Scene 1
乾いた風が吹き抜け、スカーレットの細い身体を容赦なく打ち据えた。
彼女は反射的に自らの細い腕を抱きしめ、身を縮こまらせる。肌を刺す冷気よりも恐ろしかったのは、視界を埋め尽くす圧倒的な「灰色」だった。
見渡す限りの荒涼とした土と岩、そして頭上を重く圧迫する鉛色の雲。それらは単に曇天であるというだけでなく、この世界から色彩という概念そのものが剥落していることを残酷に告げていた。物理的な質量を伴った絶望が、空から滴り落ちてくるようだ。
(……私は、誰?)
問いかけても、返ってくるのは風の音だけだ。
自分の名前すら、唇に乗せることができない。思考の海に潜ろうとすれば、そこには濃密な乳白色の霧が立ち込めており、過去という輪郭を一切合切、覆い隠していた。
スカーレットはこの色を失った世界に押し潰されぬよう、重い足を踏み出した。
ザリ、と乾いた土を踏みしめる感触が足裏に伝わる。その僅かな現実感だけを頼りに、彼女は記憶の糸を手繰り寄せようと瞳を閉じた。
しかし、瞼の裏に浮かぶのはやはり深い霧ばかりである。家族の笑顔も、愛した人の声も、自分が何のためにここにいるのかさえも、何ひとつ掴めない。
けれど、ここに立ち尽くして風化するわけにはいかなかった。焦燥感が胸をじりじりと焼く。この深い霧の向こう側に、私が置き忘れてきた「何か」があるはずなのだ。
ふと、スカーレットは足を止めた。
風の唸りに混じって、微かな、しかし確かに異なる音が鼓膜を震わせたからだ。
(音がする……水?)
彼女は意識を研ぎ澄まし、ゆっくりと顔を上げた。
遠い地平線、その灰色の大地を裂くようにして、一筋の微かなきらめきが横たわっている。
それは、死に絶えたようなこの静止した風景の中で、唯一許された「動き」だった。流れるもの。変化するもの。あの一筋のきらめきだけが、今の彼女には救済の光のように見えた。
スカーレットの足が、思考よりも先に動いた。
まるで磁石に吸い寄せられる鉄片のように、あるいは光を求める蛾のように、その流れへと身体が引き寄せられていく。
(なぜだかわからない。けれど、あそこに行かなければならない気がする)
それは論理的な判断ではなく、喉の渇きにも似た、もっと根源的な渇望だった。魂の深層に刻まれた本能が、あの川へと彼女を呼んでいる。あそこに行けば、自分が何者であるのか、その欠片を見つけられるかもしれない。
スカーレットは表情を引き締め、瞳に川のきらめきを強く映した。
不安に揺れていた心は、いまや明確な方向を得て鎮まっている。灰色の世界を背にし、視線の先の光だけを道標として、彼女は迷いなく歩き出した。
記憶を取り戻したいという知的な願いと、ただあの流れに触れたいという生物学的な衝動が、彼女の中で分かち難く混ざり合っている。もう、迷いはなかった。
逆巻く風が、スカーレットの身にまとう灰色の服を激しく揺さぶる。
だが、彼女の歩みは止まらない。目を細め、徐々に近づいてくる川面の一点を、祈るように見つめ続けていた。
川が近づいてくる。
この灰色の世界で、あそこだけが鮮烈に、痛いほどに彼女の意識を惹きつけてやまない。あの中に、私の探している答えがあるはずだ――スカーレットはそう信じて、荒野を行く一陣の風となった。




