第12話:市の中で
森を抜けてしばらく歩くと、村にたどり着いた。
村の入り口に差し掛かると、焼けた小麦と香草の匂いが漂ってくる。
久方ぶりの市だという。
広場に集まる人々の活気が、土の匂いと混じって空気を揺らしている。
「わあ……にぎやか!」
ミリィは声を弾ませて、屋台のひとつへ駆け寄った。
干し果実、ハーブオイル、手彫りの器、小さな革細工。
どれもこれも素朴で、だがどこか懐かしさのある色合いだった。
エゼキエルは彼女を追わず、広場の片隅で立ち止まり、人の流れを眺めていた。
「エゼキエル、ほら見て、これ! ドライナッツの蜂蜜漬け!」
「ちょっと高いけど、美味しそう……えいっ」
じゃら、と小袋から銅貨を数枚──
けれど、手元が狂って一枚が地面を転がった。
「あっ……!」
屈み込むミリィより先に、それを拾った手があった。
「これはお嬢さんのかい?」
声をかけてきたのは、皺だらけの手に荷を抱えた老婆だった。
ミリィがうなずくと、老婆は微笑み、銅貨を渡してくれた。
「祭りでもないのに、今日は人が多いねえ。
でもね……こうして笑える日は、ほんとはとても珍しいのよ」
「え……?」
老婆の目は笑っていたが、その奥に何かひっかかるような色があった。
次の瞬間、群衆の向こうにいるエゼキエルの視線と──ふと、交差する。
老婆はわずかに眉を寄せたが、何も言わずに人混みに紛れていった。
「あの人……」
ミリィが戻ってくると、エゼキエルはすでに腰を下ろし、革帳に何かを書きつけていた。
「見覚えがあるの?」
「いや。だが……“家族を失った者の目”だった」
「……そんなの、見ただけでわかるの?」
「人は、“空白を持った目”をする」
「でも、笑ってたよ……?」
「笑うことで、空白を抱えていられる者もいる。
だが、あれは“誰にも気づかれずにいる空白”だった」
ミリィは静かに蜂蜜ナッツの瓶を両手で抱えながら、エゼキエルの隣に座った。
「じゃあさ……今あたしがここで、これ食べて笑ってるのも、
“何かを抱えてる顔”だったりするのかな?」
「それを決めるのは、君だ」
「私は、“記録されたもの”しか見ない」
「……冷たいようで、あったかいね。あなたって」
そう言って、ミリィは小さなナッツをひとつ摘んで口に運んだ。
甘くて、ちょっとだけしょっぱかった。
「……美味しい。でもこれ、きっと、あなたは食べないよね?」
「記録するには、“甘さの定量性”が曖昧すぎる」
「うわ、何それ。理屈っぽい」
ふたりの頭上を、陽がやわらかく照らしていた。
市場の喧騒の中に交じって、そこだけが少し違う時間の流れを持っていた。
エゼキエルとミリィの旅を
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