トニー谷子
「ビオレ」の壁掛け時計が、まもなく8時を告げようとしていた。
「♪8時ちょうどの~あずさ二号で~」の曲が流れる。
どこからともなく声が割り込む。
「たわし! は たわし! は あなたから旅立ちます〜!」
そこにいた野間が思わず吹き出す。
「……あんた誰?」
紫のフリルドレスをまとい、額にそろばんをバンダナのように巻いた奇怪な女が、
たわしをマイク代わりにして名乗る。
「わたくしざんすか? トニー谷の弟子だった、トニー谷子ざんす!」
続いてそろばんをポロンポロン鳴らしながら歌い出す。
「あなたのボーナスなあに〜ざんす〜? ふところ事情が気にな〜るざんす〜」
そろばんをジャラララッと回してパチン!
「……あら、200万円ざんす! 薄給ざんすね〜!」
野間がむっとしながらも笑いを堪えきれずにいると、
モリエが顔を出す。
モリエ「……あんた、トイレから出てきたと思ったらなんなの?」
トニー谷子はくるりとターンしながら投げキッス。
「ざんす芸は突如あらわれ、突如去る。それが美学ざんす!」
野間「なにそのプロ意識……ていうか、“ざんす芸”ってジャンルあるの?」
トニー谷子がそろばんを持ち直し、決めポーズ。
「芸は身を助けるざんす。そろばんは、音も出るし計算もできる便利アイテムざんす!」
そのとき――
「ボ~~~~~~ッ!」
という船の汽笛のような音が店内に鳴り響く(※店の空気清浄機の故障音である)。
トニー谷子はぴたりと直立して一礼。
「そろそろ……時間ざんすね」
そう言い残し、カウンターの後ろにスッ……と姿を消す。
野間「え、どこ行った!? この店、秘密通路あるの!?」
モリエ「……ちょっと、椅子にこれ置いてあったわ」
と差し出したのは、ピンクの紙ナプキンに走り書きされたメモ。
『また来るざんす♡ 今度はナポレオンズの弟子も連れてくるざんす』
野間「いや、連れてこないで!」
モリエ「てか、あの人、トニー谷に似てたわね……」
野間「……イヤミってキャラのモデル、トニー谷だったらしいよ」
モリエ「じゃあ、イヤミの弟子の弟子ってこと?」
野間「もう何代目かわからんけど、“ざんす”の血だけはしっかり受け継がれてる」
そして、何事もなかったように野間が歌い出す。
「♪たわし〜 は たわし〜〜 は あなたから〜〜〜」
モリエ、ぽつりとつぶやく。
「……歌詞だけは地味にクセになるのよね」