手直しの方がアイディアをひねり出さなくて良いので、快適、かな?


(直しても意味無さそうとか、思い入れの無い作品はやらないけど…)



人によって、一度書いたものの見直しが大嫌いという方が。


それはきっと事前の構想/妄想が凄く楽しく、


書き出すスピードも比較的速いからなのでしょう。きっと。


こうして考えると、私は "書いてて楽しい" の本質が


あまり理解できてないのかも。





今はそこまで厳密には考えず、事前だろうが事後だろうが、


色々ひっくるめて書いてて楽しいの意味、作者の欲求って何? と。



やはり完全に自由で、大好きなものだけひたすら詰め込めるから、かな?


正に、全知全能。


大好きなキャラ、大好きな関係性、大好きな展開、大好きな言葉。


それだけで埋め尽くせる。構成できちゃう。


嫌いな要素は、一切入れなくても大丈夫。


敢えてアクセントとして、ちょっと入れる行為もたまにはやってみたり。


すいかに塩みたいな。




結果として、世界中探しても、


ここまで完璧に自分好みにハマってくれる作品ないぞってくらいのができ上がる。


最高に大好きな内容になってる。


※技量・知識不足は、この際()いておくとして…。


将来書くとこも、全部想像通りになってくれる。←伏線




他には、言語化・外在化で明確になっていく、という点も楽しさの一つかな。


苦しい気持ちや消化しきれない曖昧な気持ちを吐き出し、文章にし、整理する。


それって多分、"(らく)" になりますよね。


→ 漢字的には "楽" しいで共通ってことで。


ノンフィクション系はこれが多いのかも。






次いで、読者側の "読んでて楽しい" 作品とは。




ところでまずは、マーケティングで超有名なお話。


「ドリルを買いにきた人が欲しいのは、ドリルではなく、"穴" である」


※レビット博士の「ドリルの穴」理論というらしい。



これを小説に置き換えてみると、


「読者が欲しいのは物語じゃなく、読んだ結果の"感情"(欲求の満たされ方)」


ってことなのでは?


※蛇足ながら私の1作目は、


 想定通りだったようで、そこは嬉しかったです。




また感情というのは、知識欲が満たされる感覚もそうでしょうし、


ホラーによる恐怖、凄惨なお話などで、逆に生きている今を実感するのもそう。




でも、人の欲求って本当に人それぞれ。


千差万別。




綺麗なものだけで構成されたお話が好きな人もいれば、


そういうのは現実とのギャップや、嘘くささで、逆に嫌って人もいる。


"現実との差" といった観点含め、


相反するものを好む/好まないケースなんて腐るほどある。




(比喩的な意味での)ファンタジー・ご都合主義が大好き vs 大嫌い 派とか。


ひたすらハッピーエンド至上主義 vs バッドの方が心に残るじゃん 派とか。


ホラー大嫌い と ホラー大好き 派。


がっつり長文(連載)が良い派、すっきり短編が良い派、などなど。




だから、100%好まれる、嫌われる作品って、実は存在しないのかも?


とても下らない、(つたな)い、詰まらない作品だったとしても、


そういうのを見て自尊心を保つ人だっているかもしれないし、


暴言や汚言も、自分の代わりに鬱憤発散してくれてると安心する人だっている。




逆に言えば、そういう良くない系の感情や悪趣味な願望って


実社会の中で満たしていくのは困難だから、実は根強い下支えがある。





だから極論として、読んでて楽しいお話というのは、


楽しんでくれる "読者のパイ" がどれだけあるのか、というだけのこと。


読者単体からすれば、そりゃ楽しいかどうかは0か1かもしれないけど。


作品/作者の側からすれば、刺さる人の規模の問題。


しかも作者を1読者に含めてしまうなら、


その作品が好きな人は、最低1人は必ずいる。





逆に "書いてて楽しい" かどうかって、完全に0か1の世界。


書いてる人は、たった1人(合作でも文章単位でいえば1人)なんですから。


シーン毎に細かく0か1が入れ替わるケースはありますけど。




だから、良くないのは、作品内で正反対の "良さ" を混ぜてしまうこと。


小難しい雰囲気と、お馬鹿な雰囲気。


小綺麗な雰囲気と、ニヒルな雰囲気。


※引き立てるため、敢えて作戦的に入れ込む場合を除く。


そういう極端なカオスっぷりを好む人は、まぁ少ないでしょう。




余談として。


それって作品内だけじゃなく、作者単位でもあり得る? のかも。


小汚いおちゃらけ/罵り系エッセイを乱発している中、


稀に綺麗な言葉や感情だけで綴られた物語をぽんと出されても…って感じ。


ある程度事前に理解してもらえてるケースなら大丈夫かもですけど、


両方見てしまった初見さんは、おそらく "なんだこれ" と辟易することでしょう。


少なくともその不整合さ・ギャップは、"読者の楽しみ" とはならず、


ただ許容(スルー)されるだけ。





……え、私??


