忘却の渡し 愛理とモリエ(待合室編)
忘却の渡し 愛理とモリエ
大きな川の流れは、今日も静かに空を映していた。夕陽が水面に揺れて、金色の道をつくっている。その先を、小さな船が一隻、ゆっくりと桟橋から離れていった。
愛理はひとり、桟橋の端に立っていた。コートの襟を少し立て、じっとその船を見つめていた。誰かを見送ったわけでもない。ただ、船が出ていく光景が胸の奥をひどくざわつかせた。
「誰か、知り合いが乗ってたのかい?」
その声に、愛理は振り返った。モリエだった。いつのまにか背後に立っていて、やわらかく微笑んでいる。
「ううん、違うの。ただ……ああいうのって、なんか、残される側の気分になるの。」
「わかるよ。私もさっき、見送ってきたばかり。」
「誰を?」
「ビオレで知り合った人。船の乗車券が発行されたって知らせがあったの。それで、今朝お別れしてきた。」
「……ビオレ?」
愛理は少し首を傾げた。
「えっ、知らない? この近くの喫茶店。静かで、窓から川が見えるの。ホテルの中にある店なんだけど、雰囲気があって、コーヒーも丁寧で……ほら、ちょっと落ち着きたいときとか、いいんだよ。」
モリエの声には、思い出の温度がこもっていた。
愛理は少し考えてから言った。
「行ってみようかな。今、なんとなく……そういう場所、必要かも。」
「じゃあ、いっしょに行こう。ひとりで行くより、美味しくなるから。」
ふたりは桟橋を離れ、川沿いの小道を並んで歩き出す。風は少し冷たかったけれど、足取りは不思議と軽かった。
ビオレの小さなベルの音が、扉を開けると軽やかに響いた。