Scene 29
第四階層「炎の舞台」。
そこは、円形劇場を模した煉獄の炉であった。
吸い込む息すらも肺を焼く熱波が、陽炎となって視界を揺らめかせている。耳を劈くのは、終わることのない剣戟の金属音と、業火の爆ぜる轟音。この空間を支配しているのは、奪われた者たちの慟哭にも似た、純粋な憤怒のエネルギーだ。
スカーレットは焼け焦げた石畳の上で、足が竦むのを感じていた。
その熱源の中心に、一人の青年が立っている。レアティーズ。妹と父を喪い、復讐の鬼と化した男。彼の全身から立ち昇る炎は、彼自身の心を蝕む憎悪そのものであった。
彼は、侵入者であるスカーレットとウィリアムを認めると、その燃え盛る瞳をぎらりと向けた。
「貴様ら、そこで見ているだけの観客か!」
その叫びは、単なる怒声ではない。彼らの悲劇を安全な場所から眺める「外部の者」への、根源的な嫌悪が込められていた。
「俺たちの悲劇を安全圏から消費する、醜悪な豚どもめ! その薄汚い血で償ってもらうぞ!」
レアティーズの手にした剣から、激しい炎が噴き上がる。周囲の空気までもが焦げ付き、世界が赤く染まった。
彼は足元の石畳を砕くほどの勢いで踏み込むと、轟音と共に突進してきた。
「観客ども、地獄で後悔するがいい!」
迫り来る死の予感に、スカーレットは身動き一つ取れない。「生まれなかった者」である彼女の希薄な魂など、この激情の前では枯葉のように燃え尽きるしかないのか。
刹那。
一陣の風が、スカーレットの前へと滑り込んだ。
ウィリアムだった。
彼は恐怖に震えるスカーレットを庇うように立ち塞がると、迫りくる業火と切っ先を前にしても、一歩も退こうとはしなかった。
その背中は、まだ少年のあどけなさを残しているはずなのに、今は何よりも大きく、堅固な城壁のように見える。
ウィリアムは両手を広げた。あたかも、この狂乱の舞台を統べる演出家のように。
そして、世界そのものに命令を下すかのような威厳を込めて、彼は叫んだ。
「観客ではない。作者だ!」
その言葉が放たれた瞬間、世界が変貌した。
物理法則が無視される。
スカーレットたちの首を薙ぎ払わんとしていた炎の剣が、空中で強引に静止したのだ。
慣性も、重力も、熱量さえもが凍りつく。燃え盛る業火の揺らぎも、爆ぜる音の余韻も、すべてが不自然な静寂の中へと封じ込められた。
それは魔法というよりは、もっと絶対的な権能――物語の書き手が「一時停止」を命じたかのような、強制的な停止であった。
「……あ……」
スカーレットは息を呑んだ。
言葉を操る才ある少年。彼女はウィリアムをそう認識していた。だが、今目の前で起きた現象は、才覚などという言葉で片付けられるものではない。
「言葉」が、物理的な「炎」を凌駕したのだ。
剣の動きを封じられたレアティーズは、切っ先を握る手をわななかせながら、混乱と畏怖の入り混じった表情でウィリアムを凝視している。
「作者……? 貴様が……この狂った物語の、作者だと……?」
レアティーズの問いかけに、ウィリアムは静かに、しかし傲然と対峙し続けている。
スカーレットはその背中を見上げ、戦慄にも似た感情を抱いていた。
彼はただの詩人ではない。
この理不尽な世界を、悲劇も喜劇も、暴力も救済も、すべてをペン先ひとつで支配する巨大な創造主。
圧倒的な暴力から自分を守り抜くその姿は、あまりにも頼もしく、そして恐ろしいほどに孤独な「神」の影を帯びていた。