確かに両方出してますけど、何か? (=v=)


でも基本はこうした超真面目系…なんですけど??


ふくし…の大学? に通ってるんですけど?? ※ネタです


人間 "一面(一属性)しかない" なんてことはあり得ないですし。仕方ないね。





だから、より多くの読者に楽しんで欲しいって考えたときは、


色んな観点の欲を満たせるよう、複数の要素を広く取り入れることが大事。多分。


その際あまりに手を広げすぎてしまい、正反対の良さを入れ込まないこと。


ある程度両立する要素だけに絞っておくこと。


これ、書いてると当たり前過ぎるんですけど、


色々悩みすぎると、段々方向性を見失ってきて、


やってしまいがちな気がする。





もちろん、知名度を上げて、そもそもの読み手のパイを広げる、


今の作品を "楽しんでくれる" 人に行き着くようにする、


肯定的な読者に当たる確率を増やしていく、というのも大事でしょう。


ただ、そもそも作品の受ける層がニッチで、相当探さないといけない場合、


宣伝効果は薄いかもしれない。


それに、自分に刺さらない作品を宣伝された読者は、うっとうしく感じてしまう。





一応自分自身への戒めですけど、素人作者って、


この辺りで常に迷走しまくってる。


そもそも将来的に受ける層がニッチなのに、


無駄に対象外に宣伝しまくって反感を買う、


クオリティなどが低い、足りないと勘違いして、


より自分好みに作品を先鋭化させる、とかをやってしまいがち。




後者なんて、自分好み=範囲が狭まる、自分にしか受けなくなるので、


読者(多種多様性)を広げる、という正反対の行為なのに、それに気付かない。


自分が許容できる範囲の、他人の好みを意識し、積極的に入れていく。


実はこれが重要なのでは? と思ってます。


まぁ素人考えですけど、似たような理論はよく聞くので、大体合ってるでしょう。





ちょっと、というか案の定、創作論的に話が逸れてきてしまいましたが、


要するに、書き手が楽しいかどうかはほぼゼロイチだけど、


読み手の "楽しい" は、読者によって千差万別。


とにかく誰かの欲求を満たして上げること。


そもそも読者は沢山いて、求めるものは様々。


人によって正反対も普通にありまくる、と。


ああ、なんて当たり前な結論…。




  ◇  ◇  ◇




ここから先は少し目線を変え、"書いてて楽しい" 以前に、


実はそもそも "書けない" 内容があるぞと気付いた観点から分析。





実は書き手にとって、絶対に書くことのできない内容って存在しますよね。


それは、 "書き手が知らないこと" 。


当たり前? はいそうです。




でも知らないのは、マニアックな分野の知識や詳細などは当然として、


実は "これから(未来)のお話" も、この世界で、誰一人書けないんですよね。





いやいやいやそんな事ないじゃん書けてるじゃんって思うかもしれませんけど。


書くことができてるのは、飽くまで未来の "想像図" 。


100%に近いところの予想的なことくらいはできるかもしれませんが、


飽くまで天気予報みたいなもの。


その人の主観であり、予想であり、不確定なもの。





それは架空の、創作の世界でも言えて、


作者の知らない未来、知らない展開って、実は絶対に書けない。




例えば推理小説で、真犯人を作者が知らないわけない。


つまり、作者は事前に次の展開が分かってしまっている。



頭で分かっていないと、そもそも文章にはできないですし。


分かるのが、書き出す直前のことも多々あるかもですが…。


少なくとも文章にする前には、分かってしまっている。


※ここ "伏線" の回収です。


 "全部想像通りになってくれる" ではなく、


 想像通りにしかならない、ということ。





よく、"キャラが次の展開を作ってくれた" とかいう話を聞きますけど、


結局それも、作者が無限の選択肢から、


その展開を脳内で選び出し、書き出しているだけ。


書き出している段階では、決定してしまっている。


未知なる事象ではない。




時々、作者は読者の求めているものが分からなくなってきて、


今後の展開をどうしたら良いだろうかって、"読者全体"に問い掛けてるとこ、


たまに見掛けますよね。(一部の読者にこっそり、じゃなくて)


