あなたは勇者
ウェイルの家はフール村の外れにある小高い丘の上にひっそりと佇んでいる。
ウェイルは重い病でベッドから起き上がれない母親が一人、父親は大工の惣領だったが、5年前にその大工の仕事中事故で亡くなった。それ以来、生計はすべてウェイルが立てている。生活費から学費、母親の治療代と膨大な出費をウェイルは学校に行きながら一人で稼いでいる。仕事は父親の大工の仕事を継いで、学校が終わればすぐさま働きに出る。
ウェイルは学校から家まで全速力で駆けていった。ウェイルの逆立った金色の髪の毛が風圧によって後ろにばっさばっさと波打っている。学校から家まで5KMくらいの道のり、それも小高い丘を登って行かなくてはいけないから、登下校でもかなりの重労働だ。
ウェイルはせっせと丘を駆け上る。丘から見えるフール村の景色は中々良い。丘も草原が広がっていてこの地域しか咲かない野花も咲き乱れている。仕事がない日はこの草原で大の字になって日向ぼっこするのが最高なのだ。今度の休みはここで日向ぼっこだと心に決めて草原を駆けていく時、ウェイルの足が止まった。誰かいる。普段は人っ子一人もいないこの草原に誰かいる。
「……」
白いシルクのようなカーディガンを羽織っている……女の子だ。野花を一輪指で千切って花の香りを優しい微笑を浮かべながら堪能している。栗色の肩口まで伸びている髪が丘の風で靡いている。顔は小さいが、眼は大きくクリクリとしている。可愛い。自分に絵の才能があれば、この情景を写生したいという感情が湧き上がって来る。
見惚れていると少女は俺に気付いたようだ。びっくりしたように大きい眼をさらに大きくして俺を見ている。俺はちょっと後ずさった。
「ウェイル……さんですか?」
風にかき消されそうな小さな声。しかし、すんなり耳にまで届いてしまう芯はある声。そして、今まで一度も会った事のない少女が何故か自分の名前を知っているという状況。
「へ……?」
「ずっと、あなたを待ってました」
状況が把握できない。俺を待っていた。まるでどこぞのラブコメなファンタジー物語のような展開だ。
「俺を……待っていた?」
俺は尋ねた。その時、少女は微笑んだ。大きい眼はくしゃっと潰れ、口は白い小さな歯を見せてフフッと。可愛い、可愛すぎる。何ていうか妹にしたいって感じだ。
「はい。ずっとずっとあなたを待ってました」
一言一言が俺の胸をむずむずさせる。何だが地団駄踏みたい気分だ。高揚と不思議の絶妙なハーモニーだ。
「申し遅れました。私、エーフェスと言います。魔道士の資格を持っています」
エーフェスか。名前も可愛いね。後述の『魔道士』は何だかどうでもいいからスルーしよう。
「早速ですが、ウェイルさんにはお願いがあって来ました」
「はい?」
お願い? お付き合いとかならいいよ。まぁ、出会ってまだ間もないから、最初は友達からの方がいいと思うけどな。それでもNOは絶対無いよ。顔だけなら正直200点満点だし、白いカーディガン越しでもわかるな。その女の子特有の体付き、ふわっとしててとても柔らかそうだ。性格も何だか滲み出てるし。ホンワカしてそうで、癒し系って言うのかな。
「何すか?」
「私と……」
私と……その先の言葉が容易に想像できる。
「私と、悪魔退治に行きませんか?」
……数十秒脳が機能停止になった。脳味噌が状況判断を拒んでいるのか、いや、必要だ。数十秒の休業後。すぐさま働き出した。悪魔退治……だめだ。俺の小さな脳味噌はこの言葉を推理するほどの容量は持ち合わせてない。この状況を理解するにはもっと情報が必要だ。
「あ、悪魔?」
「はい」
どうやらこの娘は本気で言ってるらしい。ナンセンスとかそんな話じゃない。
「ちょ……ちょっと待って。悪魔退治って、ええっ!?」
「はい。ウェイルさんは12の勇者が一人。トゥエルフ・ブレイバー『シャドウ・アイ』の生まれ変わりなんです」
トゥエルフ・ブレイバー……? シャドウ・アイ?
「何そのとぅえるふぶれいばーって?」
「100年前悪魔ギルスを討つためにラクリファ世界全土で集結した勇者です。彼らは魔回転性により特別な力を持った12人の能力者。私の祖先もトゥエルフ・ブレイバーの一人でした。それからもトゥエルフ・ブレイバーはそれぞれ魔回転性を経て、今、ウェイルさんにその能力が来ているというわけです」
「ま、待てよ。俺の父ちゃんも母ちゃんもそのトゥエルフ……なんとかじゃないし、第一父ちゃんは大工の惣領で……」
「能力はランダムに選ばれるのです。それを私たちはギフトとも呼びます。祖先がトゥエルフ・ブレイバーでなくても、能力を継いでしまうことはあるのです」
「ま、まじかよ」
「そして、ウェイルさんの能力。それが『シャドウ・アイ』と呼ばれる能力です」
シャドウ・アイ。あのカンニングはまさかそれがそうなのか。
「だからお願いです。私と一緒に来て欲しいんです。トゥエルフ・ブレイバーの能力者がどうしても悪魔退治に必要なんです」
「ちょ、だから、悪魔って何なのさ。俺はこのかた悪魔なんて見たことも聞いたこともないよ」
「……」
エーフェスが黙った。何も言えないのか?
「とにかくさ。俺、これから仕事だから」
俺はとにかくその子から逃げるように立ち去った。うわ、まだ俺の方見てるよ。さっきまでは可愛い子だなって思ってたんだけど。あてが外れたな。
ウェイルは丘を颯爽と駆け抜けていった。
エーフェスは天を眺めていた。嫌な胸騒ぎがする。そして、この脳の中にギンギンとしなる感じ。何かが起こる。この丘の下の平和な村に何かが起こる。そんな気がしてならなかった。