エルヴィオラとあっさりめの婚約破棄
◇
「すまない、エルヴィオラ。好きな女性がいるんだ」
──そう、はっきり言われてしまえば「そうなのですね、わかりました」ぐらいしか返事ができない。
エルヴィオラは頭をさげて謝罪をしてくるシード・オルトレットを一瞥して、内心で小さくため息をついた。
オルトレット家は裕福な男爵家である。
爵位を金で購入したばかりの商家で、金もなければ後ろ盾もないエルヴィオラのクリーク伯爵の爵位を手にいれるために結婚をしたいと申し出てくれた。
王家の主催の晩餐会に結婚相手を探すために顔を出したエルヴィオラの噂を聞きつけて、声をかけてきたのはシードからだった。
シードはオルトレット男爵家の次男。家業の一つを継いではいるが、爵位は手に入らない。
ならば男爵の庇護下にあるうちに、貴族の婿養子に入りたいと考えたらしい。
そこでエルヴィオラの噂を聞いたのだろう。
クリーク伯爵家の両親は病で亡くなり、エルヴィオラは妹のアイビーと二人きりの姉妹だ。
領地は小さな街が一つきり。それでも両親がいたときは豊だったが、両親が亡くなった途端に親戚たちが現れて、財産を奪っていった。
なんとかクリーク伯爵家の家は守っていたが、金がなく困窮しており、婿入りをしてくれる結婚相手を探していると。
そんな女と結婚をしてくれる貴族などはほぼいない。
結婚をしても負債を抱えるようなものだからだ。
エルヴィオラは白に近い銀色の髪に白い肌、翡翠色の瞳の少女で、容姿はそれなりに整ってはいたものの、いかんせん立場が悪すぎた。
そんなとき、結婚したいと申し出てくれたシードの存在は、まさに渡りに船。
シードには金があるけれど爵位がない。エルヴィオラには金はないけれど爵位がある。
利害は一致していた。このままうまくいくと思っていた。そこに愛がなくても構わない、全ては八歳も年下の妹を守ためだ。
エルヴィオラは十八歳。アイビーは十歳だった。
アイビーが生まれてすぐに両親が亡くなっているので、両親を知らないアイビーにとってエルヴィオラは母親のようなもの。
目の中に入れても痛くないほどに可愛い妹である。
せめてアイビーには苦労をかけたくない。よい結婚相手と結婚をしてほしいし、幸せになってほしい。
お金があれば、王都の寄宿学校に入れてあげたい。
家庭教師を雇えるほどの余裕はないので、エルヴィオラが読み書き計算やマナーなどは教えていたけれど、きちんとした教育も受けさせてあげたい。
そのために、エルヴィオラはクリーク伯爵家を支えてくれる金持ちと結婚する必要があったのだ。
もちろんエルヴィオラも何もしなかったわけではない。
できる範囲で働いてきたし、食べ物がなければ釣りもしたり狩もした。
領地の街を襲おうとする魔物を、魔法で討伐したりもした。
まぁ、これは魔物といってもさほど強くない、エルヴィオラでも討伐できる程度のものではあるのだが。
それでもやはり、どうにもならないこともあった。両親が亡くなり親戚たちが財産を奪っていった時点で、クリーク伯爵家姉妹の命運は決まっていたといっても過言ではない。
使用人たちは一人また一人といなくなり、そして誰もいなくなった。
シードと結婚すれば、伯爵家を盛り返すことができる。アイビーを幸せにできると思っていた矢先に、シードに街のレストランへと呼び出されたというわけである。
料理を頼むこともなく謝罪をしてきたシードに、エルヴィオラは怒るわけでもなく頷いた。
シードとは恋人というわけではない。
まだ二十歳の若いシードは赤毛で精悍な容姿の男だ。甘い顔立ちは女性に人気がありそうである。
オルトレット男爵家のある海辺の街はクリーク伯爵家のある山間の街よりもずっと栄えていて、見栄えのいい女性も多いのだと聞く。
だとしたら、シードが心変わりするのも無理はない。
そもそも、変わる心などはじめからエルヴィオラにはなかったのだろうけれど。
「怒らないのか、エル。俺の不実を」
「そういうこともありますよねと思います。私は魅力的な女ではないですが、シード様は魅力的な男性です。私よりももっと素敵な女性がたくさんいますから」
「エル、君も十分魅力的だよ。だが、もっと魅力的な女性と出会ってしまったんだ。本当にすまない。せめて、ここの食事は奢ろう。なんでも好きなものを食べていってくれ」
婚約者ではない女性と共に食事はできないと言って、シードはやや多めの食事代を置いて帰っていった。
後に残されたエルヴィオラは、金を手にして立ち上がる。
こんなところで一人で食事をしても仕方ない。
せっかくお金をもらったのだから、アイビーに美味しいものを買って帰ろうと、何も食べずにレストランを出た。
あまりくよくよしない、物事を深く考えない前向きな性格だけが、エルヴィオラの長所だった。