あれ、気持ちは凄く分かりますけど、基本的には邪道も邪道。


本来はそれ、作者が決めなければならない責任で、


決めるのは作者だけの権利、裏を返せば義務でもある。





なんでそんな話をしているかというと、


実は "読んでて楽しい" 要素の中に、重要なものとして、


"知らなかったことを新しく知る" があるから。




それって "書いてて楽しい" の中には、絶対に存在しない。し得ない。


何故なら前述の通り、頭の中にないことは絶対に書き出せない。




でも、読んで知らない情報を得ることは沢山ある。


寧ろ何かを読むのは、知らない情報を得るためといっても良いくらい。




一般人が殆ど知らない、ニッチで深い業界知識などを知って


楽しいのもあるでしょうけど。




それ以外で、例えば、


この先誰かが裏切る、


実はこのとき、このキャラはこんな気持ちだった、


犯人はこの中の誰なのか、


主人公が恋人として誰を選択するのか、若しくは誰も選ばないのか。





作者は、そうした読者の知らない情報を使って、楽しませてあげるもの。


きっとこうなるだろうな、という読者の想像が当たること含め、


本来これこそが "読んでて楽しい"、 読者の欲求を満たす手段といえる。




確かに "変な展開にびっくりするのが嫌" で、


"自分好みの展開が良い/それしか受け入れたくない" って人もいるでしょう。




でも、先のことまで全部分かってしまっていたら、それは単なる復習。


普通は退屈で、わくわくしない。


改めて読む意味なんてない。


逆に作者の立場としては、文章にしたいシーンのことが、


事前に頭で分かっていないと、書けない。


だから作者は、"そのシーンを書いてびっくりする" 楽しみは得られない。


びっくりするとしても、それは書き出す前、妄想時点の話。




他にも、知らないことは書けないの反論で、


殺人したことない人が普通に殺人事件書けてるじゃん、


とかよく言われますけど。


それも、飽くまでこれまでの経験に照らして "想像 or 創造" する。


頭の中で結果を創り出してるだけですよね。←新しい伏線


実際経験したら、全然別物かもしれないですし。




もちろん、想像するパーツすらないものは、どう足掻いても書けませんけど。





大分、空中戦じみてきましたので、


この辺りで少し趣向を変えて、具体的なジャンルのお話(体験談・失敗談)へ。




  ◇  ◇  ◇




私はラブコメ好きです、消費する方として。


(元々小説は全然読まないので、ゲームやアニメなど他のメディアで)



でも、書く方の得意分野は、おそらくもの悲しいかっちり系。


あとはこういう理屈こねくり回し系かな。


何せ根がネガティブで真面目ですからね…うふふ (´¬`)


ホ…ホントだよ??





ただせっかく全知全能になれるなら、


世界一自分に合ってるラブコメも欲しいじゃないですか。


どっぷりハマれるやつ。




で、それをやって、病みかけました…。


※詳細は初エッセイに書いたので省略。




あと先日、丁度マイヨ先生がお便りコーナーの第235回で、


『ラブコメをみんな書こうぜ!』と発破を掛けていらっしゃったんですよね。




いやぁ、確かに書いたけどさぁ…めちゃしんどかったぜよ? (´;ω;`)


と思い、当時の辛かった心境をそのまま訴えてみたんですよね。


「何て(ごう)の深い示唆を…」的な長文で。


※以前エッセイに感想をいただけたので、気軽に送ってしまいました。




そしたら丁寧に返信をいただけまして。


"読んでる人を楽しませたいという気持ちが一番大事" と。


それはもう、感動しました。


目から鱗ぽろっぽろで。


辺りが鱗の海となりました。


流石は商業作家様だ! と。


他にも、


"リアリティよりも夢見るワクワクを"、


"そのためには妄想、ファンタジー上等"、


など色々刺さる点はあったのですが。





私はラブコメが好きだったので、


自身の作品の第一の読者・第一のファンになるべく書き始めました。


でもやっぱり気恥ずかしさだとか、経験不足だとか、


そういうところを気にしてしまい、色々と意識が定まっていませんでした。




そうやって自分自身が楽しめていなかったこともそうですけど、


それ以前に、恋愛の良さそのものを作品に求めてしまっていたような気が。


そのことに気付かされました。


恋愛の良さ、つまりドキドキ感の本質って、実は


"自分と相手が違うこと"、"未来が分からないこと" なんですよね。きっと。


※想像です。




"隠された相手の本心と、それにより将来が不確定なこと" に加え、


"手探りでお互いの不明瞭な部分を埋めていく" のがとても楽しい。


※想像です。




相手が自分の思い通りに動いてしまうのは、それって恋愛なの? と。


※想像です。


 "想像です" を連発してる理由……?


