大切な約束
燃えてしまった屋敷に二人きりで住んでいた時、アイビーはエルヴィオラと同室で、二つ並んだベッドの隣で眠っていた。
もっと幼いときは、同じベッドで眠っていた。
手を繋ぐと安心したように嬉しそうに微笑んで、お腹の辺りをリズミカルに優しくトントンすると、あっという間に眠ったものである。
「お姉様、今日は一緒に寝てもいいですか?」
部屋に戻ると遠慮がちに問われたので、エルヴィオラは「もちろん」と笑顔で答えた。
見慣れない部屋のベッドに二人で横たわり、「シーツがちょっと埃っぽいわね」「お部屋も、お掃除しなくちゃですね」と言って笑った。
手を繋いで、二人で天井を見上げると、昔の記憶が想起される。
両親が亡くなった時、アイビーはまだ生まれたばかりで、エルヴィオラは八歳。
その頃には使用人たちもいて、エルヴィオラを助けてくれる老執事もいた。
侍女たちがアイビーの世話をしてくれて、老執事はエルヴィオラに伯爵家の当主としてすべきことを教えてくれた。
けれど──両親の訃報を聞きつけて、クリーク伯爵家の親戚だと名乗るものたちがたくさん現れた。
父の従兄弟を名乗る男性が、父には金を貸していたのだと言って金を奪っていった。
母の従兄妹を名乗る女性が、母が遺産を分けてくれると約束をしていたといって、家財を奪っていった。
そのほかにも色々な見知らぬ者たちが現れて、八歳のエルヴィオラには何がなんだか理解できなかった。
両親を埋葬したばかりで、その悲しみも癒えていない。
あっという間の出来事だった。
そして、父の弟を名乗る人物が現れて、自分はクリーク家の後継者だと主張をした。
家族を連れて家に居座ろうとするのを、老執事がなんとか止めてくれた。
だが彼らは、そのまま街に住みついて――自分たちが領主だというような顔で振るまいはじめた。
老執事は必死に抵抗をして、エルヴィオラたちを守ってくれていたが、心労が祟ったのか寝込むようになり、両親の後を追うように亡くなってしまった。
それからは、坂道を転がり落ちるようだった。
使用人たちは申し訳なさそうな顔をしながらも、クリーク家の屋敷からいなくなっていった。
給金が払えないのでは、それは当然のことである。
彼らにも生活があるのだから。
父の弟を名乗る男とその家族は権力を持つようになり、領地からの税収がほぼ入らなくなったクリーク家は困窮した。
エルヴィオラはアイビーを育てるのに必死で、気づけば十八になっていた。
――エルヴィオラ様、アイビー様、申し訳ありません。
――旦那様たちは本当に立派な方々だったのに。
――スヴェンは本当に、愚かだ。旦那様の肉親とは思えない。
老執事はあまり多くを語らない男だったが、病に伏せるようになると時折ぽつぽつと話をしてくれた。
スヴェンは、本当にクリーク伯爵家にうまれた、父の弟だったらしい。
若い頃にクリーク伯爵家の金を使い込み放蕩三昧をしていたせいで、勘当されて姿をくらましていたのだという。
――エルヴィオラ様とアイビー様は、旦那様と奥様の娘です。きっと、人々を守ることができる立派な方々になるでしょう。
――封魔の神殿には近づいてはいけません。どうか、呪いにかからぬように。
そう言い残して老執事はなくなった。
どうしてわざわざそんなことを言い残したのか、エルヴィオラにはよく分からない。
封魔の神殿とは、かつて勇者が傾国の魔性を封じたという場所である。
その地に近づくと呪いがあるというのは、傾国の魔性クーロンの怨念が封魔の神殿に今だ残っているという伝承に由来する。
伝承などというと古い時代の話のように聞こえるが、クーロンが封じられたのはたった数十年前の話だ。
といっても、エルヴィオラの生まれる前なので、遠い昔の伝承のように感じられてしまうのだが。
老執事が亡くなったとき、エルヴィオラは十歳。
彼の残した遺言について考えている余裕などとてもなかったし、今でも少し不思議に思ってはいるものの、あの時の老執事は食事をとることもできずに意識を朦朧とさせていたので、言葉には深い意味などなかったのかもしれない。
「お姉様、覚えていますか? 眠れない私にお姉様はいつも、歌を歌ってくれました」
「ええ、覚えているわよ。私は音痴だから、アイビーはいつも笑っていたわね」
「お姉様の、音程があっちこっちにいく歌声が大好きです。それから、ベッドで寝転んで、天井を海に見立てて遊んでくれましたね」
「船に乗って大冒険ごっこね。アイビーが船長で、私が乗組員」
「はい。キャプテンアイビーと、副キャプテンのエルヴィオラです。悪い海賊をやっつけて、財宝を持って家に帰るのですね」
「よく覚えているわね」
眠そうにしながらも、アイビーはよく喋った。
今生の別れなどではない。それは分かっているのだが――ずっと傍にいたのに離ればなれになると思うと、どうしても寂しさが胸にこみあげる。
「お姉様は、本当に――悪い人と戦う傭兵になるのですね。私の知らない場所に行って、沢山冒険をするのですね」
「ふふ、そうね。お土産を買ってくるわね」
「私のせいで……」
「ごめんなさいなんて、言わないで。アイビーだってこれから大変なのだから。私よりもずっと、大変な思いをするかもしれない」
アイビーはしばらく黙ったあと、大きな翡翠色の瞳でエルヴィオラをじっと見つめた。
暗闇の中でも、その瞳には決意の光が宿っていることが分かるぐらいに、真剣な眼差しだった。
「頑張ります、私。神官になって、お姉様を守ることができるように強くなります。だから、お姉様。危険なことがあったら、逃げてください。怪我をしないように、してください」
「うん。分かったわ。どこに行っても、あなたの元に元気に帰ってくる。約束よ」
「はい!」
ぎゅっと抱きついてくる小さな体を抱きしめる。
約束だ。
エルヴィオラはアイビーのために生きる。
どんな目にあっても、必ずアイビーの元に帰ろう。
傭兵の仕事は危険なこともあるだろうけれど。
――アイビーに心配をされないぐらいに強くなろう。