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果てしないスカーレット  作者: 細田衛
28/41

Scene 27




床には無数の星が墜ちて砕けたかのように、鏡の破片が散らばっている。

かつては王妃の虚栄を映し出していたそれらは、今や冷徹な凶器となって冷たい光を乱反射していた。ガートルードが拒絶の叫びと共に鏡を叩き割った直後の、耳鳴りがするような静寂が広間を支配している。


スカーレットの瞳に映るのは、その鋭利な残骸の中に立ち尽くす一人の青年の背中だった。

ウィリアム。稀代の劇作家であり、この辺獄の旅におけるもう一人の同伴者。

彼は鏡の破片を踏みしめ、うずくまるガートルードを見下ろしていた。その眼差しに、スカーレットが抱くような哀れみや、あるいは断罪の色は一切ない。あるのはただ、推敲の末に不要と判断された原稿を検分するような、底冷えするほどの観察眼だけだった。


やがて、詩人の唇が紡いだのは、慈悲よりも残酷な真実だった。


「貴女は悪人ではない。ただ、あまりに弱すぎたのだ」


それは宣告だった。

物語における配役ロールの剥奪。劇的な悪としての価値すら認められず、ただ舞台に立つ資格を持たぬ者として切り捨てる、作者としての絶対的な権限の行使。


その言葉が耳に届いた瞬間、ガートルードの身体から力が抜け落ちた。

まるで操り糸を断ち切られた人形のように、彼女は床へと崩れ落ちる。鋭く尖った鏡の破片が王妃の白磁のような皮膚に食い込み、真紅の血が滲んでも、彼女は眉ひとつ動かさなかった。

痛みすら感じていないのではない。彼女は震える手で顔を覆い、外界との接触を自ら遮断して、果てしない内面の闇へと沈み込んでいく。

そこにいるのは、もはや愛憎を叫ぶ王妃ではない。弁解も否定も、何一つ返す言葉を持たない空虚な「抜け殻」だけが、硝子の墓標の中にうずくまっていた。


風のような衣擦れの音が、静寂を裂いた。

先導者ヴィルギリウスが灰色の外套を翻し、無言で広間の奥を指し示す。

その指先は、床に散乱する破片の海を巧みに避け、淀みなく次の階層へと続く暗がりへ向けられていた。そこには一抹の感傷もなく、ただ次の地獄へ客人を運ぶための、機械的で厳格な職務だけがある。


スカーレットは足を止め、一度だけ振り返った。

視線の先には、小さくなった祖母の背中がある。

先ほど見せた「あり得たかもしれない未来」――スカーレットとガートルードが手を取り合う幻影は、鏡と共に砕け散った。

胸の奥で、何かが静かに死んでいくのを感じる。けれど不思議と、怒りや憎しみは湧いてこなかった。

ただ、永遠に失われた可能性への喪失感だけが、胸に空いた穴を寒風のように吹き抜けていく。


(お祖母様との繋がりは、これで断たれた)


スカーレットは心の中で呟く。

「生まれなかった者」としての孤独が、再び肌に張り付くのを感じた。けれど、立ち止まることは許されない。この痛みを抱えたまま、先へ進まなければならないのだ。


彼女は言葉を発することなく、きびすを返した。

ヴィルギリウスが示した出口へ向かって、一歩を踏み出す。


その隣で、ウィリアムもまた動き出した。

彼はもはや、足元の抜け殻に一瞥もくれなかった。書き損じをくずかごに捨てた作家のように、あるいは役割を終えた道具を置き去りにするように、興味を完全に失っている。

その迷いのない足取りは、彼が創作者であるがゆえのごうそのもののように見えた。


三つの影が、砕けた鏡の間を後にしていく。

鋭利な沈黙だけが、置き去りにされた王妃の上に降り積もっていた。

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