表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PUSAN  作者: 左衛門乃助
6/6

第5章︰遭遇

【塔内部・第零会議室】


白い照明が、無機質なガラス壁に反射していた。

円卓の中央には、封印された赤いファイルが一つ。

蒼は立っていた。

背後の自動扉が閉じる音が、やけに遠く感じられる。

正面には、浅井――計画統括責任者。

その両脇には防衛局の上層と企業連合の代表者たち。


「……匿名告発、君の仕業か?」


浅井の声は平坦だった。

だがその目の奥には、冷えた計算が見える。

蒼は答えなかった。

代わりに机の上のファイルを見つめた。

そこには自分が設計に関わった“あの存在”の実験記録が収められている。

——罪の重さが、紙の厚みにまで沁みていた。


「私たちは、国家を守っているんだ。理解しているだろう?」


「……守っているのは、何ですか。人間ですか、それとも数字ですか。」


浅井の眉が、ほんのわずかに動いた。

会議室の空気が凍る。


「君の理想論で国は回らない。現実は結果だけを評価する。」


「なら、結果を見てください。地上の街で何が起きているのか。」


沈黙。

壁一面のスクリーンに、報道映像が映し出される。煙に包まれたU市。

逃げ惑う人々。歪んだ空の下で、かすかに映る巨大な影。


「……これが“結果”です。」


蒼の声は震えていた。

だが、その震えが会議室の全員に伝わるまで、誰も動かなかった。

浅井は短く息をつき、口角を上げる。


「ならば君は、すべてを暴くつもりか。」


「ええ。もう止められません。」


その瞬間、照明が一斉に落ちた。

緊急灯の赤だけが、蒼の瞳を照らした。

誰かが言った――「外部侵入だ」

塔内部の奥で、警報が鳴り響く。

地上で起きた混乱が、ついに地下にも到達したのだ。

蒼はゆっくりと顔を上げた。


「浅井さん、これは……人間の終わりの始まりですよ。」


【地上・避難所】


夜の非常灯が、薄く揺れていた。

壁一枚隔てた外では、何かが這うような音がする。

誰もその正体を口に出そうとしなかった。


「このままじゃ、何も分からないまま殺されるだけだ」


声を上げたのは、かつて某テーマパークで整備士をしていた男・大石だった。


「見てきます。塔アトラクションの方を。…誰か、一緒に」


沈黙のあと、三人が立ち上がった。

ユリ、医師の松田、そして高校生の玲。

彼らは互いの顔を見つめ、誰も言葉を交わせなかった。

ただ、何かをしなければ、すべてが呑まれると本能で感じていた。


「待て、私も行かせてもらう。君達だけでは危険すぎるからな」


そう声を上げたのは町内の自治会長、岸本だった。

ユリ、医師の松田、整備士の大石、高校生の玲、そして岸本を隊長にして探索隊が組まれるのであった。


ーー


外に出ると、夜気が重く沈んでいた。

ライトをつけても、光が霧に吸われていく。


「音、消して。…聞こえる?」


玲の声が震える。遠くで、鉄を引きずるような音。

塔の影が、夜空に黒い稜線を描いていた。

かつてアトラクションが輝いていた場所に、今は軍の車両と焦げた残骸だけが並ぶ。

その中心に、巨大なクレーターが口を開けていた。

ユリは息を呑んだ。

その瞬間、地面がわずかに揺れた。

霧の向こうで、何かが蠢いた気配。

松田が口を開こうとした時、

無線機から誰かの声が入った。


『……聞こえるか。ここは、地下の——蒼だ。』


三人は凍りついた。

塔の下から届いた声。

それは、彼らがまだ知らない“真実”への扉を開く最初の合図だった。


【探索隊】


夜明け前の霧が、某テーマパークを白く包んでいた。

風が吹くたびに、建物の鉄骨が軋む。


「……ここが、あのアトラクション“T.O.T”か。」


隊長の岸本がヘルメットライトを点けると、地面に不自然な裂け目がいくつも走っていた。

まるで何か巨大なものが下から押し上げたように、アスファルトが波打っている。

