だって、どうしても(後編)
ブレンダ・スコット。
凪いだ海のような髪に、空を映した瞳。
幼いながらも、完璧に整えられた容姿に息を飲んだ。
……けれど。
「これから、よろしくねブレンダ嬢」
「……よろしくお願いいたします」
お辞儀の角度も完璧だ。その表情を除けば。
顔合わせの席だというのに、貴族らしい微笑を張り付けたまま。
貴族としては、それで正解だろう。
話題を振ればそれに応えるし、内容を膨らませることもできる。
けれど、仮面を被ったように、ずっと同じ表情を崩さないのは、なかなかに気味が悪かった。
それが、私に与えられた婚約者だった。
──それでも。心から笑ったらどんな顔をするのだろう。
見てみたい。
初めて、そう思った。
◇ ◇ ◇
数日後。
「アレクシス殿下」
侍従のロイに名前を呼ばれて顔を上げる。
「どうした?」
「アレクシス殿下が、花を見て立ち止まるなんて珍しいですね」
にこにこと、ロイは笑う。
「ただ……、ただ、この花の色は、綺麗だと思って」
ブルースターの色は、どこかブレンダの瞳と似ていた。
「ああ、それでですか。確かに近頃殿下は、よく水色のものを身に付けておいでですものね」
「……え」
私が──?
ふと、思い返すと最近手に取るものは、水色のものが多かった気がする。
でも、それは偶然で。
「お好きなんですね、水色が」
そういって、ロイは、殿下にお好きなものができてよかったです、と微笑んだ。
「好き……」
確かに、この色を見ても不快には思わない。それどころか、目で追ってしまう私がいた。
「……そうか。これが好き……」
私にも意思というものはあったのかと驚きを感じる。
そうして、私の世界が色付き始めた。
一度好き、という感情を理解してしまえば簡単だった。
坂から転がるように、あれは好き、あれは嫌いと判断できるようになり、私という個が確立されるようになった。
そして、その分類は当然、彼女も。
数年が経ち、好き、嫌いの真ん中に彼女は位置していた。
その当時の私はどちらでもない彼女をどちらに分類するかを決めかねていた。
「ブレンダ」
「……はい」
相変わらず、氷のような微笑を張り付けたまま、表情を動かさない婚約者を見つめる。
「私には『本当の君』を見せてくれないのか?」
「どういった意味でしょうか?」
そういうブレンダは相変わらず微笑を浮かべている。
それとも、これが素顔なのか。いや、それはない。いつか見たブレンダの数年前の肖像画は笑っていた。
「……いや、なんでもない」
私は彼女を嫌い、に押し込み、それきり、目を合わせることはなかった。
◇ ◇ ◇
そして、更に数年が経った。
「ブレンダ、君のように無機質な令嬢と結婚なんて、無理だ」
その頃になると、自分がなぜ、水色を特別に思うようになったのか理解していた。ブレンダと同じ色だからだ。
彼女は私にとってよくも悪くも特別であり、だからこそ、私の前で感情を表現しない彼女とは共にはいられないと思った。
ブレンダと出会う前は、誰と結婚しようが一緒だと思っていた。けれど、彼女と出会って私に意思が生まれた。
嫌い、ではなく、好き、だと思う相手がいい。それは、父と母に初めて見せた私の意思だった。
息子の初めての我が儘を両親は許可した。
「だから、婚約を解消させて欲しい」
このときにもし、彼女が、第二王子の婚約者という肩書きを失うからという理由だったからだとしても、取り乱したり、涙を流したならば、婚約を続けようと思っていた。
だが。
「かしこまりました」
彼女はそっと、目を伏せただけだった。
──そして、今。
弾けるような笑顔、戸惑い、焦りを見せるブレンダ。
初めて名前以外で私に与えられ、そして私から手放した彼女は、生き生きと輝いている。
その眩しさに目が眩む。
どうして。
私の手の中にあったときには、何一つ表情を動かさなかったくせに。
私が、彼女の好みではなかったからか?
そう聞くと、彼女はあっさりと応えた。
「父の言葉を守っていただけです」
調べさせると、すぐにでてきた。
スコット公爵の異常なまでの妻への恋心。
そして、ブレンダという名の妻の痕跡への歪んだ執着。
どうして、私は彼女を一方的に嫌いに押し込めてしまったのか。
こんなに簡単に、真相はわかったのに。
後悔に歯噛みしながら、それでも彼女に手を伸ばす。
私の、私が執着した、初めて。
どうしても、君がいい。
君でなければ、駄目だった。




