表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アッシェン・ヴェイル -灰を渡る者-  作者: 神威縁
第一章:旅の交点
4/12

第4話:記録されぬ谷・1

コルヴァの谷に近づくにつれ、道は険しさを増していった。


斜面を削るように伸びた細道。両脇には灰色の岩肌が露出し、倒木や崩れかけた塀が散在している。

けれど、そのどれもが古びておらず、“最近まで誰かが整備していた”痕跡だけがあった。


「なんだか、静かすぎるね……」


ミリィがぽつりと呟いた。

谷の入り口に立った瞬間、その空気は明らかに違っていた。


畑はあった。家もあった。洗濯物が干されたままの物干し台も、囲炉裏から漏れる煙も。


なのに、人の気配だけがなかった。


動物も鳴かず、風の音すら耳に届かない。

そこにあるのは、“人がいた痕跡”だけで構成された町だった。


「……ここ、誰もいないの?」


「“気配”がないだけだ」

「存在そのものが消えたわけではない。情報の痕跡は残っている」


そう言って、エゼキエルは一軒の家に近づく。


扉は施錠されていなかった。ぎい、と軋む音を立てて開いた中には、木の椅子が倒れ、パンくずが皿の上に残っていた。


「食事の最中だったみたい……」


ミリィが足音を忍ばせるように部屋を見回す。


エゼキエルは黙って、テーブルの上にあったナイフの柄に指を触れた。

そこに、ほんのわずかな魔術式を流し込む。


すると──


空気が、かすかに震えた。

壁の向こうに、誰かの叫びが一瞬だけ聞こえた気がした。


「ッ……なに、今の……」


「断片だ。

 感情の強い記憶ほど、物質に深く刻まれる。

 このナイフには、最後に使われた瞬間の“恐怖”が染み込んでいる」


「だとすると、この家の者は……」


ミリィが言葉を詰まらせる。

エゼキエルは答えない。

ただ、彼の眼差しはもう、次の調査対象へと移っていた。


そのときだった。


──カラン、と何かが転がる音。


音のした方を見やると、小さな路地の奥に、

黒いコートの裾のようなものが一瞬、角を曲がって消えた。


「誰かいた……!」


ミリィが駆け出そうとする。

だがエゼキエルが、無言で手を伸ばし、その肩を制した。


「追うな。……まだこの地の“死”は形をとっていない」

「不用意に関われば、情報が壊れる」


ミリィはうつむいた。

誰かがいた。確かにいた。なのに、近づいてはいけない──


「でも……生きてる人だったら……」


「“記録されていない生”もまた、異常だ」

「記録の隙間に潜む存在は、時に“死”よりも危うい」


その言葉が、霧のようにミリィの心に沈んでいく。


──“死”を記録する術者にとって、“生”すらも等しく情報でしかない。


町にはまだ、多くの家が残されていた。

誰もいないのに、食器が、道具が、椅子が、人の生活の途中で止まっている。


まるで、時だけが歪に空白を作り、

“何か”がその隙間をすり抜けていったかのように。


「次は、井戸の底を視る」


エゼキエルはそう言って、静かに歩き出した。


そして、ミリィはその背を追いながら気づく。


──この町には、“死体”が一つもない。


それが、最もおかしいのだと。

エゼキエルの旅はまだ始まったばかりですが、

「評価」「ブックマーク」「感想」

を頂けると幸甚に存じます。

よろしくお願いします!!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