ユリは震える指でスマートフォンを構えた。

圏外。

通信機もノイズだけを返してくる。


「おかしい……磁気異常?」

「それだけじゃない。音を聞け。」


誰かが囁いた瞬間、地の底から低い脈動のような音が響いた。


ドン……ドン……。


間隔は一定、まるで心臓の鼓動。


「……生きてる?」


ユリが呟く。

岸本は答えず、足元の亀裂に手を当てた。

微かに震えていた。


「生きてるのは“塔”のほうかもしれないな。」


隊員の一人が録音装置を起動しようとした瞬間、ノイズが爆発的に膨らみ、全員のインカムが悲鳴のような音を立てた。

その中に、確かに聞こえた。

“帰れ”という声。

ユリの心臓が跳ねた。

人の声ではなかった。だが、確かに意志を持っていた。


彼女は思わず叫ぶ。


「……蒼さん、これがあなたの残したものなの?」


霧の向こうで、塔が微かに光った。

鉄骨の隙間から、深く青い光が漏れていた。


【地下・蒼】


その同じ瞬間、蒼は警報音に気付く。

端末に無数の警告が踊る。


「地上センサー反応……誰かが来ている?」


浅井の声が通信に入る。


「蒼、まさか君が外に情報を流したんじゃないだろうな。」


蒼は答えない。

ただ、塔の中でゆっくりと目を閉じた。

地上と地下。

二つの鼓動が、今、重なろうとしていた。


【制御室・蒼】


警報が鳴りやまない。

赤いランプが、脈打つように壁を染めていた。

モニターには、各区画のステータスが警告色に変わっていく。


「……間に合ってくれ」


蒼は冷却ラインの制御を手動に切り替え、最下層ゲートの封鎖プロトコルを起動する。

同僚たちは騒然としていた。

誰もが指示を待ちながらも、誰も責任を負いたがらなかった。

蒼の指先が震える。

自分が今閉じ込めようとしているのは、兵器ではなく――あの研究の“結末”そのものだった。

端末が低く唸りを上げ、重いロック音が遠くの壁から響く。


「地下封鎖、開始……!」


制御AIが無機質に告げた瞬間、モニターの一角に微かな影が映る。

黒く大きく、波のように揺れる塊。

蒼は息を呑んだ。


「……もう、動いているのか。」


【地下通路・ユリたち】


空気が重い。

何かが動いている。

ユリたちはライトを頼りに進む。

天井から落ちる水滴の音が、心臓の鼓動と重なる。


「……今、聞こえた?」


背後の青年が囁いた。

次の瞬間、闇が膨らむ。

光を吸い込み、空気が歪む。

巨大な影が、壁際の鉄骨を擦りながら姿を現した――形の輪郭は掴めない。ただ、質量と呼吸だけがそこにある。

ユリの喉が詰まる。

逃げるべきか、息を潜めるべきか。

判断が追いつかない。

奥のスピーカーから、微かな電子音がした。


《封鎖が完了しました。安全区画への退避を確認してください》


安全――その言葉が、逆に寒気を呼んだ。

この地下に「安全」など、もうどこにもなかった。


蒼が上で何をしたのかを知らぬまま、ユリたちは闇と対峙した。

その呼吸音が、壁を震わせた。

次の瞬間、ライトがひとつ、ふっと消えた。


【制御室・蒼】


警報が止まった。

赤く瞬いていた非常灯が一つ、また一つと消えていく。

封鎖完了のサインが点滅し、ターミナルに〈安全圏確保〉の文字が浮かぶ。

それでも蒼の胸は、ひどく重かった。

封鎖とは、つまり切り捨てだ。

彼の中で何かが軋み、壊れそうになっている。


「……これで、いいのか?」


答えはない。

だが彼は、記録ファイルを一つだけ開いた。

“被験体群の倫理申請書・未承認”。

そこに並んでいた署名の末尾に、自分の名前を見つける。


【地下通路・ユリ】


天井のパイプから、ゆっくりと蒸気が漏れていた。

誰かが息を潜め、もう誰かが祈っていた。

封鎖の音が響いたとき、彼女は理解した。

――外へは戻れない。

だが、その向こうで微かな振動が伝わる。

地の底から何かがうごめくような低い響き。

照明の残滓に、巨大な影がゆらめいた。


「走って!」


