Scene 15
第一階層『形式の牢獄』。
そこは、目が眩むほどに豪華絢爛でありながら、舞台の書き割りのような薄っぺらさを隠そうともしない、虚構の宮廷であった。
スカーレットは、肺に粘りつくような澱んだ空気に喉を詰まらせそうになるのを、あえぐようにして堪えた。
幾何学的に整いすぎた床には、有機的な温かみなど微塵もない。古びたカビの臭気と、それを強引に塗り隠そうとする白粉や香水の甘ったるさが混じり合い、目に見えない沼のように充満している。
鉛の靴を履かされたかのように重い足を、スカーレットは一歩踏み出した。
この空間において、客観的な物理法則など意味を成さない。ここを支配するのは『主観的な心理状態』という名の鉄の掟だ。彼女が感じるこの息苦しさは、比喩ではなく、大気そのものが彼女の気道を塞ごうとする物理的な質量となっていた。
「あの……オズリック様、少しお待ちください」
スカーレットがどうにか声を絞り出した、その時である。
「お待ちください? 何を待つ必要があるのです!」
宮廷の案内役を気取る男、オズリックがスカーレットの言葉を鋭く遮った。彼は被った羽根付き帽子を大袈裟に、空を切り裂くように振り回しながら、機械仕掛けの玩具のような早口でまくし立ててくる。
「ここは宮廷、形式こそが全て! 呼吸をするにも、定められたリズムがあるのです! 立ち止まる位置、視線を向ける角度、指先の震え一つに至るまで、全てが計算され、美しく定められているのです! あなたは宮廷の客、客としての役割を全うしなさい! さあ、お辞儀を!」
オズリックの甲高い声は、単なる言葉ではなかった。それは指向性を持った音波の振動となってスカーレットの鼓膜を乱暴に叩き、脳の思考回路を迂回して、脊髄へと直接命令を下した。
(体が……勝手に動く!?)
スカーレットの意思とは裏腹に、背筋が糸で吊られたようにピンと伸びる。
脳は激しく拒絶しているのに、染みついた社会的な同調本能が筋肉を裏切らせ、条件反射のように膝を折ろうとするのだ。スカーレットは必死に足を踏ん張り、震える拳を握りしめて抵抗した。爪が掌に食い込む痛みだけが、かろうじて自分を繋ぎ止めている。
(これは、ただの礼儀作法じゃない……)
戦慄が背筋を駆け上がる。
目の前の男が振りまく『形式』は、思考を停止させ、スカーレットという一人の人間を『客という記号』へと強制的に書き換えるための、毒素であり、兵器なのだ。
少し離れた場所では、ウィリアムが冷ややかな眼差しでその光景を眺めていた。
濡れた服が肌に張り付く不快感など意に介さず、若き詩人はただ退屈そうに眉を顰めている。彼の瞳には、スカーレットの苦闘さえも、道化が演じる「魂のない操り人形のダンス」にしか映っていないようだった。そこにあるのは共感ではなく、底知れぬ苛立ちと倦怠のみ。
「くっ……」
必死の抵抗も虚しく、オズリックの言葉が持つ強制力は、スカーレットの肉体を徐々に蝕んでいく。
膝がガクガクと無様に震え、床へと近づいていく。視界が灰色に明滅し、自分自身の輪郭が世界から剥離し、曖昧になっていく感覚が襲ってきた。
(だめ……意識が遠のく)
このまま膝をつけば、私はスカーレットではなくなる。ただの『従順な客』という舞台装置の一部に上書きされてしまう。両親を探すという目的さえ、この甘ったるい毒の中に溶けて消えてしまう――!
スカーレットの膝がいよいよ床につこうとする刹那、その微かな抵抗を感じ取ったオズリックは、嗜虐的な喜びを込めてさらに圧力を強めた。
「さあ、跪きなさい! それがあなたの定め! 宮廷の客としての、唯一の価値!」
勝利を確信するかの如く、オズリックは羽根付き帽子をより一層大きく、執拗に振り回し、スカーレットの顔を覗き込んだ。その瞳には、相手を人間として見る光など宿ってはいなかった。




