Scene 21
古い羊皮紙と黴の匂いが鼻孔をくすぐる。
そこは、第二階層『監視と陰謀の回廊』。薄暗い通路の壁面には、無数の『目』が描かれ、誰かの密告を綴ったであろう紙束が、まるで魚の鱗のようにびっしりと貼り付けられている。どこからともなく聞こえるささやき声は、湿った風のように肌にまとわりつき、誰かに常に見られているという強迫観念を植え付けてくる。
直前に遭遇した老人――ポローニアスが残した『古い秩序』の重苦しさがまだ胸に残る中、スカーレットはウィリアムの背中を追っていた。
その時だ。
「やあ、こんにちは!」
回廊の淀んだ影から、音もなく滑り出るようにして二つの人影が現れた。
唐突に道を塞いだ二人の男。彼らの顔には、驚くほど精巧で、しかし絶望的に不自然な笑みが張り付いている。
「こんなところで会うとは、奇遇ですね!」
「お二人とも、どちらへ?」
まったく同じ調子の、まったく同じ軽薄さ。彼らはまるで一つの魂を二つに引き裂いたかのように似通っていた。ローゼンクランツ、そしてギルデンスターン。
スカーレットの背筋を、本能的な嫌悪感が駆け抜けた。
(……気持ち悪い)
それは生物としての警戒信号だった。彼らの笑顔には感情の温度がない。ただ筋肉を吊り上げただけの、白磁のような仮面。
スカーレットは言葉を失い、咄嗟にウィリアムの側に身を寄せた。一歩後ずさりながら、切っ先に手をかける準備をする。
(この人たちは一体何者? ウィリアムは知っているの?)
隣を歩く若き詩人を見上げるが、彼はただ静かに、分析するような瞳で二人を見据えている。スカーレットは息を潜め、いつでも動けるよう全身のバネを張り詰めた。
二人の男は、スカーレットの警戒など意に介さず、滑るような足取りで左右から回り込んでくる。まるで鏡合わせのように動作をシンクロさせ、顔を近づけてきた。
「王につくか、王子につくか……」
右の男が囁けば、左の男が即座に重ねる。
「勝ち馬に乗るのが賢い」
「沈む船には乗るな……」
「そう、沈む船には」
その言葉は甘美な誘惑のようでいて、中身のない空虚な響きを持っていた。『保身』と『同調』。自らの頭で考えることを放棄した者たちが発する、腐った果実のような甘い匂い。
「ふん」
鼻で笑う音が、その場の空気を裂いた。
ウィリアムだった。彼は露骨な軽蔑をその端正な顔に浮かべ、まとわりつく二人を交互に見据えた。彼の瞳には、登場人物の役割を見定める創作者特有の冷徹さが宿っている。
ウィリアムは一歩前に踏み出し、躊躇なく彼らに指を突きつけた。
「お前たちは自分で考えず、ただ命令に従うだけの空っぽな存在だ!」
詩人の言葉は、鋭利な刃となって空間を貫いた。
その瞬間、世界が凍りついた。
ローゼンクランツとギルデンスターンの顔から、あの能面のような笑顔が剥がれ落ちるように消え失せる。そこに残ったのは、何の感情も映さない虚無的な瞳だけ。
それと同時に、回廊を満たしていた湿度が、物理的な重みを持つ『冷ややかな敵意』へと変質した。
「…………」
二人は無言のまま、操り人形のようにぎこちなく、しかし完全に同調した動きでゆっくりと距離を取った。
(空気が……痛いほど冷たい)
スカーレットは急激な温度変化に圧迫感を覚え、思わずウィリアムの服の裾を強く握りしめた。
辺獄では、心理状態が物理法則を凌駕する。彼らの内面に潜んでいた冷淡さが、ウィリアムの指摘によって露見し、この場を支配し始めたのだ。
ふと視線を感じて、スカーレットは顔を上げた。
息を呑む。
壁に描かれていた無数の『目』――ただの装飾だと思っていたインクの染みが、今は明確な意思を持って、一斉にこちらを見下ろしていた。
(さっきまではただの絵だったのに……今は私たちを睨みつけている)
壁紙の隙間から覗く目、目、目。
それらは全て、スカーレットとウィリアムを異物として排除しようとする、冷酷な監視者の眼差しだった。この回廊全体が、今や敵意を剥き出しにしている。
スカーレットの手が剣の柄にかかる。だが、それを制するように、ウィリアムの温かい手が彼女の手に添えられた。
彼は冷ややかな視線を二人の道化に向けたまま、さらに一歩、前へと踏み出す。
「その程度の敵意で、この私を屈服させられるとでも? 笑止千万!」
ウィリアムの声は朗々と響き渡り、重苦しい空気を震わせた。
「お前たちはただの操り人形だ。自らの意志を持たず、誰かの言葉を鸚鵡返しにするだけの、哀れな存在」
彼はまるで舞台上の役者のように、あるいは審判を下す王のように、残酷な事実を突きつける。
「この腐臭を放つ回廊の壁に貼り付けられた報告書と同じだ。――お前たちに書くべき物語などない!」




