祈り
柔らかな呼吸音が聞こえる。どうやら、彼女は完全に眠ったようだった。その表情は、あどけない。
『氷姫』
ぴくりとも表情を動かさないせいで、そう影で呼ばれていた今の彼女に、その面影はなかった。
笑って、戸惑って、拗ねて……まだ、泣いたところはみたことがないけれど。
ころころと表情が変わる様は見ていて飽きない。
「……ん」
ブレンダが寝返りを打った。そのせいで、彼女の綺麗な水色の髪が、顔にかかる。ボクはそれをそっと、彼女の耳にかけた。ボクたちが話すようになってから少し伸びたその髪は、この国では少し珍しい色だった。
──彼女を好ましく、思う。
もっというと、愛しく、思う。
「……なんでかな」
彼女の心が実は氷ではないと知って、もっと彼女のことを知りたくなった。意外と食い意地が張っていて、ダンスが得意で、笑うとまるで太陽のような目映さを放つ、彼女を。
初めて、好きになった女の子。
みんな、ボクを嫌った。
最初はこの顔で寄ってきても、ボクの目のことを知ると、みんな避けた。
それなのに。
彼女は、自分から遠ざけないでくれと言ってきた。
それが、どれだけ嬉しくて、どれだけボクにとって得難い言葉だったのか、きっと彼女は知らない。
「……ボクに、恋をしてくれたらいいのに」
だけど、彼女は恋をして変わってしまうことが怖いという。
「ねぇ、ブレンダ──」
そっと、息を吐き出す。
彼女が目を覚ます気配はない。相変わらず穏やかな呼吸音が聞こえる。
だからそれを良いことにボクは囁いた。
「 」
どうか、この祈りが彼女に届きますように。
◇ ◇ ◇
「……んん」
「おきた? おはよ、ブレンダ」
ジルバルトが優しく微笑んだ。
ぱちぱちと瞬きをする。なんだかとても──良い夢をみた気がした。どんな夢かは忘れてしまったけれど。
「じる、ばると様?」
声が少しかすれている。そのことに気づいたのかジルバルトはお水を持ってきてくれた。
「うん、おはよ」
お礼を言ってお水を受け取り、飲み干す。喉が潤った。
「おはようございま──えっ、夕方!?」
ジルバルトに挨拶をしようとして、日が傾きだしているのに気づく。どうやら、私はあれからずっと眠ってしまっていたようだった。
「もしかして、ジルバルト様、ずっとそばに……」
「そんな顔しないで。ボクが勝手にしたことだから」
でも、申し訳なさすぎる。眉を下げた私の頬をジルバルトは包んだ。
「大丈夫だよ。ボクが普段勉強してるのは、いつか大事な人ができたときに、その人を不幸にしないためだから」
そうなんだ。あれ、でも。それが、大丈夫に繋がるってことは。
「だいじな、ひと?」
「そうだよ。ブレンダは、大事な──」
そこで、ジルバルトは言葉を切った。
一瞬色んな感情がごちゃまぜになったような顔をして、それから穏やかに笑った。
「……後輩、だからね。だからブレンダの方が優先」
「……ありがとうございます」
まだ、申し訳なさはあるけれど、それでも。ジルバルトの言葉が嬉しかった。
……と、そこで。
「!」
私のお腹が鳴ってしまった。
ジルバルトが、いたずらっぽく微笑む。
「カフェにいこうか。ボクもお腹空いたし。生徒会の仕事はクライヴに休むっていっておいたよ」
「ありがとうございます」
良かった。今はアレクシス殿下を避けたかったので、生徒会をどうしようかと思っていたのだ。……それでも、問題が先延ばしになっただけだけれど。
「カフェも、今は期間限定のメニューがあるんじゃなかったかな」
「! ほんとですか?」
いったいどんなメニューだろう。思わずごくりと喉をならした私にジルバルトはふは、と笑った。
「うん。本当だよ」
そういって、私の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「! だから私は犬じゃ──」
抗議をしようとしたのに、ジルバルトの目があまりに優しかったから、やめる。
ジルバルトは一通り撫でて満足したのか、胸ポケットから櫛を取り出すと、私の髪をとき、クリップで止めてくれた。
「よし、じゃあ行こうか」
「はい」
ジルバルトにエスコートされてカフェに向かう。
──カフェではとても穏やかな時間を過ごした。




