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二人と別れるとき、彼らは将臣に連絡先を教えてきた。将臣は驚いていたが、それが猛夫もだったことに一番驚いた。わかなは上機嫌でスマホの電話番号を歌うように唱え、電話をして将臣の声が聞けることに喜んでいた。猛夫はぶっきらぼうに自分の番号も教えると将臣にいい、棒読みのように番号を言ってきた。将臣はその番号も登録し、2人と連絡先を交換した。
「これで何時でも繋がれるわ、将臣さん」
わかなはあの優しい、情熱的な眼差しで将臣を上目遣いで見てから、立ち去って行った。猛夫は何も言わず、先に立ち去っていたが、2人は買った飲み物の袋を持ちながら自宅に戻っていった。
それから2日後のことだった。白河猛夫から電話が来た。どうしたのかと尋ねると、仕事を辞めてしまい、暇だから一緒にS市の釣り堀に行かないかということだった。将臣は仕事が入っていなかったので、彼とともに釣り堀に行くことにした。
2人は、水面に糸を垂らし並んで座りながら、ぼうっとしていた。猛夫の今日の服装は、黒いスラックスに白の開襟シャツだった。猛男は、器用に片手でタバコを吸いながら、片手で釣りざおを持っていた。
「どういう風の吹き回しなんだ?」
将臣が釣りざおを弄りながら言うと、猛夫は顔を覗き込みながら言ってきた。
「会いたくなってね。あんたなら俺の暇つぶしになってくれると思ったんだ」
「今日は姉は来てないんだな」
「ねえさんは今仕事に行ってんだ。1回7万くらいするくらいの」
「高級風俗店か?」
「そうそう。見た目いいから金になるんだ」
「お前の姉は以前AV女優だったみたいだな」
猛夫は将臣の顔を観察しながら、言葉を続けた。
「ああ。ねえさんはそういう仕事しかできないのさ。あんな見た目だから、すぐ男が寄ってくるんだ。
あんたも調査のためとか言って、姉貴のAV鑑賞したんだろう?」
将臣は咳払いした。事実だった。
「お前の姉は普通の仕事もしていたのか」
「前は高校卒業してから、食品メーカーの社員として入社したことあるけど、すぐに上司に手を出されて辞めたんだ」
「どうして訴えなかったんだ」
「訴えたって潰されるんだ。俺たちの人生はいつもそう」
猛夫は遠い目をしながら呟くようにいった。その顔は幾つもの困難を乗り越えようとしたが、うまくいかないことばかりで疲れ果ててしまった顔だった。
「ねえさんは、普通にしてても目立つんだ。だからいつも何サイズか大きいダボダボの体の線が出ない服を着てるんだけど、それでも気づくやつがいるんだ。地味な見た目したって変わんなかった。いや、地味にしたらそれ以上に悪くなったんだ。そういう嫌らしいやつはたくさんいて、ねえさんを狙ってる」
「お前の姉は、自分の容姿に悩まされてるんだな」
「ああ。俺はねえさんに体売る仕事なんかさせたくなかった。だから、どうにかして普通の仕事をさせれるように根回ししてきたつもりなんだけど、いつも手を出すやつが出てくるんだ。ゴキブリみたいに唐突にそいつらはやってくる」
「昔からそうなのか」
猛夫は目を尖らせて、将臣の顔を見ながら言った。
「最初はね、おれの父親がそうだったんだよ」
将臣は振り返って、彼の顔を見つめた。猛夫は視線をそらして、水面を眺めながら続ける。
「俺とねえさんは、3歳違いでね。ねえさんが9歳くらいの頃に手を出してるとこを見てしまったのさ。俺が何してるの?って近づいていくと、真っ裸にされたねえさんと父親が布団に重なり合ってたんだ」
将臣は眉間に力を入れて、俯いた。
「俺は最初、父親に騙されたんだ。ただじゃれて遊んでるだけなんだって思った。ねえさんもそんな嫌な顔しないでいるから、ただなんかやってるだけだと思ったんだ。でも、そのことを優しい神父さんに聞いたら、青ざめた顔で言われたんだ。それは酷いことだって。俺はそう言われてから、父親とねえさんのとこに行って、やめるように言ったんだ。でも、父親は笑いながら、お前もやるかって言いやがった」
「辛かったな」
「俺は止めに行ったけど、父親は止めようとしなかった。俺がやめさせようとすると、今度は俺に暴力を振るうようになったんだ。俺は、自分が痛い思いをするのが嫌だったから、姉が犯されるのをずっと脇で震えながら見てたんだ、俺は卑怯者なんだ」
「お前のその頃の歳ではどんな子供も非力だろうよ」
