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その瞳は潤んでいて、包み込むような優しさと艶やかさが共存していた。目が合ったものをくぎ付けにさせるような魔性なものが宿っている。目の前の女性といると、ずっと体が疼いて堪らなかった。何分おきかに秘部がひくひくと盛り上がってしまう。緊張感が漂いながらも、この食事の先にある、目的だけを願ってしまう。目の前の女性がどのような姿になって、自分の前にさらけ出すのか、その妄想だけが逞しくなってしまう。
柔らかな笑みを浮かべたぽってりとした唇が、声をだすたびになめくじのように動く。その聞くものをうっとりとさせる、透き通った空気を含んだ甘ったるい声がずっと艶めかしい事を考えさせてしまう。セミロングの茶色の髪がツヤツヤと蛍光灯の下で光り、ノースリーブの服から覗く白いもっちりとした肌が肉感的で思わず触れてしまいたくなる欲望を掻き立てる。
「聞いているの?」
小首をかしげながら、優しい表情で尋ねた女白河わかなは対面していた男、久慈村翔に視線を向ける。
久慈村ははっとして、真っ赤になって聞いてるよと返事した。わかなはその反応を見て、にやりと笑った。
「ずっと、私の二の腕を見てたけど、どうしたの?」
そのゆっくりとした誘うような調子に、久慈村は慌てて謝る。そんなつもりじゃなくてと、性的な事を考えていたにも関わらず、嘘をつく。
出会いはマッチングアプリだった。わかなは自分の顔写真を出さないタイプの人間で、久慈村はその態度に引け目を感じてどうせコンプレックスのあるブスが来ると思って、体目的に相手とやりとりし、居酒屋で会うところまで漕ぎ着けた。わかなは、会う段になってもすんなりと同意するだけで、警戒することなく、のこのこと久慈村の誘いに乗ってくるだけだった。
このような主体性のない女ならば、流れで肉体関係を持てるだろうと予想だてた久慈村は、店前で待ち合わせをして、彼女をみた瞬間に自分が甘く見ていたことに気づいた。そこには、ひときわ目立つ艶かしい女性がいた。着ている服が、彼女の魅力をひときわ引き立たせるもので、その流れるような腰つきや肉感的な二の腕、形のいいお尻、盛り上がった乳房が見るものを欲情させた。彼女とすれ違う男性の多くが彼女をチラと眺め回し、どのような女性なのかと値踏みしている。彼女はマスクをしていても、見るものをうっとりさせるような容姿をしていた。久慈村は自分の予想が大きく外れたことにショックを受けながら、彼女のもとに行くか悩んだ。彼女と自分では明らかにでこぼこした2人に見えた。わかなは洗練された身なりで、この個室の居酒屋に来ていたが、久慈村はあまりにも雑に着まわしたTシャツとジーンズ姿だった。久慈村は自分の甘さに舌打ちをした。
「しょうさんはどんな食べ物が好きなの?」
頬杖をしながら、わかなが囁くように言った。彼女が口を動かすたびに、色気が放出する。
「俺は焼き鳥かな。わかなさんは何食べる?」
「アイスクリームが食べたい」
細い指を口に軽く咥え込みながら、上目遣いに久慈村をまっすぐ見てわかなが言った。それは意識的な行動だったが、効果は絶大だった。わかながその口に真っ白な液体をねっとりと味わい、口で舐め回す淫乱な姿が久慈村にはすぐに想像できた。彼女は明らかに誘っていた。久慈村はその積極的なアプローチに恥ずかしくなりながら、滾る性器を落ち着かせようと冷静になろうとした。
「それじゃあ注文しようか。お酒は飲む?」
久慈村かわかなに尋ねると、彼女はウーロンハイを頼んだ。久慈村はハイボールを頼む。
「それにしても、わかなさんは色っぽいね。
よく言われない?」
久慈村が話し始める。彼女が今回の会食で何が目的なのかを探る。久慈村の狙いは一つだった。
「言われるけど、皆そんなものよ。男性とあってる女性はみんな色っぽくなるわ」
「他の人に比べて、とても色っぽく見えるよ。
どうしてそんな綺麗なのに、あのアプリで写真を表示しないんだい?見せれば、色んな人が君に魅力を感じて、アプローチするのに」
わかなはそれを聞いて微笑むと、写真を出さない理由を話し始めた。
「私はね、心がつながって話せる人が欲しいの。自分のことをありのままに話せる人と一緒になりたいの。
私の容姿で選ばない人とずっと脇目も振らず、愛し合いたいの」
わかなは真剣な目つきで、コップを見つめながら言った。
「わかなさんだったら、そういう人がすぐ見つかるよ」
率直な言葉だった。このくらい美しい人なら我慢してでも彼女に話を合わせてやりとりする男がいるはずだ。彼女のために一生を捧げる男もいなくはないはずだ。
「それがだめなの。みんな私の本当の姿を知ると逃げるようにいなくなるのよ」
注文した飲み物が届く。久慈村が二口飲み物を飲む。