ユリの叫びとともに、避難所で共にいた数人が闇へと駆け出した。

視界の端で、黒いものが一瞬、光を吸い込む。

音もなく、しかし確実に“存在する”気配。


【制御室・蒼】


通信機がノイズを拾った。


「……たすけ……」


微かな声が混じる。

ユリのものか、それとも誰か別の――。

蒼は立ち上がる。

封鎖した扉の再開放には、上層の承認が必要だ。

それでも、彼の指はもう一度キーボードへ伸びていた。

画面には、再び赤い文字。


〈封鎖解除要求:実行しますか〉


「……俺は、どこまで罪を増やせばいい?」


蒼の声が地下の静寂に溶けていった。

そして塔全体がわずかに、呻くように揺れた。

モニターの光だけが、部屋を照らしていた。

緊急遮断の赤いラインが点滅を繰り返し、地下の全通路は封鎖されている。

だが静寂は安堵ではなく、胸の奥でひどく重い。

蒼はゆっくりとヘッドセットを外した。

耳の奥にまだ、あの“咆哮のようなノイズ”が残っている気がした。

——あれは生きている…封じ込めただけだ。

背後のドアが開く音。

浅井の冷ややかな声が響く。


「よくやった。被害は最小限だ。あとは報告書の形を整えればいい」


蒼は黙ったまま、キーボードに視線を落とした。

“被害”という言葉に、無数の顔が浮かぶ。

ユリたち、地上の人々——そして自分。


「……あなたは、それを“成功”だと呼ぶんですか」


浅井は一瞬だけ表情を曇らせ、しかしすぐに冷笑した。


「理想を抱くなら、科学者などやめればいい。現実を動かすのは結果だ」


蒼は答えなかった。

だが、その手はもう次のコマンドを入力していた。

通信ログの暗号化を解除し、データの転送準備を進めている。

“誰かに、この真実を託すために。”


──


【地下・ユリ】


酸素マスクのフィルターが、息を吸うたびにひゅうと鳴る。

暗闇の中で、壁に走る配管の間から冷たい空気が流れてくる。


「こっちだ……出口があるはず」


だが次の瞬間、遠くで何かが軋む音がした。

低く、金属を擦るような重音。

照明の切れたトンネルの先に、何かが動いている。

息を呑む仲間たち。誰も声を出せない。

ユリは小さく呟いた。


「……あれは、まだ生きてるの?」


目を凝らすと、闇の奥で赤い光が二つ、ゆらりと瞬いた。

それはまるで、地下全体が呼吸しているようだった。

ユリの喉が震えた。


「走って——!」


その瞬間、世界が再び動き出した。


【報道・翌朝】


夜明けと同時に、各局の速報が画面を埋めた。


「T県U市地下で不明な爆発。防衛省は“訓練中の事故”と説明」


同じフレーズが繰り返され、アナウンサーの声にはどこか硬い緊張が滲んでいた。

だが現場を取材する記者・相馬は、カメラを向けた某テーマパークの空に“灰色のもや”を見た。


「……あれは、本当に煙なのか?」


その背後で、住民たちは沈黙していた。誰もが言葉を選んでいた。


【蒼】


制御室のモニターは黒く沈んでいた。

封鎖成功。

――それは報告上の言葉でしかない。


(救えたのか、それとも……閉じ込めたのか)


指先が震える。

冷却装置の低い唸りだけが残り、蒼は壁にもたれた。

ふと、机上の古い紙束に気づく。


「タワーオブインフィニティ計画・倫理検証報告書」


そこに自分の署名があった。

――止めるべきだった署名。


【ユリ】


暗い通路を、ゆっくりと歩く。

封鎖の瞬間、轟音が響き、照明が落ちた。

仲間の一部は行方がわからない。

だが確かに――「あの影」は動きを止めていた。

壁に触れる。

鉄の冷たさの奥で、かすかに何かが脈打っている。


「ここは…生きてる」


その言葉を口にした瞬間、足元の床が低く鳴った。


【報道局・夜】


ニュースルームの片隅で、相馬が匿名のメールを受け取る。

差出人:A.O.

件名:「塔の下に、人がいる」


――再び、沈黙が破られようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