3 絶望と希望
それからは、全てが私の預かり知らぬところで進んでいった。実際、私は傷口が癒えるまで外に出ることはできなかったし、出る気にもなれなかった。
そしてその間に私とアルヴィ様の婚約は解消され、新たにカイヤとの間で契約し直された。仕事の関係もあって、どうしても両家の縁を結ぶことが必要だった今回の婚約。それでも、私は憧れのアルヴィ様と婚約できて嬉しかったし、彼も私に好感を持ってくれていると自惚れていた。だけど、アルヴィ様にとって私なんて、『ハーヴィスト家の娘』である以外になんの意味もない存在だったのだと思い知らされた。彼には、リューディアだろうとカイヤだろうとどちらでも良かったのだ。
窓の下でカイヤのはしゃぐ声が聞こえる。
「アルヴィ様、ようこそおいで下さいました」
今日はアルヴィ様を招いてのお茶会だそうだ。中庭にテーブルを設えてもてなしている。今の季節、たくさんの花に囲まれて美しい中庭。私も、あそこでお茶会をするつもりだったのに。
「絶対に部屋から出てこないでよ」
少し前にカイヤがわざわざ私の部屋にやってきてそう言っていた。
「彼に、嫌な思いさせたくないから。醜い顔の元婚約者なんて会いたくもないでしょうし」
派手なドレスを着て、茶色の巻き毛に大きなリボンを飾っているカイヤは、趣味の悪い着せ替え人形のようだ。そんなことを考えながらじっと見ていると、彼女は苛立たし気に顔をしかめた。
「ああ嫌だ。辛気臭いわね。怪我してからずっと黙ったまんまで、暗くて鬱陶しいわ。こんな小姑がいたらアルヴィ様も息苦しいだろうから、私が結婚するまでにはこの家から出て行ってね」
そう言ってフンと鼻を鳴らすとドアをバタンと閉めて部屋を出て行った。
(出て行けるものなら今すぐにでも。だけどこの顔では……)
私はそっと手鏡で顔を見る。傷はすっかり塞がったが、赤く醜い跡が小鼻から耳に向かって残っている。傷が深くて神経を傷つけたのか、右側の口元が歪んでしまった。美しいと言われていた微笑みはもう戻らない。
(私はずっとこのままこの部屋で過ごすのかもしれない……)
まだ十六歳。なのに、私の人生は始まる前に終わってしまった。庭から響いてくるカイヤの笑い声を聞きながら、私は声を殺して泣いた。
ある日、滅多に部屋に入ってこない父が私を訪れた。
「リューディア、いい話があるぞ」
ベッドの上で本を読んでいた私は顔を上げた。すると父は私の傷口に目をやり、すぐに逸らした。まるで見てはいけない何かを見たかのように。
「何のお話ですか? お父さま」
「実はな、お前に縁談がもちこまれたのだ」
(ええっ? 私に?)
何の冗談だろう。わざわざこんな傷のある娘を貰いたいだなんて。
「ユリウス・オウティネン辺境伯だ。噂は聞いたことあるだろう」
もちろん聞いたことはある。オウティネン家は古くから武に優れた家柄で、王家からの信頼も厚いという。しかし一番の噂は、彼の顔がとても醜いということだ。醜いというより、見たこともないほど恐ろしく不気味で、呪いではないかというもっぱらの噂だ。そのせいで、結婚相手が見つからぬまま25歳を迎えてしまったらしい。
「辺境伯様がなぜ私を……?」
「どの貴族にお見合いを申し込んでも断られるのだと。辺境伯の名に惹かれて会ってみようとする令嬢もいるにはいるのだが、顔を一目見たら逃げ出してしまうらしい。それで、次は我が家に話を持ち掛けてきたのだ。『ご令嬢のどちらかと……』ということだったが、カイヤはもう相手が決まっているからな。お前、会ってみるといい」
その言葉を聞いて私はガッカリした。まただ。また、欲しがられているのは『ハーヴィスト家の娘』という肩書きだけ。私という人間を望んでくれたのではない。
(でも、こんな傷あり娘とお見合いしてくれる人なんて、もういないかもしれない。上手くいけば、家から出られる……?)
きっと最初で最後のチャンスだ。私はそれに賭けることにした。
「お父さま、私、お受けいたします」
「そうか。それがいい。向こうから断られない限り、こちらから断ることはないからな」
(そうね……私の顔を見れば辺境伯様のほうから断ってくるかもしれない。それでも、もしかしたら)
それから一週間後、私は一人で辺境伯様のタウンハウスに向かった。怪我をしてから初めての外出。人の目がとても怖かった。もちろん、馬車での移動だから人に顔を見られることはないのだけれど……それでも怯えてしまう。ストールで髪と頬を包み込み、馬車に乗ろうとした時、後ろからカイヤの声がした。
「お姉さま、いってらっしゃいませ! 化け物辺境伯に気に入られるといいですわね」
「まあカイヤ。それは言い過ぎでしょう」
義母がとりあえず、といった感じで娘をたしなめる。
「だって、アルヴィ様も仰ってたわ。オウティネン伯は滅多に夜会に来ることはないけれど、顔を見たことがあるって。本当に化け物じみているんですってよ」
そう言って笑う二人に返事はせず、急いで馬車に乗り込んだ。
馬車は滑るように走り、周りの景色が流れていく。学園に通っていた頃は毎日の通学が大好きだったことを思い出した。
(ああ、こんなにも外に出るのが気持ちの良いことだなんて、忘れていたわ。何ヵ月もあの部屋に閉じこもっていたから)
その間、友達が心配して何度も訪ねて来てくれていたのに、一度も会うことはなかった。傷口も、心の傷もまだ生々しくて、誰にも見せたくはなかったのだ。
(この傷が白く変わっていく頃には……みんなにも会うことができるかもしれない。みんながまだ私のことを友達だと思ってくれていれば、だけど)
やがて王都の中心街に入り、辺境伯様の屋敷に到着した。