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果てしないスカーレット  作者: 細田衛
27/41

Scene 26




銀色の悲鳴と共に、世界が砕け散った。


その衝撃音は、静寂に満ちた『鏡の間』においてあまりにも暴力的で、鋭利な刃物のように鼓膜を裂いた。ガートルードが絶叫と共に拳を振り下ろした瞬間、つい先ほどまで鏡面を彩っていた柔らかな光景――年老いた彼女が孫であるスカーレットの髪を梳く、平和で幸福な未来の幻影――は、一瞬にして霧散した。


「そんなものを見せるな! あんな未来など、私にはあり得なかったのだ!」


飛び散る無数のガラス片が、星屑のように煌めきながら降り注ぐ。スカーレットは咄嗟に腕を掲げて顔を庇いながら、床に散乱した破片へと視線を落とした。


そこに映し出されていたのは、もはや慈愛に満ちた祖母の姿ではなかった。

砕かれた鏡の欠片ひとつひとつに、青ざめ、唇をわななかせる『現実の王妃』の姿だけが、断片的に切り取られている。かつて彼女が誇示していた美貌も、自己弁護のための威厳もそこにはない。ただ己の罪と現実に怯え、狼狽する一人の女がいるだけだった。


(幻影が、消えた……)


スカーレットは痛ましげに息を呑んだ。

彼女が砕いたのは、単なる鏡ではない。それは、この煉獄において唯一示された救い、スカーレットと共に生きる『平和な未来』という可能性そのものであった。ガートルードは自身の意志で、その選択肢を永遠に拒絶したのだ。


「私は……私は選べなかったのだ!」


ガートルードは崩れ落ちるように膝をつき、震える手で床に散らばる鋭利な破片を掴み上げた。鋭い硝子の切っ先が皮膚を食み、赤い血が滲むのさえ気付かぬように、彼女は破片の中の自分を睨みつける。


「国の為、民の為と言うしかなかった……私には、他に道などなかった!」


そこにあるのは、血も涙もない冷酷な悪女の顔ではなかった。

スカーレットは散乱する破片を避けながら、ゆっくりと歩み寄ろうとする足を止めた。

喉の奥から、「ガートルード様」という呼びかけが微かに漏れる。だが、それ以上の言葉は続かなかった。


彼女の悲痛な叫びが、スカーレットに冷徹な真実を突きつける。

この女性は悪魔ではない。ただ、状況という濁流に抗う術を持たず、流されるままに罪を重ねた『弱すぎた人間』に過ぎなかったのだ。


(『選べなかった』……。その言葉が真実なら、彼女もまた運命という檻に囚われた犠牲者なのかもしれない)


スカーレットの胸を、やるせない痛みが締め付けた。

けれど――その弱さこそが、私たちを殺したのだ。その優柔不断な保身こそが、あり得たはずの未来を粉々に砕いたのだという事実は、決して覆らない。


「笑止千万……私が間違っていたとでも言うのか? 誰にも……誰にも私の苦しみなどわかりはしない!」


ガートルードは握りしめた破片で掌を傷つけながら立ち上がると、拒絶を示すようにスカーレットへ背を向けた。

肩を震わせ、声を荒らげて自らの正当性を主張するその背中は、王妃としての威厳など欠片もなく、酷く小さく、脆く見えた。


「私が望んでこうなったわけではない!」


その叫びは、鏡張りの回廊に虚しく反響する。

スカーレットは、ガートルードの頑なな背中を見つめ、静かに悟った。もはや、どんな言葉をもってしても、彼女の凍てついた心を溶かすことはできないのだと。


スカーレットは、同情と、未来を拒絶された深い悲しみを噛み締めながら、音もなく一歩、後ろへと下がった。

砕けた鏡が二度と元の美しい像を結ばないように、二人の間には決定的な断絶が横たわっている。


(彼女の心は、砕けた鏡のように修復不可能だ。これ以上、踏み込むことはできない)


スカーレットは瞳を伏せた。

ガートルードは自ら望んで、孤独な被害者であり続ける道を選んだのだから。

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