第6章:静かな灯の街で
セオの案内で、クラディアの街をさらに奥へと進んだ。
「クラディアは放棄されたってことになってるがな、実際は……半分生きてる」
そう言いながら、彼は通りを歩く人々に軽く手を挙げて挨拶を返していた。
返す笑顔は、どこかのどかで素朴だが、都市の管理区域では見られなかった“人の気配”があった。
AIの目を逃れるように張り巡らされた小道。
人力で修理された配電盤。
そして、木造の建物の窓からこぼれる、ランプの温かい光。
「ここにあるのは、かつての“当たり前”だ。
仕事して、飯食って、眠るだけ。でも、それが“ちゃんと人間でいられる”ってことなのさ」
ノアは時折エレナを気にしながら、足元の石畳に視線を落とした。
「……なんか、不思議だね。何も管理されてないのに、ちゃんと街が回ってる」
「そう見えるか?」
セオが笑った。
「ここの連中は“誰かに決められる暮らし”より、“自分で選ぶ不安定”を選んだ。
AIの目がない分、楽じゃないけど──自由ってのは、そういうもんだ」
その言葉に、エレナの胸の奥が小さく波打った。
──自由。
それは、失って久しいものだった。
不意に、前方から足音が聞こえた。
工具をぶら下げた若い男がこちらに歩いてくる。肩にかけた端末バッグと油染みのあるブーツ。
どこか快活で、けれど人をよく見ている目をしていた。
「ジュリアン!」
セオが声をかけると、男は足を止めた。
「なんだ、セオ。あんたまた街案内中か?」
「お前の得意分野でもあるだろ。……紹介する。エレナとノアだ。アッシュの推薦で来た」
「へぇ……」
ジュリアンは目を細め、2人を見たあと、小さく頷いた。
「ジュリアン・ネヴァ。クラディアの物資と流通担当ってとこ。
ようこそ。……まあ、ようこそって感じでもないか」
少し照れたように笑う。
「……あ、それと」
ジュリアンがセオに向かって言った。
「例の場所、ちょうどいい時間だ。ちょうどパンも焼き上がった頃だぜ」
「おう、それはタイミングがいい。ほら、2人とも──行こうぜ」
セオが手招きし、木造の角を曲がる。
その先に立っていたのが、小さな看板だった。
**「Mora’s Kitchen」**──
「ここだよ。クラディアで一番のレストランだ」
セオが誇らしげに言う。
「……まあ、飯が食えるのはここしか無いんだけどな」
その言葉に、近くのテーブルの客たちがどっと笑い声をあげた。
その中を、威勢のいい声とともに厨房から現れたのが──彼女だった。
「ちょっとセオ、あんたまた勝手に客を連れてきたの?ちゃんと手を洗わせたのかい?」
鋭くもどこか安心感のある声。
手にした大きな鍋を片手で持ち上げているにも関わらず、動きは軽やかだった。
背は小柄。髪は後ろでざっくりとまとめられ、袖をまくったエプロン姿。
顔には歳相応の皺があるが、そのどれもが“誰かを見てきた”時間の刻印のようだった。
「……あの、こんにちは」
エレナが思わず挨拶すると、彼女はピタリと動きを止め、エレナとノアを見つめた。
「……ふぅん。なるほど、あんたが“あの子”なのね」
そして、ふっと目元を和らげた。
「私はモラ。モラ・カーライル。ここの料理係ってとこ。よろしくね」
そう言って、エプロンの端で軽く手を拭きながら、にっこりと笑った。
「とりあえずそこ座りな。あんたら、顔色が“戦火明け”みたいになってるよ。
まずは胃袋を落ち着かせてから、話はそれから」
手際よく運ばれてきたのは、スパイスの香りが効いた野菜と豆のシチュー。
手作りのパン、そしてハーブティーのような温かい飲み物。
どれもが素朴で、でも心に染み渡る香りがした。
「……うま……」
ノアがぼそっと呟くと、モラが笑いながら鍋をかき回す。
「でしょ?
冷凍パックでもAI調理でも、この味は出せないよ。──人間の味ってのは、ね」
その一言に、エレナの胸がまた小さく揺れた。
人の手が作るもの。
心があるもの。
忘れていた“当たり前”が、湯気の向こうで、静かに息づいていた。