Scene 23
第三階層へと続く大階段は、まるで巨人の脊椎のように静寂の中を貫いていた。
足元は透き通ったクリスタルで造られており、踏みしめるたびに冷たく硬質な輝きが靴底を通して伝わってくる。手すりや壁面もまた、鏡面のように磨き上げられた氷のごとき材質で、そこには登る者たちの姿が無数に、そして残酷なまでに歪められて映し出されていた。
スカーレットは足を止めた。
手すりの曲面に映り込む自分の顔は、引き伸ばされ、あるいは圧縮され、まるで迷路の奥底に棲む亡霊のようだ。
(これが、私の今の心……)
輪郭の曖昧な私。生まれなかった魂。ウィリアムの言葉は正しかったのだろうか。あの堅牢な城に住まう人々を断罪し、その権威を剥ぎ取ることが、果たして正義なのだろうか。私の心は、硝子に映る虚像のように揺らぎ、定まらないままでいる。
彼女は呼吸を整え、先を行く青年の背中を見上げた。その背は孤独で、どこか痛々しいほどに張り詰めている。
「ウィリアムさん」
呼びかける声は、冷たい空気に触れて微かに震えた。
「あの人たちを……笑い者にするのですか? 彼らにも、彼らなりの真剣さがあったはずです」
問いかけは、静寂に波紋を広げるように響いた。
ウィリアムは足を止めたが、すぐには振り返らなかった。数秒の沈黙。彼の肩が大きく上下し、迷いを肺腑から絞り出すように強く息を吐き出す。
そして、鋭く振り返った。その瞳は、スカーレットの揺れる心を射抜くように強い光を宿している。
「そうしなければならない」
若き劇作家の声は、確信と痛みが混じり合った複雑な響きを帯びていた。
「彼らの掲げる『正義』や『悲劇の美学』こそが、君という存在を歴史から抹消した元凶だからだ。君を生かすためには、彼らの権威を喜劇として解体するしかない」
それは、創作者としての傲慢さではなく、悲痛な叫びにも似ていた。
スカーレットは胸を締め付けられる思いで、彼にそっと歩み寄った。震える指先で、彼の着古した上着の裾を掴む。
「でも……」
彼女は彼の瞳をまっすぐに見つめ返した。そこにあるのは恐怖ではない。真実を知りたいという、純粋な渇望だ。
「誰かを傷つけることが、本当に正しいことなの?」
(私を救うために、誰かを傷つけていいのだろうか。あなたのその苦しそうな顔こそが、それが過ちだと告げているのに)
その無垢な問いかけは、何よりも鋭い刃となってウィリアムの胸を刺したようだった。
彼は言葉を詰まらせ、耐えきれないように視線を逸らした。その目が捉えたのは、手すりのクリスタルに映り込んだ、歪んだ自分の顔だった。
彼は自嘲の笑みを漏らし、ペンを握る右手を強く握りしめる。
「僕は、残酷だ……」
その声は、砕け散った氷のように脆く響いた。
「ペン一本で、人の運命を弄んでいる。君の言う通りだ、スカーレット。これは、決して正しいことじゃない」
自身の業を認めた青年の姿に、スカーレットは静かに首を横に振った。
彼女は両手を差し出し、固く握りしめられた彼の右手を、そっと包み込んだ。
冷え切った彼の拳に、彼女の体温が伝わっていく。
「あなたは残酷なんかじゃない」
スカーレットは微笑んだ。それは慈愛に満ちた、聖母のような微笑みだった。
「そうやって苦しめる心があるから。……その罪も、運命も、一緒に背負います。さあ、行きましょう」
(あなたが残酷なのではない。その痛みを感じられる心こそが、あなたが人である証拠。私にはわかります。だから、共に歩きましょう)
ウィリアムはハッとしたように顔を上げ、彼女を見た。
やがて、彼は包まれた手を強く握り返した。迷いは消え、覚悟を決めた男の顔つきで短く頷く。
二人は再び、クリスタルの階段を登り始めた。
しかし、その歩みはすぐに阻まれることとなる。
最上段に近づくにつれ、頭上から人工的な、あまりにも強烈な光が射し込んできたのだ。
同時に漂ってきたのは、鼻をつくような濃厚な白粉と、熟れた果実のように甘ったるい香油の匂い。
それは、冷徹なクリスタルの世界にはあまりに不釣り合いな、退廃的な気配だった。
ウィリアムは顔をしかめ、警戒心を露わにして足を止めた。
彼は咄嗟に背後を振り返り、スカーレットを庇うように半歩前へと出る。
その視線の先にある光の中には、ここまでの道のりとは異なる、歪んだ狂気が待ち受けている予感がした。