 おう、いい加減、察しろや(=_=#






つまり、"書いてて楽しい" ものどころか、


"決して書くことのできない" ものを暗に求めてしまっていた、と。


何故なら、書いている時点で、それは全て思い通りになっている。


全部頭で分かってしまっているもの。


全て想像しただけの、自身が創り出した虚栄。 ※新しい伏線の回収




だからラブコメは本来、作者的には片想い的な、


ある意味身勝手な精神として、


それらを直接満たすような形で書き進めなくちゃいけないんですよね。




ちょっと合っているか分からないのですが、


作者側はおそらく "恋愛をしている楽しさ" や


"知らない相手から求められているような楽しさ" ではなく、


"恋ばなをしている時" のような楽しさ、特に聞いている方じゃなく、


誰かに話して、自身の思いを噛み締めている時のような


そんな楽しさなんだろうな、と。




言い換えると、読者の楽しさは単純に


"美味しそう" → "美味しい!" だけど、


作者の楽しさは "美味しかった" の振り返り。


結果を食レポにまとめて、その食レポで


美味しさを反芻(はんすう)すること。


これって相当違いますよね…。




あとはその食レポが積み上がっていくのを見るのと、


他人の頭に同じ味をできるだけ再現すべく、


表現を創意工夫することも楽しいのかも。




私は前述のとおり、事前の構想/妄想がそこまで楽しくはなく、


創作に向いてない方だとばかり思っていました。


でもこうして "後でまとめる" のは結構好きな方なので、


結果として案外合っている? のかも。




事前の構想/妄想に全振りしてる人なら、別に書かなくたって良いですよね。


頭の中で好きなものを想像して、それで終わり。


忘れないように自分のためにメモる時間すらもったいないので、


新しい構想/妄想をし続ければ良い。




形に残す楽しさがあまりなく、誰にも伝わらないなら意味がないだろうって


考えてしまう人ほど、容易にエタらせてしまう。



私の場合、結果が形に残らないと詰まらないので、エタることはまずない。


形に残せた時点で大満足の自己満足、大勝利確定。


寧ろ考えただけで終わるのはもったいなくて仕方ない。


でも、そもそもの構想/妄想の熱がないので、


読者への訴求力とか、創作意欲はめちゃくちゃ低いですけど…。


理想はやっぱり両方あること、か。






また大分話が逸れましたので、そもそものラブコメ失敗談の続き。



当時は、書いてる本人がまず恋愛(ラブコメ)の良さで満たされたい欲がありました。


そしてその後、同じようなフィーリング・好みの読者も、満たされて欲しい。


そんな意識。


でもそれって、先の通り、何かおかしな状況なんですよね。


自分が満たされた結果を読者に伝えなくちゃいけない。




結局のところ、創作物における恋愛相手って、


自分の理想、即ち自分の別の側面的な浅はかさしかなくて。


他人の不確定さは絶対に介入できないものなんですよね。



スパダリとか、従順なヒロインとか、全部人間性が死んでる。


でも、それが良い! そんな理想が最高! ってならなくちゃいけなかったのに。


何だか当時は違うリアリティ、違う良さを求めてしまっていました。





どうなるか分からないドキドキなんて、相手の深い人間性なんて、


作者は自分自身の物語からは、絶対に、永遠に得られないんですよね…。


悲しいことに。



きっとこれで読者はドキドキしてくれるだろう、という想定の元、


話を一方的に(つむ)いでいかなくちゃいけない。


駆け引きだって、自分同士でポーカーしてるのを誰かに見せ付けるようなもの?


