第3章:祈りにも似た声
金属の扉が閉じる音が、世界の終わりのように響いた。
「アッシュ……!」
エレナの膝が崩れ、鉄の床に落ちる。
嗚咽が声にならず、胸の奥からただひたすらに涙がこぼれ落ちた。
「やっと会えたのに……!今度こそ一緒に……!」
ノアは、重く口を閉ざしたまま隣に立っていた。
言葉にならない。
兄の最後の表情が焼き付いて、剥がれなかった。
『愛してるよ、ママ』
扉の向こう、あの声がすべてだった。
だからこそ、ノアには分かっていた。
──兄はもう、帰るつもりなどなかった。
エレナが顔を上げる。
濡れた頬と目元は、あまりにも脆く、しかし祈るように強かった。
「ノア……あなた、わかってたのね。あの子が何をしようとしていたか」
ノアは、静かにうなずいた。
「兄さんは、最初から決めていた。僕たちに何も言わなかったのは……迷わせたくなかったんだと思う」
ノアは拳を握りしめた。
その指先が、怒りと悔しさで白くなる。
「……ただ……ママに会ってほしかったんだ。
何かが変わるって、少しだけ……期待してた。
でも……兄さんの覚悟は、もうそこに届く場所にはなかったんだな……」
エレナは、静かにその言葉を受け止めた。
手を伸ばし、そっとノアの拳に触れる。
その時だった。
ノアの端末が、小さく電子音を鳴らした。
画面に浮かぶのは、ゴーストリンク経由の暗号化通信。
送信者は──ASH。
「兄さん……!」
ノアが端末を開くと、アッシュの低く落ち着いた声が流れた。
「ノア。聞こえてるか。
俺は、もう直接は動けない。レジスタンスを率いる立場で、これ以上はお前たちに手を貸すことはできない」
「でも……お前たちに道は残してある」
「第12構成区クラディア。そこに“セオ・クレイン”ってやつがいる。信頼できる男だ」
「この先、何か困った事が起きたら、あいつを頼れ。今のゼーレで、本当に信じられるのは、そこしかない」
通信はそこで切れた。
しばしの沈黙の後、ノアが顔を上げた。
「……クラディアか」
「行きましょう」
エレナの声は震えていたが、決意がこもっていた。
「アッシュが残してくれた道なら……それを信じる」
ノアは深く息を吐いた。
「でも、ママ──俺たち、もうトラムには乗れない。
特別区の出入りで“アラート対象”になってるし、クラディアは立入制限区だ。
それに……僕が特別区に入るために、一部のトラム網を遮断した。
正規ルートじゃ、もう無理なんだ」
エレナは目を細めた。
「なら……歩くしか、ないのね」
ノアは静かにうなずいた。
「僕たち自身の足で、ゼーレを越えていく。
クラディア、そして──その先へ」
「兄さんだけに背負わせるわけにはいかない」
その言葉を最後に、2人は再び歩き出した。
アッシュの遺した“道”を辿るように。
扉を背に、闇の中をまっすぐに。