将臣は同情の声をかける。自分が同じ立場でも、きっと出来るのはそこまでだろう。子供のために働き、生活をさせる親は絶対的な上の立場で子供を操作する。親に逆らえば、歯向かった罰として殺される運命なのだ。その閉鎖的な世界で生き残るためには、親にとっての都合のいい人間になるしかない。
「俺は中学生になるまで、ずうっとそんな調子だった。ほんとに自分が嫌いになりそうだった。母親も祖母もそのことを知っていそうなのに、なんにも言わないんだ。その気持ちの悪さがわかるか?俺んちは狂人の集まりだったんだ。かび臭くて、猫の糞尿の酷い臭いがする平屋の家でね、日が全然当たらない、陰気な雰囲気をした家だった。そこに一日中いると、洞穴にいるように冷たいんだ。それにね、猫を飼ってたんだけど、去勢しないからぽこぽこたくさん子猫を産むんだ。そのたんびに、ばあさんが農薬の袋に生まれたまんまの子猫を入れて、川に投げるんだ。俺はその場面を同級生に見られて、恥ずかしくなったよ。俺は姉さん以外の家族がみんな嫌いだった」
猛夫は一点を見つめたまま、苦しげに呟いていた。
「俺は気が狂いそうだった。ねえさんが飼ってる猫みたいになっていくんじゃないかって。最後には子猫みたいに捨てられるんじゃないかって思ってたよ。ねえさんは襲われても平気な顔をしてた。きっとあれは、脅されてたんだ。俺はそう思ったよ。ねえさんはいつも言うんだ。自分の身体を差し出すだけで問題が解決するならそうするって。そのせいで、姉貴はどこ言っても淫売だの、汚らしい女だの、ヤリマンだの言われるんだ。汚い人間がねえさんにそう言って、都合よく使って捨てるんだ。簡単に寝る女だって吐き捨てて、みんなで軽蔑した目でねえさんを見つめるんだ。こんな酷いことないだろう?ねえさんはそんな酷いことを言われながら、自殺をしようとは決してしなかったよ。それを俺はいつも不思議に思ってるよ…」
「人は過去から作られるか」
「俺たちは最初から地獄みたいなところで生まれたんだ」
将臣は自分も煙草を吸おうと、手に持っていた竿を地面に置き、尻ポケットに入れていた紙タバコを出した。
「あんたも不良だったんだな」
猛夫はそこで同志を見つけたような和らいだ笑顔を見せた。
「お前のねえさんに嫌われるな」
将臣が微笑みながら言うと、彼がライターを出す前に猛男がライターの火を近づけて将臣のたばこに火をつけた。
「気が利くな」
将臣はそう言って、息を吸い込む。苦い味が口内に広がる。
「俺は一人でいると、不安に飲み込まれそうになるんだ。俺の選んだ道は正しかったのか、分からなくなる。俺は中学生になってから、父親に反抗したよ。俺のほうが力で勝つようになったんだ。あの時のことは忘れられないよ。真っ暗な暗がりに明かりがついたような気分だった。自分の手で汚らわしいものを追い払えたんだ。父親は俺を見るたびに、怖がるようになった。俺は家の中で、ねえさんを守れるようになった。その頃から俺はずっとねえさんと一緒にいようと決めたんだ」
「実の父親を止められるようになったんだな」
将臣がそう言うと、猛夫はバチリと顔面に痙攣を起こした。それを気にするように手で顔に触れて、擦っていたが、また離して話し始めた。
「俺は、ずっとねえさんを助けれなかったことをずっと後悔しているよ。いち早く助ければ、ねえさんの苦しみはすぐに終わってたのに、俺が弱かったばかりにずっと我慢してたんだ。俺はねえさんを幸せにするために自分の人生を使わないといけないと思ったよ。
でもね、一難去ったらまた一難で、今度は学校生活が酷かった。ねえさんは告白されるたびに受け入れて、いろんな男と関係を持つようになってたんだ。理由を聞くと、振ってしまうのがかわいそうなんて言うんだ。ねえさんは振るくらいなら、自分が全員と関係を持ってみんなで愛し合おうとしてたんだ。それを面白く思わないヤツらはたくさんいて、ねえさんを自分の所有物みたいに近くにおいて見せびらかしたい奴がいてね。ねえさんはいろんな男に気持ち悪いって言われてたよ。あいつらは、自分のものにならないって分かるとすぐに手のひらを返して、悪口を言うやつらなんだ。寄ってくるのは体目的の男ばかりだった。ねえさんはそういうやつをいち早く察知すると、嫌がって俺と一緒にいるようになった。ねえさんと俺はどこに行っても後ろ指をさされてたよ。男にも女にも会うたんびに、体を寄せてヒソヒソ声で話されるんだ。最初はとても傷ついたけど、慣れるとどうでもよくなった。」