ポーカーの相手は、結局自分でしかない。


だから何だか、色々と迷走してしまっていた気がします。





少なくともラブコメに関していえば、


"自分が最初の読者でありファン" という視点はあまり持ってはいけなくて、


作者と読者は明確に一線が引かれるジャンル、というのが個人的な認識です。


せいぜい恋ばなで一緒になって盛り上がるとか、そういう良さ。


マイヨ先生の言葉は、そのことに、はたと気付かせてくれました。




それに、("ラブコメ書こう" だなんて)


「そんな風に言えるとは、きっと恋愛強者ですね(嫉妬)」


ということも書いたのですが、実はこれもめちゃくちゃ的外れで。


寧ろ恋愛知ってる人ほど、恋愛小説とかは別物だって分かってるはず。


トマト好きとトマトジュース好きが大体正反対になるのと一緒で、


現実恋愛の良さと、創作恋愛(特に書く側)の良さは全く違う。


※想像です。




ときめくような台詞も、


実は自分が選んでいるのを知っているから、どこか虚しい。


無理矢理相手に言わせているだけのような感覚に陥ってしまう。




でも、ラブコメ作りって、それで良いし、そこが良いんですよね。


片想いの時、相手が理想通りに反応してくれるのを想像する。


そんな幸せ。


反応してくれた結果を誰かに伝え、噛み締める。


そういう良さ。


これからどんな反応が返ってくるかドキドキするのは、読者だけの特権。


作者は、ドキドキしたのを思い返すような感覚。




そういうところが、色々と未経験過ぎて、変にリアリティを意識し過ぎて、


潜在的な気恥ずかしさもあって、


敢えて自分が真に求めているのとは少し違う展開・状況にしてみたり、


疑似的に意表を突かれた不確定な感覚(≒恋愛の良さ)を演出してみよう、とか。


無意識にそんな変なことばかり考えてしまっていたような気がします。





それじゃあ色々とブレてきちゃいますし、書いてる方も全然楽しくないですよね。


自分の求めている展開ではないんですから。


そうなってくると、多分読者も詰まらない。




"読者を楽しませる" (伝える) ことを直接 "書く楽しみ" にしないといけない。


自身が恋愛を楽しませてもらうのとは全然違う。


片想いの妄想が少しずつ実現していくような、


そんな展開が、ラブコメを書いている時の良さ、楽しさなんだろうな、と。





読んでいる方は、それが作者によって仕組まれたものであったとしても、


自分の中には存在しない、新しい情報、新しいキャラクターの反応だから、


普通に恋愛っぽい楽しさになる。



やきもきする状況も、作者は全部分かった上で、仕組んでしまえば良いんです。


全ては自分の "楽しい記憶" であり、それをただ引き出すだけ。





他の方の小説は滅多に読まないのですが、


マイヨ先生の作品が気になって、最初だけ軽く目を通させていただいたら、


実にサクサクと、読者を満たすことが起きていく。なんだか楽しい。


流石、ブレないな、と。


読者がワクワク、ぽわぽわするなら、どんなご都合展開だって(いと)わない。


そんな気概が感じられます。




マイヨ先生の好みとしては、おそらくストレスフリー系ですが、


じれったいような展開だったとしても、きっと同じことが言えると思います。


じらされたい欲は大なり小なり誰にでもあるはずですし、


その先にあるのは、大きなカタルシス。


自分自身の好きな、適度な "じらされ方" を思い出せば良い。


空腹は最高のスパイスって言いますし。





ラブコメ・恋愛系は、作者が読者と同等の楽しみを得るのではなく、


(作者好みのキャラや展開を一方的に押し付けて) 読者を楽しませる。


そんなジャンルの筆頭では、と改めて思いました。



当たり前かもですけど、マイヨ先生の一言は、それに気付かせてくれました。




これは犯人(≒将来)が作者には事前に分かってしまう推理小説なども同じで、


それなら書いてて "誰が犯人なんだろう" なんて


楽しもうとはしなかったはずですけど。


何故か恋愛物は "この先どうなるんだろう" という気分を


先ず書いている本人が楽しもうとしてしまったんですよね…。


今思えば、愚か極まりない。






あと、実はラブコメの "コメ(ディ)" の部分も似たことが言えるはずです。


頭で理解しきったギャグって、絶対面白くない。


※きっとこうくるぞ? → キター! は、


 面白そう → 面白い の欲求解消ですし、


 天丼とか鉄板とかそういうのとはまた別の話。




自分が笑うんじゃなく、笑わせにいく。


読者が笑ってくれる姿を想像し、一緒になって笑う。


そんな楽しさ。




あとギャグ系って真面目に突き詰めていくと、大体病みます。


