第1話:記録者エゼキエル(前半)
息が、苦しい。
肺が焼ける。足がもつれる。泣いても、叫んでも、誰も来ない。
──死にたくない。死にたくない。死にたくない。
薄暗い森の奥、地面に根を張ったような死臭が少女の鼻を突いた。
後ろから聞こえるのは、ずるり、ずるりと何かを引きずる音。
人の形をしていながら、人ではない何か。
腐った皮膚、濁った目。死んだはずの村人たち。
(どうして……お父さんも、お母さんも……あんな姿に……)
足がもつれて、踏み出したはずの地面を蹴り損ねた。
視界が回転し、次の瞬間には顔から地面に叩きつけられていた。
肘が泥に埋まり、膝を擦った皮膚からじわりと血が滲む。
息ができない。喉に土の味が広がる。
「──ぃ……っ」
声にならない声が漏れた。
起き上がろうとしても、手足が震えて言うことをきかない。
心臓の音だけが、耳の奥で暴力のように響く。
背後では、なおも“それら”の足音が近づいていた。
ぐしゃり、ずるり、どろり。何かが擦れる、濡れた音。
音だけで気が狂いそうになる。
終わる。自分は、今ここで──
そのときだった。
ふわり、と風が止んだ。
世界が、静かになった。
死者の呻きすら凍りつくような、沈黙。
少女が顔を上げると──そこにいた。
黒いコートを纏い、漆黒の髪と銀灰の瞳を持つ、痩せた男。
その眼差しは氷のように冷たく、それでいて、どこか深く沈んでいた。
彼は何も言わず、足元に広げた古びた書を開いた。
そして、ポツリと呟いた。
「……魂式演算――起動」
彼の手から、淡い光が放たれる。
その光は、少女の村人たちが落とした欠けた装飾品、血の滲んだ手紙、そして──一振りの斧へと流れていった。
「記録、再構築」
次の瞬間、男の背後に、一振りの戦斧が浮かび上がった。
それは誰かの記憶から引き出されたもの──使用者も、技も、すべて過去の魂が刻んだもの。
「“鍛冶屋ベルンハルト”、斧術・鉄断ちの型──再演」
男はその斧を手に取る。まるで昔から握っていたかのような自然さで。
そして、何の躊躇もなく、一歩踏み出す。
死者たちが呻き、襲いかかろうとした刹那──
ゴゥン──!
斧が唸り、空気が裂けた。
斬撃ではない。まるで記録された“技術そのもの”が空間を殴打したかのような衝撃。
無数の死者が、一瞬で吹き飛んだ。
少女は言葉を失った。
それは、救いではなかった。
希望でもなかった。
ただ、“死”に対して、
圧倒的な理解と技術を以って対処する者の姿だった。
そして彼は、まるで興味深い文献でもめくるように、死者たちを見下ろし、静かに呟いた。
「……不自然だ。
この死には、“記録の乱れ”がある」
「原因を抽出する。再演開始」
彼のまわりに魔術式が浮かび、光の断片が空中に集まっていく。
少女はただ、その姿を見つめることしかできなかった。
まるで──
この世界で、“死”に最も近い場所に立つ男が、そこにいた。
エゼキエルの旅はまだ始まったばかりですが、
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