なぜ 愛理は日本に来たか? 試し書きその1
1941年、ロサンゼルス。
スタジオの敷地に朝霧が漂うなか、愛理は撮影所の奥、脚本部の一室へと向かっていた。
ワーナー・ブラザーズの脚本助手として働いていた。
ニックネームは「アイリーン」。
カリフォルニア生まれの日系二世、愛理。
だが彼女の戸籍は「中華民国籍」とされていた。
日系人に対する疑念と憎悪が社会に広がるなか、夫であるワーナーの重役は、愛理の身を守るために彼女の国籍を「書き換えた」。彼女自身の意志ではなかったが、愛理は黙って受け入れた。生きるために。
彼女の兄――利久。
人々には“リック”という名で記憶されている。
利久もまたカリフォルニア生まれ。東京ジョーとは同郷で、少年時代を共に過ごした幼馴染だった。貧しい日系人街で、二人は「ここを出て、もっと自由に生きたい」と夢を語り合った。
やがて彼らは本当に旅立った。ニューヨークへ。
ジョーは裏社会に入り込み、利久もその流れに乗った。
だが、抗争のさなか、利久は誤ってマフィアのボスを殺してしまう。
逃げ道を失った彼に手を差し伸べたのが、愛理と利久の叔父――国吉康雄だった。
国吉は当時、画家としてアフリカへの撮影旅行を計画しており、利久はその一行に紛れてモロッコへと逃れた。
やがて彼はカサブランカに姿を定め、“リック”と名乗り、カフェを開いた。
そこは、ヨーロッパからの難民がアメリカへの脱出を願って集まる場所となり、彼は再び裏の世界に手を染めて生き延びていた。
愛理は叔父からその顛末を知らされ、さらにある戯曲を託された。
『Everybody Comes to Rick’s』――ニューヨーク在住の教師たちが書いたその戯曲には、リックという名の男が、亡命者たちの希望を背負って立っていた。
愛理にはすぐに分かった。
それは兄の物語だ。どこかで、この物語は兄の人生に触れて生まれたのだと。
愛理は原作を携えて、ワーナー・ブラザーズの選考室へと入った。
その脚本を読んだダイヤモンド嬢は、静かに言った。
「愛理、これは彼のことね?」
彼女はうなずいた。
「でも兄は、名を残したくなかった。だから……“リック”でいいんです」
やがてワーナーは版権を取得し、脚本作りが始まった。
愛理は脚本助手として、そっと兄の面影をそこに重ねていった。
「映画は嘘。でも、本当のことを言える時もある」
それが、彼女の中にある唯一の希望だった。