Scene 31
第四階層『炎の舞台』。そこは、円環をなす地獄の劇場であった。
観客席の代わりに聳え立つのは、天を焦がす業火の壁。絶え間なく押し寄せる熱波と轟音は、この空間の主役たる男の、煮えたぎる激情そのものである。
スカーレットはその熱に肌を焼かれながら、目の前で対峙する二人の男を見つめていた。
一人は、この狂った物語を紡ぐ『作者』、ウィリアム。
彼は降り注ぐ火の粉にも、鼓膜を震わす怒号にも、一切動じる気配を見せない。汗が滲む顔を拭おうともせず、ただ両足を舞台の床に踏ん張り、真っ直ぐに黒衣の王子を見据えている。
「俺は君を、英雄とも悪人とも決めつけない」
ウィリアムの声は、轟音の中でも不思議と透き通って響いた。詩人が詩を詠むような、しかし断固たる響きだった。
「君はただ、迷い苦しむ人間として描かれるだけだ」
その言葉は、火に油を注ぐに等しかった。
黒衣の王子、ハムレットの顔が憤怒に歪む。彼を中心にして、黒い炎が竜巻のように逆巻いた。王子の内なる怒りが、この物理法則すら歪んだ世界の燃料となり、爆発的に燃え上がる。
「それでは意味がない!」
ハムレットが叫ぶ。それは演技がかった台詞ではなく、魂からの絶叫だった。
「父を殺され、国を奪われた息子の正義はどこにある! 血には血を、罪には罰を。それが物語の理だろう!」
燃え盛る炎がハムレットの顔を照らし出す。その双眸には狂気と、底知れぬ悲しみが宿っていた。ウィリアムはその瞳を、一瞬たりとも逃すまいと食い入るように見つめ返す。彼が背負う『創作者』としての業が、安易な英雄譚を拒絶しているのだ。
「君の正義は、君自身を焼き尽くす炎だ。そんな炎に身を委ねて、本当に救われるのか?」
救われない。スカーレットは知っている。
彼女は、恐怖と熱気で震える膝を叱咤し、一歩、前へと踏み出した。
熱風が彼女の頼りない髪を煽る。顔は炎の照り返しで紅潮し、小さな身体は小刻みに震えていた。けれど、その瞳に宿る悲痛な光だけは揺るがない。
彼女は「生まれなかった娘」だ。ハムレットとオフィーリアの間に芽吹き、そして摘み取られた命の可能性。
――父上。いいえ、ハムレット。
スカーレットは心の中で、その名を呼ぶ。私という命の種を蒔き、そして忘却の彼方へ追いやったあなたに、私は存在意義を問わなければならない。
喉が熱でひりつく。それでも彼女は、勇気を振り絞って言葉を紡いだ。
「正義のために……私を切り捨てたのですか?」
それは、業火の咆哮にかき消されそうなほど、小さな、小さな問いだった。
だが、その一言が放たれた瞬間、世界が変質した。
ハムレットの表情が、凍りついたように固まる。
直後、あれほど激しく燃え盛っていた周囲の業火が、パキパキと硬質な音を立て始めた。
スカーレットは肌で感じた。肌を焼く熱波が、瞬きする間に絶対零度の冷気へと変わっていくのを。
紅蓮の炎が、その形状を保ったまま氷の彫像へと変わり果てていく。
物理的な凍結。それは、ハムレットの心臓を鷲掴みにした『罪悪感』という名の冷たさだった。
復讐という熱病に浮かされ、正義という鎧で身を固めていた男の仮面が、剥がれ落ちる。
ハムレットは呆然と立ち尽くし、スカーレットを凝視した。復讐者としての険しい相貌は消え失せ、そこにはただ、喪失に打ちひしがれる一人の男の顔があった。
彼はスカーレットの中に、かつて愛し、そして狂気の中に置き去りにしたオフィーリアの面影を見出したのだ。
「オフィーリア……?」
白い息を吐き、ハムレットが震える声で呟く。
「いや、違う……お前は……まさか……?」
氷結した炎の舞台で、父と、生まれるはずのなかった娘の視線が交錯する。そこにはもう、英雄も悪人もいなかった。ただ、取り返しのつかない過去を前にした、哀れな人間たちがいるだけだった。




