Scene 8
ウィリアムが息を呑む気配が、死に絶えた荒野の静寂を揺らした。
傍らを歩く少年の身体が強張っている。濡れた上着を握りしめるその痩せた指は小刻みに震え、彼らしからぬ異様なぎらつきを宿した瞳は、濁った川の遥か上流を凝視していた。
(ウィリアムさんの視線の先に、何があるというの……?)
彼があまりにも強く警戒しているものだから、スカーレットもまた誘われるように、ゆっくりと視線を川面へと滑らせた。
見渡す限り、色彩の死に絶えた灰色の世界。これまでと変わらぬ単調な景色が広がっているだけだと思っていた。しかし、その認識は瞬時に裏切られることとなる。
灰色の呪縛を切り裂くように、鮮烈な「赤」が目に飛び込んできたのだ。
それは川の流れに乗り、ゆっくりとこちらへ近づいてくる一枚の布切れだった。
だが、ただの布ではない。まるで水面で炎が燃え盛っているかのような、あるいは生傷から流れ出たばかりの血のような、異様な存在感を放つ赤色である。
スカーレットは息を呑んでその行方を見守った。
奇妙なことに、その布は川の物理的な水流に従っているようには見えなかった。灰色の水面を滑るその赤は、「私」という存在そのものに吸い寄せられるかのように軌道を変え、やがてスカーレットの足元の波打ち際へと漂着し、静かにその動きを止めた。
この辺獄においては、物理法則よりも物語的な因果が優先される――その理を、スカーレットは肌で理解した。
足元の赤い布に導かれるように、スカーレットは一歩を踏み出した。
灰色の砂が僅かに音を立てて崩れる。震える指先が、世界から拒絶されたようなその鮮やかな赤へと近づいていく。
ここには色がないと思っていた。けれど、この赤だけはまるで生きているかのように脈打ち、スカーレットの心を強烈に惹きつけてやまない。
(この赤色は……一体何? 私の記憶の奥底に眠る何かが、ざわめいている)
触れてはいけない。本能がそう警告しているのに、抗えない衝動が彼女を突き動かす。
その様子を傍らで見ていたウィリアムは、まるで金縛りにあったかのように動けずにいた。
彼の作家としての瞳には、赤い布へと手を伸ばすスカーレットの姿が、一枚の絵画のように「完成された悲劇」として焼き付いていたのだ。理性的な思考が追いつくよりも早く、彼の魂にある創作の業が反応する。止めることも、助けることもできない。ただ、その美しくも残酷な光景に魅入られ、吸い寄せられるようにふらりと一歩、足を踏み出した。濡れた靴が、頼りなく砂を噛む。
スカーレットはその場に跪き、震える指先でゆっくりと、水に浸った赤い布に触れた。
瞬間。
川水の凍えるような冷たさが指を刺した。
だが、それ以上に――理屈を超えた「重く熱い感情」が、指先を通じて奔流のように身体の芯へと流れ込んできた。
鉄錆のような血の匂い。
身を焼き尽くすような情熱。
そして、逃れようのない破滅と悲劇の予感。
(冷たいはずなのに、熱い。これは水じゃないわ。まるで誰かの心臓に、直接触れてしまったみたい……)
具体的な映像が見えるわけではない。けれど、押し寄せる情動のあまりの強さに、スカーレットは濡れた布を強く握りしめた。これが自分と無関係な漂流物であるはずがない。魂の深い部分が、激しく震えている。
(これは……生々しい「誰かの想い」。胸が張り裂けそうだわ)
知らないはずの感情だった。それなのに、胸の奥底から込み上げてくるのは、堪え難いほどの懐かしさと、今すぐに泣き出したくなるような切なさだった。スカーレットは灰色の荒野で、その赤い布を握りしめたまま、自身の内側に渦巻く名もなき嘆きに打ちひしがれていた。