そもそも楽しさを演技・演出するのは "感情労働" といわれ、精神負担大。


それに真面目に考え込むこと自身、ギャグの本質とは正反対。




両者(ラブ&コメ)と真っ向勝負して、色々失敗して分かったのは、


そんな当たり前なことでした。




  ◇  ◇  ◇




大変長いですが、最後に余談的な、あらすじについて。


私はあらすじを書くのがとても苦手です。




というのも、あらすじって本編の要約、本編への(うなが)しですよね。


改めて知らない人向けに、噛み砕いて説明する文章。


その "知らない人" に、作者本人は絶対に入っていない。


当然、作者にはもう全部が分かりきっていて、頭に入ってしまっている。


寧ろ自分が好きな部分ばかり詰め込んだ作品に対し、


そこから更に切り取って、言葉を厳選しなくてはならない。


(他作品へのレビューも、似た側面があるかも)




だから、おそらく本質的に作者が書いてて楽しいものではなく、


純粋に読者を楽しませるための文章で、


100%読者にだけ向けたメッセージ。





あらすじ書きたくない、あらすじなんて不要とか本気で思っている作者は、


あらすじなんて無くても分かってくれる、


読んでくれるという、


やや傲慢な意識が潜んでいるような気がして、あまり好きではありません。


潜在意識の中で読者のことを軽視しているといっても過言ではない。





実は私もそうした意識を裏で持ってしまっているのかもしれませんが、


一応頭では、とても重要だと考えています。




ただ、自身の趣味嗜好がニッチ過ぎるのと、


自分は自分の作品を好きだけど、他人にアピールできるほど良いものなの?


という疑問が強いです。


だって、自分と相手は違うし。


どういった要約が望まれているのか想像しづらく、


いつも答えのない禅問答のようになってきて、頭を抱えてしまいます。




読後に持って欲しい感情などは明確なのですが…、


それをいきなり明かすわけにはもちろん行かず。


(推理小説であらすじに犯人を書いてしまうくらい愚か)




他人の求めているものが、本質的に理解できてない。


だから、出し惜しみと、情報不足の境目が分からない。


他のどの層・どの属性に向けた作品なのか、


入り込み過ぎて、見えなくなってしまっている。


もしあらすじを楽しみながら書ける人がいたら、とても尊敬します。


鏡を見ないで自分のヘアカットをするようなものな気がします。




  ◇  ◇  ◇




終わりに。



書いてて楽しいお話と読んでて楽しいお話について、


ひたすら脳内の意識・情報を垂れ流しにしてみました。


改めて、難解過ぎるテーマだな…と。




もし全部理解できていたら、


簡単に2つが両立できてしまうとしたら。


そんなん、もうプロとして売れまくってますやん??





ちなみに、このエッセイを振り返ってみて、


読んでて楽しい点はどこにあったのでしょうか。



書いてる方としては、明確に言語化していく楽しみ、


読んでる方としては、何か "新しい発見" があったら良いな…と。




「そんな当たり前のこと今更言われても」ですとか


「新しい気付きなどは特に何もなかった、虚無」


という方は大変申し訳なく。




また作者的な立場の読者様は、もっと、


「あーあるある」「そうそう、そういう感じ!」


的な何かが入れられれば良かったのですが…。




あと今更ですけど、こういう系って深く突き詰めすぎると、


純粋に作品が楽しめなくなってきちゃいそうですよね。




だからこれくらいで、ほどほどにして切り上げておかないと。


……この長さでほどほど?? Σ( ̄∇ ̄;


はい。そうです。




落ちは特にないです。


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― 新着の感想 ―
 実に納得のいく内容でした。  多分これが本当の創作者の在り方なのでしょうね。  因みに私の場合は自己満足のため書いておりますので読者の満足度はあまり意識していません。傲慢なのは解っておりますが、自身…
私とは違った考えにとても参考になりました。 出来上がった作品を読むのもいいですよね。 でもエッセイで書かれている恋愛物を書くのってすごく難しいなと感じています。 どうしても想像しながら書こうと思うと、…
タイトルが童話みたいで可愛いですね。!(^^)! いつも不思議と思うのは、KCさんはエッセイでは行間を開けて読みやすい。なぜ改稿前の「痞えの少女と終わりの旅」は行間ビチビチだったんでしょうね。 謎です…
感想一覧
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