夜の流れ
愛理は「ビブレ」の床に落ちていたパンフレットを手に取った。
「これ……」
黄ばんだ紙は、映画のパンフレットだった。そこには女優の横顔と、大きな明朝体でタイトルが記されている。
「見て、みんな」
愛理が手にしたパンフレットを広げると、モリエと野間が顔を寄せた。
「なんだか懐かしい匂いがするわね」とモリエが言う。
愛理は紙の手触りを確かめながら、呟いた。
「この映画に関わっていたのを……思い出したの。
変ね、なぜかしら。ずっと忘れていた」
「もしかして、愛理さんは脚本家だったんじゃないかしら?」
モリエがそう口にしたとき、野間がゆっくりと声を上げた。
「『夜の流れ』……1960年、吉村公三郎監督……」
野間の目はチラシの小さな文字を追っていた。
「山本富士子が演じる妻は、夫の裏切りにより家を出て、ホテル暮らしを始める。
でも、どこかで信じているの。夫がいつか、愛人を捨てて戻ってくるって。その信念が……やがて残酷な希望に変わる。静かに崩れていく心。それでも、彼女は『帰ってきて』とは言わない。誇りを失わない、ただの女じゃなく……誇り高い女として、待ち続ける」
野間の声が震えていた。
「……思い出したの。なぜここに来たのか」
その場にいた誰もが野間の言葉を待った。
「私、自殺しに来たのよ。ここに。
そして……愛理さんだけじゃない。私も記憶をなくしてた。
死んだ理由も、生きてた頃のことも……」
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愛理は、パンフレットを見つめて呟いた。
「誇りをもって生きた女の話。
私……この映画の脚本を書いた気がする。
だとしたら――なぜ、記憶喪失に?」
(皆に背を向け、キョロキョロしながら後藤が入ってくる)
後藤 「誰かいますか?」
(一同、後藤を見る)
後藤 「誰もいないなら入りますよ」
(後藤、振り向いて一同を見る)
後藤 「……わッー!! なんですかあなたたち!」
愛理 「後藤さん、私たちが見えるんですか?」
後藤 「え、なんで私の名前を?」
愛理 「心霊写真売りの後藤さんですよね」
後藤 「そうですけど。以前どっかでお会いしましたっけ?」
モリエ 「以前ここに来られてたじゃないですか。お人が悪い」
後藤 「人が悪いってどういうことですか?」
モリエ 「ほら、私たち。ほら、スマホの写真に写ってたでしょ?」
後藤 「あ! あの幽霊! ちょっとまって。あ、そっちの方も」
(入ってきた野間を指さす)
野間 「それが心霊写真の正体ですわ」
後藤 「ばっちりの心霊写真! これは、お金になるわ!」
モリエ 「それは無理だと思いますよ。だって後藤さん、死んでるでしょ」
後藤 「え?」
幸枝 「だって私たちが見えるでしょ?」
後藤 「…そうだ。心霊写真にひどく驚いて、バイクを飛ばしていたら、スリップして…即死でした」
愛理 「即死ですか」
野間 「それはお気の毒に」
後藤「ここは?」
幸枝「あの世に旅立つ待合室ですよ」