広い世界
アレクシス殿下の翡翠の瞳は、憂いを帯びていた。
「……ブレンダ」
私と目が合うと、勢いよくアレクシス殿下は頭を下げた。
「すまない!! 私、私はーー君に取り返しのつかないことを」
「!?」
もうみんな帰ってしまったのか、廊下には私とアレクシス殿下しかいない。
でも……。
「アレクシス殿下、頭を上げてください」
アレクシス殿下は第二王子であり、いつ人通りがあるかわからないような場所で頭を下げていい人じゃない。
「すまない、私は……」
それでもなお頭を下げ続けるアレクシス殿下。
「頭を、上げてください」
もう一度、静かな声でアレクシス殿下に告げる。
すると、ようやく頭を上げてくれた。
「アレクシス殿下、こちらではゆっくりお話もできません。よろしければ、温室に移動しませんか」
以前、ミランが提案してくれた温室。
あそこなら、廊下よりも話がしやすいはずだ。
「……すまない。そうしよう」
◇◇◇
花々が咲き誇る温室で、以前ここに来たときは春だったなと思い出す。
「すまない。私はまた暴走して、君のことを考えられていなかった」
深々と頭をさげるアレクシス殿下は、そのまま続けた。
「昨夜言った通り、私は君にとても酷いことをした。到底許されることではない。だが……それなのに、こうして話す機会を作ってくれてありがとう」
「……」
なんと言ったらいいかわからないまま、アレクシス殿下の言葉を聞く。
「私は、君を深く傷つけてしまった。君のことが好きで恋をしていると言いながら、私は自分のことしか考えていなかった。君に私を見て欲しくて。どうしても、その気持ちを他に向けて欲しくなくて。それで、禁術に手をーー君を一番傷つける方法を選んでしまった。本当に、すまない」
ふと、アレクシス殿下から花に視線を向ける。
この温室で、かつて婚約者だった私たちは友人になれると思った。
でも、私たちはちゃんとした友人にはなれなかった。
だって、友人はそんなことをしないから。
「君は、私にどうしてほしい? 君が望むことで叶えられることなら、なんでもする」
「……私は」
私は、ゆっくりと口を開いた。
「アレクシス殿下と友人になりたかったです。私たちは、一度婚約者として歩み寄れなかったけれど、今度こそもう一度新たな関係が築けると信じていました」
「!」
けれど、それは叶わず今に至る。
そんな私が、望むとすれば、それは。
「私が今のアレクシス殿下に望むことは、何もありません」
「!!」
アレクシス殿下が、顔を上げる。
その瞳には、絶望が映っていた。
その目を見ながら、私は続ける。
「アレクシス殿下のしたことを完全に許すことができません。……いつか笑い話にできるのかもしれないけれど。少なくとも今はそんな気持ちにはなれません」
胸の中で、魔法の言葉と共にあのルビーのように綺麗な瞳を思い出す。
……うん。そうね。私は大丈夫。
「……でも、アレクシス殿下のおかげで、私は自分が避けたいと思っていた、『恋』を知ることができました」
たとえ、偽物でも。
私の胸を熱くした記憶が、確かに残っている。
「だから少しだけ、私は想像ができます。恋した相手に、作り物でも好意を向けられる心地よさ。そして、それ以上の虚しさを。……きっとそう感じたから、アレクシス殿下は、私に真実を話してくれたのだと思っています」
「……」
アレクシス殿下は、黙って唇を噛んだ。
「アレクシス殿下の罰はその苦しみで十分だと思います。だから、あなたに望むことはありません」
「……だが」
「それでも。それでも、償いたいと思うなら……アレクシス殿下自身を愛してください」
「私を……愛する?」
迷子のように途方に暮れた顔をしたアレクシス殿下に微笑む。
「はい。あなた自身と向き合ってください。アレクシス殿下、どうか自分で自分を縛っていることに気がついて」
それは、私がずっと気に掛かっていたことだった。
「アレクシス殿下は、王太子殿下とは違います。王太子殿下だけじゃなくて、他の誰とも比べても意味がない。なぜなら、長所も短所も性格も。誰ひとり同じ人はいないから。そのことにどうか気づいてください」
「だが、兄上は完璧で……」
「完璧な人間なんて、どこにもいませんよ。私やアレクシス殿下が完璧な人間ではないように」
アレクシス殿下は、ずっと王太子殿下にコンプレックスを感じていた。
そのことに気づいていながら、婚約者時代に寄り添えなかった私も完璧じゃない。
私自身にこんな説教めいた言葉を言う資格はないのかもしれない。でも、それでも。
「まずはあなた自身を愛して、そして、自身を愛するように他人を愛してください。そうすれば、きっと世界が広がりますよ。そして、アレクシス殿下には、その広い世界が似合う」
あけましておめでとうございます。
もう少しお付き合いいただけたら嬉しいです。