痴情のもつれ
アイビーは宿舎できっと頑張っているのに、私だけ美味しいものを食べていいのだろうか――。
カニピラフも、オニオンフライも、アイビーに食べさせたい。
一口食べては感動し、一口食べては美味しさに震えながら、エルヴィオラは考えていた。
隣に座っているシフォニアが、エルヴィオラの肩にころんと、猫耳のある頭を押しつけるようにしながら、エルヴィオラの顔を覗き込む。
「兄と同じ顔をしてる。妹にきちんと食べさせたいっていう親心、分かる」
「ザイードさんは優しいお兄さんなんですね」
「そうだよ。兄は優しいんだにゃ。エルっち、兄と結婚してもいいよ」
「急に言われても、ザイードさんが困ってしまいますよ」
「シフォニア。エルヴィオラを困らせるな」
呆れたようにザイードが嘆息して、ぐいっと麦酒をあおる。
「傭兵団内での恋愛は自由だが……ユーグリヒトの件もあるから、心配だな」
ハルマディルクが呟いた。
そういえばもう一人、傭兵団には仲間がいる。
エルヴィオラは、ユーグリヒトという人にまだ会っていない。
「何かあったんですか?」
「いや、たいしたことじゃないんだ。エルは気にしなくていい」
「そうなのですね。痴情のもつれですか?」
「痴情のもつれだにゃ」
「余計なことに首を突っ込むな、エル」
こっそりシフォニアが教えてくれるのを、シフォニアとは反対側の隣に座って長い足を組み、静かに酒を飲んでいたレヴィアスが咎めた。
「あぁ~! いつの間にエルっちと仲良くなったの、レヴィさん!」
「うるさい」
「だって、レヴィさんが、エルっちのこと、エルって呼んでる! あたしの名前なんてずっと呼んでくれないし、今も呼んでくれないのに!」
何があったのかと肩を揺さぶる勢いで聞いてくるシフォニアに、エルヴィオラは「一緒に依頼を受ける、相棒になったのですよ」とこたえた。
「それはマリさんから聞いているが、どうして私じゃないんだ……? 私のほうがずっと適任だと思うのだけれど……!」
「それは、ハルは女性と子供には危ないことはさせられないとか言って、エルヴィオラに何もさせないから、じゃないか?」
「それはそうだろう。そもそもアラクネーの討伐なんて……いや、炭鉱内の睡眠ガスを防ぐには光魔法は必須だから、エルの同行は必要だったとは思うが」
「回復魔法使いは傭兵団にはエルヴィオラしかいないからな」
ザイードとハルマディルクの会話を聞きながら、エルヴィオラはオニオンフライをサクサク食べた。
以前の回復魔法使い――これは、光魔法使いの総称であるが――は、傭兵団をやめてしまったという。
それはどうしてだろうと思っていると、シフォニアが耳元で「さっきの話。辞めた理由は、痴情のもつれだにゃ」と教えてくれた。
なるほど、と、エルヴィオラは頷いた。
つまり、ユーグリヒトとその彼女の間になにかしらのトラブルがあり、彼女は辞めてしまったというわけだ。
傭兵団の人数は多いわけではない。
傭兵寮に住んでいれば、嫌でも毎日顔を合わせる。
恋愛関係のもつれというのは、大変ね――と、エルヴィオラは他人事のように考えた。
「エルっちも、婚約者がいたって言ってたでしょ? キスぐらいはしたの?」
「きす」
単刀直入にシフォニアが聞いてくる。
ザイードが酒を吹き出しそうになり、ハルマディルクはがたがたと立ち上がった。
レヴィアスは素知らぬ顔で、酒を飲み続けている。
「シフォニア、そういうことを聞くな」
「シフォニア、エルは傷ついているのだから、聞いてはいけないよ」
「えー、いいよねぇ。減るものじゃないし。気になるし」
「傷ついていないので大丈夫ですよ。シード様とは特に何も。そもそも、お会いすること自体が少なかったですし。お城の舞踏会でお会いして、結婚を申し込まれて、それだけです」
「えぇっ、それだけ?」
「はい」
「結婚しようって言ってから、デートしたりしないの? デートしたり、キスしたり」
「しませんでしたね」
シフォニアは納得いかなそうに唇を尖らせた。
「あたしたち獣人の場合は、番っていうろくでもねぇ制度があるから、くっついたり別れたりはしないんだけど、ヒュームはくっついたり別れたりするでしょ?」
「番、ですか」
「うん。これ! って決めた人と一生添い遂げるんだよ」
「それは獣人同士の場合だな。ヒュームと獣人の間に愛がうまれることはない」
「そんなのわからないよ。ね、エルっち」
「そうですね。ザイードさんやシフォニアさんと私たちの違いは、耳と尻尾があるかどうかぐらいじゃないでしょうか」
その差異だけで、愛が生まれないと言い切れるのだろうか。
不思議に思いながらそう口にすると、ザイードは困ったように笑った。
「えへへ、エルっち、やさしー」
「いえ、そんなことは……」
「優しいよ。でもさ、妹は兄にもお腹いっぱい食べて欲しいって思ってるんだよ。だから、エルっちもアビちんが心配なのは分かるけど、楽しんで。アビちんはしっかりしてるから、宿舎で元気に暮らしてるよ」
「衣食住はきちんと提供されるから、大丈夫だよ。貴族の子供たちも多く預かっている場所だからね」
「そうですね……うん。あまり心配していると、妹離れできないってアイビーに叱られそうです」
シフォニアやハルマディルクに励まされて、エルヴィオラは頷いた。
アイビーも頑張っているのだから、エルヴィオラも暗い顔をしてはいられない。
エルヴィオラが毎日を楽しんでいたほうが、アイビーもきっと嬉しいだろう。
「せっかくのごちそうなのに、上の空でした。ごめんなさい、ハルマディルクさん」
「ハルでいいよ」
「ハルさん」
「うん」
「では、心置きなくいただきますね」
エルヴィオラは心置きなく酒を飲み、心置きなく食事をした。
そして――酒を飲んだことなどほとんどなかったのに調子に乗ったせいで、見事に酔い潰れたのだった。