わかなの顔は一気に憂鬱そうな重苦しいものになった。過去を思い出しているのか、その過去が嫌な思い出だったみたいだ。
「本当の姿って?」
久慈村は笑って問い返したが、わかなの真剣な表情は変わらず口元だけほほ笑んだ。
「私の本性よ。愛が重いって言われるわ」
「見てみたいなあ。わかなさんの本当の姿」
久慈村が思わせぶりに言うと、わかなと視線が重なった。その慈悲深そうな潤む瞳が久慈村の顔に注いでいると思うと、体が熱くなる。わかながじっと見つめながら、久慈村の口当たりに手を差し出して、彼の唇を指で拭った。
「雫がついてるわ」
久慈村は真っ赤になって、思わず俯いた。わかなの指は冷たかった。久慈村は耐えきれなくなって、立ち上がりトイレにいくと言って逃げた。
便座に座って、頭を抱えながら体の興奮を落ち着かせる。あとすこしで、手を出すところだった自分がいた。あの態度は明らかに誘っている態度だった。久慈村は、このあとどのような態度で彼女に会えばいいのかわからなくなっていた。流れに任せて、あの場で唇を奪えば、その場で行為を行っていたかもしれない。
わかなはやる気満々だった。久慈村は酒の力を借りて、話を進めることにした。
「大丈夫?」
心配した顔をしたわかなが、ドアを開けた瞬間に言ってきた。久慈村は、にこやかに笑って、「大丈夫」と返事する。ソファに座る。傍らにあるハイボールを一気に飲んだ。わかなはすこし驚いて、その様子を眺めていた。
「今日はなんだか、楽しい一日になりそうだ」
久慈村がわかなを見つめながら言うと、彼女は微笑んで「そうね」と相槌を打つ。
久慈村は次々と酒を頼んだ。頼んでいた焼き鳥とアイスクリームが来て食べ始める。わかなは想像していた艶かしい食べ方などしなかった。子どものように、目の前にきたアイスクリームを見て目を輝かせ、小さくスプーンですくって、ぱくぱく食べていた。その様子に久慈村は残念がったが、そのかわいらしい食べ方も魅力的だった。じっと見ていると、首を傾げながらわかなが「どうしたの?」と言った。
「食べ方が可愛いと思って」
「はじめて言われたわ。そんなに見つめられると、緊張して変な食べ方になっちゃうわ」
二人で笑いあって、久慈村はねぎまに手を伸ばす。
追加注文でシーザーサラダとほっけの塩焼きとポテトと唐揚げを頼む。わかなにも遠慮せず食べていいと伝えると、枝豆と豆腐のサラダを頼んだ。
「健康的なものを食べるんだね」
「そうでもないわ。今食べたい気分なの」
久慈村はわかなと話すのがとても楽しかった。マッチングアプリをしていて、一番盛り上がったかもしれない。彼が以前会った女性は、最初から彼を見るなり冷たい態度で、久慈村が質問をしても一言しか返事をしない女性だった。明らかに、久慈村の外見が思っていたものと違うという非難の目で彼に対応していた。彼はそのことに傷つき、この日を境に女性に対しての見方が変わった。マッチングアプリで会う女は、高飛車で面倒くさく、期待が外れるとすぐに冷たい態度になる。彼は1回の体験だけで偏見を作ってしまったが、わかなと会ったことで、その考えが氷解した。
と、楽しい気分でふわふわとしていた時だった。突然目がしょぼしょぼしだして、視界がぼやけた。顔が重くなり、テーブルに顔を横たえないといけないくらい、支えれなくなった。呼吸がしづらくなり、唾を何度も飲んで苦しみながらも、なんとか息継ぎした。のどが狭くなっている気がした。こんなに呼吸がしづらくなったのは初めてだった。テーブルに自分の出した唾液がどろどろとでていく感触があった。彼は罠にかかったと気づいた。体が動かなくなって、足の感覚がなくなっていく。誰かがドアを開けた音がした。
「いっちょ上がりじゃないか!ナイスだねえ」
男の弾けるような活気のある声が個室で響いた。わかながぞんざいな口調で男に話す。
「あとはあんたの出番でしょ。私はここまでなんだから」
「はいはい。わかったよ。今回の男はどうだった?」
わかなの刺すような瞳が自分を貫いているような感覚になった。久慈村は自分が蜘蛛の巣に引っかかった蝶になった気分だった。彼は必死に動こうとしたが、体が言うことを聞かなくなっていた。耳だけが正常に動いていた。
「だめよ。この人も私みたいじゃないわ」
「期待外れか。まあ、手を出さなかっただけ他のやつらよりましじゃないか。こいつはまだいいやつだ」
男が同情的な声音で言った。この男はなんなんだ。彼女の彼氏にしては、熱もなくただ飄々と話しかけている
「それでもあんたはやるんでしょ」
わかなの口調が重苦しくなった。男は軽快な口調で、「まあね」と言って、久慈村の体を持ち上げる。久慈村のポケットをまさぐる男の手があった。財布を引き抜き、声を上げる。
「こいつは、欲で動いたんだ。それだけで罪な存在だろう?」