この世界と《代理人》
「わたしの力、……って?」
驚き過ぎて脱力してしまっているようにも見えるアツホに訊ねられ、私は——また一抹の不安を隠すように微笑んで言葉を選ぶ。
「私は《代理人》を召喚し応えてくれたのが貴女です。アツホさんには失われた《護り姫》の力を繋ぐだけの力がある」
「《護り姫》?」
「ああ……そうですね。《護り姫》とはこの世界の均衡を保つ四人の姫君達です。東西南北、四方の国に生まれた姫には《護り姫》の力が宿っているのですが、内一人、南の《水の護り姫》が攫われてしまったのです」
「お姫様が……攫われて……」
呆けた表情を少しずつ戻しながらアツホは私の言葉を繰り返した。《護り姫》の常識が通用しない彼女は——やはりこの世界の住人ではない。
「《護り姫》は平和の軸、それどころか世界の要です。各国の姫君でもありますし、彼女達には身を護る力も備わっている。本来ならばその身を害するものが現れること自体、考えられません」
「そう……ですね。誘拐した人は《護り姫》に手を出しても欲しいものがあったんですか?」
「……いいえ。誘拐犯から要求はありません。心意もわからないのです。——竜の心意など」
「竜!?」
また一際驚いて見せるアツホは口を開けたまま固まっている。竜は通じるのかと把握しつつ、一旦彼女の口が動き出すのを待った。
「えっと……わかった部分と、わからない部分がやっぱりあってゴチャゴチャしちゃってるんですけど——わたしって結局どういう……?」
そうだった。《護り姫》について知らないアツホにそこから話してしまい、結局彼女の役割について疎かになってしまった。
「そうでした。アツホさんは《代理人》という存在で、本来はこの世界に存在しません」
「存在しない?」
「ええ、先の通り《護り姫》で成り立つこの世界の均衡が揺らぐことなどまずあり得ませんから。
——《代理人》は私が古文書を調べて見つけた、この非常時の鍵となる存在です」
《代理人》。
それは数少ない亡国の古文書に存在した、《護り姫》と同等の力を持つもの。この世界に必要無いはずの、《護り姫》が失われた際に均衡を保ち続けるための存在。
世界は《南の護り姫》を失ってから荒れ始めた。
南の海国マリアヌでは嵐が止まず海は大波がうねり、漁業で生計を立てている民達は漁に出ることも出来ず困窮している。
西の森国、このシルヴァラでは流通の要となる大道を抱く大森林が妖気で満ち、モンスターが活性化したため生活に支障を出し始めた。
北の雪国テラロワの有する大火山ボルブランコは休眠から目覚め、日々地震と火山灰を降らせて人々の営みを震わせている。
「——ですので、《代理人》は」
「? あの」
「はい、何でしょうか」
「西の国? は大丈夫なんですか?」
「——ああ、西の国ウェンタルは既に亡びています」
「ええ……」
神妙な面持ちで話を聞いていたアツホの表情が陰る。私は苦笑を浮かべて誤解を解くように続けた。
「ウェンタルは《護り姫》が攫われるずっと前に亡んでますのでご安心を」
「そうなんですか。……世界の状況から考えると安心、もおかしなことですけど」
ほっとしました、なんて笑い返す彼女に私は笑みを貼り付けたまま視線を落とす。
「……ウェンタルは他の国と大河を挟んで広がる砂漠、そのなかのオアシスにある国でした。しかし今は砂漠ごと砂鉄に呑み込まれ、砂嵐が吹き荒れているので人の踏み入れる場所ではありません」
以前はそれでも、難民が身を寄せるオアシスが点在していた。——《怨砂》に呑み込まれる事態が増えたのは、やはり《護り姫》誘拐が関係しているかもしれない。
「んと、でぴゅ?……のことも、世界のこともヨーゼルさんの話でぼんやりわかりました。でも」
考え込んでしまう間際にアツホが話し始めて私は顔を上げた。彼女の視線は逆に下を向いたまま彷徨い、交わらない。
「わたし、特別な力なんてないです。普通に、習い事だって特にしてないし、——《代理人》である実感なんて」
片腕を抑えて所在なげにはにかむ。
改めて見定めても確かにアツホは至って普通の少女に見えた。特別目を引く容姿をしているわけでも、体格が良いわけでも、方力を漲らせているわけでも——と、そこで私は気付く。
「ちょっとすいません。改めてお手を」
「あ、え?」
少し強引だがアツホの手を引いてみたところで確信する。彼女は——方力を一切持ち合わせていなかった。
異世界の住人だからか? そう思案するもあり得ないと否定した。
方力は生物なら、いやこの世界に存在するもの全てに極僅かであろうとも必ず宿るものだからだ。……アツホの消極性はこのことが原因か?
「ど、どうしましたか……」
「——ご説明するより実感されたほうが早いかもしれません。悪影響を否定し切れない点、お許しください」
「悪影響!?」
「責任は持ちますので」
怖気付かせず必要最低限の前置きはしたかったが、持ち合わせている渡りの船はこれしかない。私は硬くなったアツホの手を少しでも解すようにと両手で包むと……自分の方力を彼女の手のひらに流し込んだ。
アツホは私と自分の手とを行き来させていた視線を、持たざるとも感じたのか、方力の流れ込む手に留めて目が離せないでいる。
「……お加減はいかがでしょうか?」
「——すごく、不思議な感じ、です。ふわふわとスルスルとサラサラと……なんか、そういう感覚が、全部」
瞼を閉じたアツホが、胸元にもう片方の手を寄せて感触を確かめた。体調への心配はまだあるが、目に見えたり自覚する範囲では痛みなどもないようだ。
「今、あなたが感じているのは方力という、この世界で生命や事物が持ち得る力そのものです」
「方、力……」
「ですが先程、アツホさんの身体には一切の方力を感じ取れませんでした」
「え!」
閉じていた夕映えの瞳と視線が交わり、私はその輝きに微笑んで返す。
「大丈夫ですよ。方力は魔方として扱う際に他人と共有することが出来るので、ものは試しとなってしまいましたが、今のあなたには私と同じ方力が存在しています」
「と、特に違和感とか気持ち悪さとか無いんですけど」
「ならば殊更に幸いですね」
「……」
目を瞬かせたアツホが薄目でこちらを見つめて来たので首を傾げると、彼女はまたひそめた声で呟いた。
「ヨーゼルさんって、結構強引なんですね……」
薄っすら頬を染めるアツホに失笑を漏らしながら、「否定はしませんよ」と私は彼女と繋いでいた手をゆっくりと離した。
前話の1ヶ月後、2千文字前にデータ吹っ飛ばしたと思っていたらバックアップが残っているのに先日気付きまして、今更に続きとは出来ました。
でも当時と今で同じ文体に出来る気がしないし、都度やる気が出た時に書く手合いなので、また……