Scene 14
霧が晴れた先に現れたのは、想像を絶するほどに整然とした空間だった。
第一階層「形式の牢獄」。
左右対称に設えられた巨大な宮廷の大広間である。床は鏡のように磨き上げられ、遥か頭上には威圧的なシャンデリアが、監視者の眼球のように吊るされていた。空気は古びた香水とカビの匂いが混ざり合い、ひどく淀んでいる。
私はそのあまりの冷たさと、病的なまでに整頓された雰囲気に息を呑んだ。
視界の端で、豪奢な衣装を纏った廷臣たちが動いている。だが、規則正しく徘徊する彼らの襟口や袖の奥に、人間の皮膚は存在しなかった。ただ暗闇だけが覗いている。
あれは人間ではない。まるで抜け殻が、亡霊のように動いているだけだ。
「中身のない連中だ」
隣を歩くウィリアムが、きらびやかだが空虚な装飾を鼻で笑い、中身のない廷臣たちを一瞥した。
私は生理的な嫌悪感を覚え、本能的な恐怖に足をすくませながら、先導するヴィルギリウスの背後に身を隠した。両親の魂を見つけるという決意はある。けれど、この徹底的に「空っぽ」な光景は、私の存在そのものを否定するようで恐ろしかった。
その時、前方から滑るようにして一人の男――否、一着の衣装が現れた。
大袈裟な動作で帽子を振り回し、私とウィリアム、そしてヴィルギリウスの前に立ちはだかる。
派手な羽飾りのついた帽子の下、襟元との間に顔はなく、ただ虚無が広がっている。
「これはこれは、お客様。ようこそ、形式の牢獄へ」
襟元の空洞から、甲高い声が響いた。
その瞬間、私の足が止まる。彼の声は単なる音波ではなかった。物理的な質量を伴った「見えない壁」となって、私たちの通行を阻んだのだ。
「しかし、お客様のその無様な振る舞い、看過できませんな! 宮廷においては、然るべき作法というものがありまして……まずはその、だらしなく開いた口を閉じ、背筋を伸ばし、私、オズリックに深々と頭を下げるのが礼儀というものでございます!」
中身のない衣装――オズリックは、こちらの困惑や無関心など見えていないかのように、さらに大げさな身振りを加えた。手袋だけの両手が忙しなく空を切る。
彼が宮廷作法を語るたび、その言葉は重い「圧力」となって空間に満ちていく。まるで鉛の塊を肩に乗せられたかのように、私の膝が物理的な重石によって沈み込んだ。
「お客様、お客様! あくびとは何事ですか! 宮廷においては、退屈などという感情は存在しないものと心得てください! そして、その無礼な仕草! わたくしの言葉を無視するなど、前代未聞! 宮廷では、たとえ話の内容が理解できなくても、ひたすら感嘆の声を上げ、身を乗り出して聞き入るのが礼儀! さあ、お客様もご一緒に!『まあ、オズリック様! なんと素晴らしいお話でしょう!』と!」
こちらの反応を待つことなどない。顔のない空洞から放たれる言葉の奔流は、もはや意味を持った情報ではなかった。それは私の身体を縛り付ける鎖のように機能し始める。
「挨拶における腰の角度は厳密に35.6度! 帽子の羽飾りは左回りに3回揺らすのが正解! 名乗る際は吸う息と吐く息を7対3の割合で! お客様、お客様! 宮廷では沈黙は罪! 呼吸の間にも礼儀が宿るのです! 食事の際は左手の人差し指を常に45度の角度に保ち、ナイフとフォークは決して平行に並べてはなりません! お分かりいただけましたか!」
「だ、だめ……! わから、ない……!」
押し寄せる言葉が物理的な衝撃波となって全身を叩く。私は両手で耳を塞いだが、その「圧力」は皮膚を通して内側へと浸食してきた。混乱と激痛に近い圧迫感で、体が震え始める。
オズリックの言葉が、見えない壁となって私を押しつぶそうとしてくる。意味なんてないのに、その「形式」の重さだけで息が詰まる。このままではペシャンコにされてしまう。
視界が歪んだ。
言葉の波に、自我が削り取られていく。
私は「スカーレット」という名の人間ではなく、単なる「名もなき客」という舞台装置の一部に書き換えられそうだった。自分が誰だったか、思い出せない。このまま形式の中に埋没して、私もあの「中身のない衣装」の一つになってしまうのだろうか。
「ウィ、ウィリアム……! くる、しい……! 私が、消えちゃう……!」
誰か、私を定義し直して。
私は震える手で、隣に立つ詩人の服を必死に掴み、縋り付いた。




