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果てしないスカーレット  作者: 細田衛
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Scene 16



古びた香水と埃が澱んだ空気が、肺の奥まで重くのしかかる。

第一階層「形式の牢獄」。ここにあるのは、豪華絢爛だがどこか歪な、完璧すぎる幾何学模様の壁と床だけだ。どこからともなく響く終わりのないお喋りのざわめきが、不快な伴奏のように空間を満たしている。


スカーレットは唇の端を持ち上げ、微笑もうとした。しかし、顔の筋肉がまるで石膏で固められたかのように強ばり、微動だにしない。手足は鉛のように重く、見えない鎖で床に縫い付けられているようだった。

一歩も動けない。

(オズリック様の言葉が、重力のようにのしかかる……息苦しい。肺の中まで冷たい埃が詰まっていくみたい)

これが「形式」なのだ。ここにあるのは呼吸ではなく、ただ決められた作法の反復のみ。こんなのは、私ではない。


スカーレットの沈黙を『恭順』と解釈したのか、目の前の宮廷人、オズリックが満足げに目を細めた。彼はスカーレットが完璧な角度でお辞儀をするのを、定規で測るかのような冷徹で傲慢な視線で待ち受けている。


「さあ、スカーレット嬢。完璧なお辞儀を。角度、姿勢、手の位置……すべてが重要ですぞ。形式こそが魂の鋳型。美しく、秩序正しく、定められた通りに」


その言葉が、物理的な圧力となってスカーレットの肩を押さえつけた、その時だった。


「俺の劇に、これほど退屈なシーンはない!」


雷のような大声と共に、スカーレットとオズリックの間に強引に割って入る影があった。

ウィリアムだ。

その瞬間、周囲の空気が熱波を受けたようにびりびりと震え、耳障りな羽虫の羽音のようなざわめきが、一瞬で凪いだ。


スカーレットはビクリと肩を震わせた。ウィリアムの発した衝撃波によって、思考と体を縛り付けていた氷のような『重圧』に、物理的な亀裂が走る音が聞こえた気がした。

溺れる寸前の人が水面に顔を出したかのように、スカーレットは大きく息を吸い込んだ。

(ウィリアムの叫び声……! 何かが、私を押しつぶしていた見えない壁を叩き割った。空気が……熱い。彼の周りだけ、あの冷たい形式の重力が消えている?)


ウィリアムは止まらない。彼はオズリックの手にあった羽根飾り付きの帽子を乱暴に払い落とすと、床に落ちたそれを躊躇なく踏みつけた。さらに、呆気にとられるオズリックの胸倉を掴み上げ、至近距離で睨みつける。

その痩せぎすの体からは想像もできない、圧倒的な「熱量」が立ち昇っていた。


「貴様のような道化が、物語の何を知っている! 形式、秩序だと? 笑わせるな! 物語は混沌から生まれ、情熱によって彩られるものだ! 貴様の矮小な定規で、スカーレットの心を測らせはしない!」


「ひっ……あ、あぁ……! そ、その目は……ありえぬ……貴様は一体……!」


ウィリアムに睨まれた瞬間、オズリックの顔色が土気色に変わった。瞳孔が極限まで収縮している。それは単なる暴力への怯えではなかった。自らの存在を定義する創造主マスターに睨まれた被造物が抱く、根源的な「生物的恐怖」そのものであった。


ウィリアムは掴んでいたオズリックを突き放した。よろめく彼に人差し指を突きつけ、この大広間、いや、空間全体に向けて高らかに宣言する。

その言葉が発されるたび、宮廷の完璧な幾何学的装飾が揺らぎ、支配のルールが「宮廷の階級」から「舞台の配役」へと強制的に書き換えられていくのを、スカーレットは肌で感じた。


「いいか、よく聞け! この宮廷のルールなど知ったことではない! **誰がどの役を演じるか、それを決めるのはこの私だ!** 私が作者であり、この物語の創造主だ!」


スカーレットは呆然とウィリアムの背中を見つめた。

彼の宣言と共に、私を縛っていた冷たい鎖が完全に溶け落ちていく。代わりに、止まっていたはずの心臓が早鐘を打ち始めていた。視界の隅では、オズリックのような宮廷人が、絶対的な捕食者を前にした小動物のように震えているのが見える。

(彼の言葉が、世界を塗り替えていく……。形式も、秩序も、役割も、彼の「熱」の前では意味を成さない)

呼吸が楽だ。彼はただの乱入者ではない。この冷たい牢獄を壊して、私を新しい場所へ連れて行ってくれる『作者』なのだ。


スカーレットは震える手で、ウィリアムの背中にそっと手を伸ばし、服の裾を掴んだ。

指先に伝わる彼の体温だけが、ここが現実であることを教えてくれる。


「ウィリアム様……」


(もう、人形には戻らない。この背中についていく。この人が描く物語なら、私はきっと、本当の私になれる)


ウィリアムは振り返ることなく、裾を掴んだスカーレットの手に、自分の手を重ねた。その掌は熱く、力強い。彼はオズリックたちを睥睨したまま、確信に満ちた声で告げた。


「スカーレット、心配はいらない。君の物語は、これから始まる。私が、君を真のヒロインにしてやる」

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