第5章:未来の亡霊たち
「ようこそ、クラディアへ──」
暗がりの中から現れたのは、フードを深く被った男だった。
整った顔立ちに無精ひげ、声はどこか飄々としていながら、目だけは鋭く光っていた。
「セオ・クレイン。クラディアの調整役ってとこだ」
男はフードを外しながら軽く片手を挙げた。
「アッシュから連絡があったよ。“そっちに行くはずの2人を頼む”ってな。……まさか本当に来るとは思わなかったけどな」
セオが2人を一瞥し、ふと首をかしげた。
そして、2人を指差して言った。
「……ところで、お前たちはどういう関係なんだ?」
ノアが肩をすくめ、少し照れたように答えた。
「話せば長くなるけど……親子なんだ」
セオは思わず足を止め、ノアをまじまじと見つめる。
「……どう見てもお前の方が歳は上に見えるが……まあ、中々ワケありのようだな」
ノアは苦笑し、エレナは少しだけ目を伏せた。
ノアが一歩前に出た。
「兄さん……いや、アッシュは?」
「今は動けない。それでも“お前たちに繋げ”って強く言ってたよ」
セオはわずかに目を細めた。
「クラディアはAIから見れば、存在しているようで存在していない街だ。だが、中身はちゃんと動いてる。案内するよ。──こっちだ」
2人は無言で頷き、セオの後に続いた。
クラディアの通りを進むと、どこか懐かしい匂いが鼻をかすめた。
焼けた油の香り、煙草の煙、古い木の匂い──
無機質な都市では一切排除されていた“人間の生活の残り香”だった。
やがて開けた広場に出ると、エレナは目を見張った。
焚き火の周囲には笑顔が溢れ、ギターの音が夜風に乗って響いていた。
子どもたちが追いかけっこをして、母親たちが笑いながら見守っている。
路地には手製のベンチ、干された洗濯物。
この場所だけ、まるで別の時代に切り取られているようだった。
「……ママ、大丈夫?」
ノアの問いに、エレナはわずかに頷いた。
その目は、ただ懐かしさに揺れていた。
「……昔……こういう場所、あった気がするの」
胸の奥がざわめいた。明確な記憶ではない。
しかし、焼けた匂い、木の音、ギターの旋律が、何かを掘り起こそうとしている。
その時、近くでギターを弾いていた初老の男が気さくに声をかけてきた。
「よう、見ねぇ顔だな。旅人か?」
ノアは一瞬ためらった後、小さく笑った。
「……まあ、そんなとこです。兄さんの指示で、セオさんに会いに来たんです」
男はギターの弦を鳴らしながら笑った。
「兄さん? そいつはまた堅ぇ言い方だ。ここじゃ名前も肩書きも関係ねぇ。焚き火の輪に入れるかどうか、それだけだ」
ノアは周囲を見渡しながら、ぽつりと呟いた。
「……僕たちの地区では、こういう人たちのこと、“亡霊”って呼んでました。
記録にも残らず、存在しないことにされてる。
でも──今ここにいるのは、きっと誰よりも“生きてる”」
数人の住人が顔を見合わせた。
そして、次の瞬間。
「亡霊ってか!」
「こりゃ傑作だな!」
「俺たち、幽霊だったとは知らなかったな!」
焚き火の周囲に、にわかに笑いが広がる。
「いいか、坊主」
ギターの男がニヤリと笑った。
「忘れられて、捨てられて、でも生きてるんだ。亡霊だろうとなんだろうと、ここじゃ堂々と笑って生きてんだよ」
その言葉に、ノアは息を詰まらせた。
──確かに、彼らは“亡霊”なんかじゃない。
記録に残らずとも、ここにあるのは確かな“生”だった。
そして、エレナの中に、ふたたび芽生える問いがあった。
AIに守られていた生活は、確かに何不自由はなかった。
でも──それは、本当に幸せだったのだろうか?
その答えはまだ出ない。
ただ、火の温もりと笑い声が、少しずつ心に入り込んでいた。