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果てしないスカーレット  作者: 細田衛
34/41

Scene 33



背後の闇から、遠雷のような轟音が途絶えることなく響き続けている。

それは第四階層『炎の舞台』にて永遠に繰り広げられる、呪われた決闘の残響だった。


復讐に狂う王子と、怒りに焼かれた若者。二つの激情が剣戟となって交わる灼熱の余韻が、いまだスカーレットの肌を焦がすように撫でている。けれど、足を踏み出すたびに、足元の感触は乾いた熱砂から、冷たく湿った泥濘ぬかるみへと変質し始めていた。


世界が、赤から青へと色を変える境界線。

そこで不意に、前を行く男の足が止まった。


ウィリアムの背中が、寒気と恐怖に打たれたように強張っている。

彼は自身の両の手のひらを――まだ何も書かれていない、インクの染み一つないその白い手を、呆然と見つめていた。その横顔は、漂い始めた霧よりも蒼白だった。


「あのような激しい魂たちを……」


若き詩人の唇から、吐息と共に恐怖が零れ落ちる。


「憎悪と復讐の炎そのものである彼らを、俺は本当に一つの劇に閉じ込められるのか? これほどの業火を背負うには、ペン一本ではあまりに重すぎる……」


彼の戦慄は、創作者のみが触れることのできる深淵への畏怖だった。

目の当たりにしたのは、人の形をした激情そのものだ。それを言葉という檻に繋ぎ止め、物語という枠に押し込める行為は、神の御業を簒奪するに等しい傲慢さを孕んでいる。


冷たい湿気が、足元から這い上がってくる。

ウィリアムの瞳が揺らいでいた。彼がここで筆を折れば、全てが終わってしまう。

父も、母も、そして復讐の刃を交え続ける彼らも、永遠にあの煉獄の舞台で、出口のない苦しみを反復し続けることになるのだ。


(私が、支えなければ)


スカーレットは泥に塗れたドレスの裾を引きずり、一歩前へ出た。

彼女は「生まれなかった子供」だ。物語の外側にいるからこそ、物語が終わることの慈悲を知っている。

彷徨えるウィリアムの視線を捕らえるように、彼女はその瞳を真っ直ぐに見据えた。


「ウィリアム、聞いてください」


静寂な大気に、凛とした声が響く。


「あなたが書かなければ、彼らは永遠にあのままです。あの炎の中で、終わらない殺し合いを続けるだけです」


スカーレットにとって、彼らは単なる劇中の登場人物ではない。愛すべき、けれど決して救われることのなかった家族たちだ。だからこそ彼女は、残酷なまでの希望を提示する。


「彼らを『物語』として終わらせてあげられるのは、あなただけです」


それは、魂を物語に閉じ込めることではない。

行き場のない感情の円環に『結末』という名の出口を与え、鎮魂すること。それこそが、この辺獄における作家の役割であり、唯一の救済なのだと。


スカーレットの瞳に宿る揺るぎない信頼に射抜かれ、ウィリアムはハッとしたように顔を上げた。

彼は湿り気を帯びた冷たい空気を深く、肺の奥底まで吸い込む。その冷気は、彼の中で暴れる迷いの熱を冷まし、代わりに鋭い覚悟の芯を通していくようだった。


「……そうだな。君の言う通りだ」


ウィリアムの声から震えが消え、詩人の双眸に、世界を観測し記述する者としての光が宿る。


「それが、俺の役割だ」


彼は一つ頷くと、再び前を向いた。

スカーレットは彼の隣に寄り添い、その背中を視線でそっと押すようにして歩き出す。


ずぶり、と足元の土が靴を飲み込む不快な音がした。

いつの間にか、焼け焦げた大地の熱気は完全に失せ、肌にまとわりつくような冷気が支配している。背後で唸っていた炎の轟音は遠ざかり、代わりに耳に届くのは、しとしとと降り注ぐ見えない雨の音だけ。


乳白色の霧が、視界を塞ぐように濃くなっていく。

そのとばりの向こうに、うっそうとした木々の影が、まるで墓標の群れのように黒々と浮かび上がっていた。


『炎』の領域を抜け、彼らは今、『嘆き』の領域へと足を踏み入れたのだ。

静寂と湿気に満ちた、悲劇の次なる幕が上がろうとしていた。

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