君を知る
アレクシス殿下の所有するお忍び用の馬車が、学園の門前に停まっていた。
「今日は、馬車で出かけるのですか?」
てっきり、出かけるといっても遠出ではないと思っていた。驚きながら、アレクシス殿下を見ると、アレクシス殿下は微笑んだ。
「ああ」
そして促されるままに、アレクシス殿下にエスコートされながら馬車に乗り込む。まだ私が婚約者だった時にも数えるほどだけれど、乗ったことのある馬車の中。もちろん見覚えのある車内だ。窓ガラスも、カーテンの色も変わっていない。それなのに……。
「……ブレンダ?」
ぼんやりとした私を、心配そうな瞳でアレクシス殿下が見つめる。
「いえ、ただ――……」
知っているはずなのに、全く知らない場所に見えた。
――それは、きっと私がアレクシス殿下に恋を、しているからで。
……恋ってこんなにも、景色を鮮やかにするのね。知らなかった。
ミランやクライヴたちが輝いて見える理由もわかる気がする。
……もちろん、そんなことを正直にアレクシス殿下に伝えることができるはずもなく、曖昧に微笑んで誤魔化した。
以前よりも輝いて見える馬車の中、アレクシス殿下は真剣な表情で、私に向き直った。
「ブレンダ」
「はい」
何だろう。
「私に質問してくれないか?」
唐突に言われた言葉に、ぱちぱちと瞬きする。
「質問……ですか?」
「ああ。内容はなんでもいい。例えば、好きな楽器や、趣味、反対に苦手なことでも構わない」
もしかして、誰に憚られることもなく、好きな人に色々と尋ねられる幸運なチャンス……とも思ったけれど。
うーん。特に何も思い浮かばないなぁ。
「お好きな色は、何ですか?」
結局、私が思う一番無難な質問をすることにした。
アレクシス殿下の好きな色。それは、もちろん――……。
「白色だ」
「え……?」
アレクシス殿下の好きな色は、水色だったはず。今日だって、水色の耳飾りをつけているし。それとも、最近、好みが変わったのかな。
他にも質問してくれ、と言われたので、次の質問を考える。
「では、一番好きな食べ物は?」
これは、魚だ。白身魚のポワレが一番好きだったはず。……これも、変わってなければ、だけれど。
「魚も好きだが、一番は肉だ」
ええ? 意外だわ。最近のアレクシス殿下の趣味はだいぶ変わったのね。
驚いていると、目でもっと、と促されたため、質問を考える。
「では、苦手な季節は?」
これは、たぶん冬のはず……。アレクシス殿下、寒いことが苦手だったもの。
「……覚えている限り、特にないな」
ええ! これも、私の勘違いだったのね。
「一番好きな楽器は?」
これは流石に変わっていないはず。アレクシス殿下といえば、ピアノだ。
「ヴァイオリン」
「……え」
アレクシス殿下は、趣味といえるほどピアノのことが好きだったはず。それなのに。いえ、私の思い違いかしら。だって、さっきからあんなにも、私の『知っていた』はずのアレクシス殿下は、違うのだから――。
好きな人の新たな一面を知ることはとてもうれしい。
でも、同時に、私は、わかっていた気になっていたのだと、痛感させられた。
「――……」
落ち込んで、次の質問ができずにいると、アレクシス殿下は優しい声で、私に尋ねた。
「これまでの質問とその答えで、何か思い当たることはないか?」
「思い当たること――?」
何だろう。好きな色は白色で、一番好きな食べ物は肉。それから、苦手な季節がなくて、一番好きな楽器はヴァイオリン。
あれ……? でも、そんなはず――……。
「ちなみに一番好きな花は、マーガレットだ」
「!」
その言葉に思わず、俯きかけていた顔を上げる。だって、だって、それは――。
「私の――」
一番、好きな花。
「そうだな」
アレクシス殿下はあっさりと頷き、微笑んだ。
「私も、少しは君のことを知っている男になれただろうか?」
「!」
いつかの日を思い出す。
『ブレンダ、私の好きな色を知っているだろうか?』
『水色です』
『私の趣味は?』
『ピアノですね』
『私の癖は? 知っているものが、あるだろうか』
『緊張すると頬をかく癖が――』
『では、苦手なものは?』
『虫、でしょうか』
『……ゼロだ』
『え?』
『私はこれらの君についての質問で、答えられるものは何一つない』
そう困った顔で言っていた。
それなのに。
「ブレンダ」
名前を呼ばれ、過去から現実に引き戻される。
「私は、世界で一番君を知る男になりたい」




