あの日のこと
昨日一話更新しています
数日、体が重くて動きたくない、動けないという男子たちの要望により、大人しく別荘の中で過ごす日が続いた。……といっても、ジルバルトはなぜかたまにいない日もあったけど。
私はあの日から、アレクシス殿下と二人で話をする機会を窺っていたのだけれど。
大人数で過ごす中で、そんなに都合よく、二人きりでゆっくり話せる場所も時間もなかった。
いつもように朝食をとりながら、今日の予定を決める。
「さっき、新聞で見たんだけど。ホラーハウスが近くにできたらしいよ」
そう言ったのは、ジルバルトだった。
アレクシス殿下を除いて、みんなその話に食いついた。
今日の予定は、ホラーハウスになるに違いない。
「今回はご遠慮させてください」
私がそういうと、一斉に、みんなが振り向いた。
「幽霊が苦手なので……」
苦笑いを浮かべて付け加えると、納得した顔をしたみんなは、今度は誰が残るか、という話になった。どうやら、私ひとりだと退屈だろうと、気を遣ってくれたみたいだ。
それなら……、と私はひそかに、心の中で願った。
「私が残ろう」
まっさきに、手を挙げてくれたのは、願い通りの人だった。
「ブレンダさんが残るなら、私も……」
「いや、ミラン嬢。私だけで十分だろう。丁度、しなければならなかったこともあったし、君は楽しんでくるといい」
アレクシス殿下の言葉に、ミランはそれなら、と手を引っ込めた。
それで、話し合いはまとまり、朝食会は終わった。
「いってらっしゃいませ」
「気を付けて」
私とアレクシス殿下の言葉に、笑顔で手を振ったミランたちは、馬車に乗り込んだ。
馬車を見届けてから、二人で別荘の中に入る。
「……アレクシス殿下」
「どうした?」
私は、微笑んだ。
「ありがとうございます。残ってくださって」
「いや、私もすべきことがあったから」
すべきことって、何だろう?
不思議に思いつつ、アレクシス殿下に尋ねる。
「アレクシス殿下、もしよろしければ、一緒にお茶を飲みませんか?」
「もちろんだ」
その笑みに、胸が熱くなるのを感じながら、応接室に行った。
使用人に紅茶を入れてもらい、カップに口をつける。
温かい紅茶は、体にじんわりと染み込んだ。
「ところで、アレクシス殿下は……」
「?」
瞬きをしたアレクシス殿下を見つめる。
新緑の瞳、意志を宿したその瞳を眺めながら、私は続けた。
「まだ、幽霊が苦手ですか?」
「!? ごほっ」
盛大に咳き込みだしたアレクシス殿下に慌てて駆け寄り、その背中を摩る。
「……ありがとう。もう、大丈夫だ」
涙目になっているその表情はとても貴重で、心のなかにしっかりと刻み込んだ。
「どうして、そのことを――……」
思い出してくれたかな。そうだといいな。でも、昔のことだし、忘れられてるかも。
期待と不安がごちゃまぜになった気持ちで、言葉をとめたアレクシス殿下を、見つめる。
目を見開いて、そのあとぱちぱちと瞬きをしたアレクシス殿下は、息を吐き出した。
「そう、だったな……」
アレクシス殿下の唇が懐かしむように小さく弧を描く。
「だが、ブレンダに言ったのは一回だけだったはずだ」
そんなの。元婚約者で、現好きな人の言葉を聞き漏らすはずがないわ。
でも、そんなことは言えないので、代わりに、記憶力はいいんです、と微笑んだ。
「記憶力……たしかにブレンダは、暗記がある必要な語学が得意だったな」
「! そうですね」
私の得意科目憶えてくれていたんだ!
嬉しくて、口角が緩む。
「……ブレンダ」
「? はい」
名前を呼ばれ、首をかしげる。
「だが、あのとき、君は――」
アレクシス殿下は新緑の瞳で私を見つめていた。
「幽霊なんていないといっていた」
「……そう、でしたか?」
とぼけてみる。
けれど、アレクシス殿下の穏やかな瞳に見つめ続けられ、とぼけ続けても意味はないな、と悟った。
「……はい。私は、幽霊を信じていません」
だって、本当に幽霊がいるのなら、私の母は――必ず現れるはずだ。
愛情深い人だった。兄や私のことも心配だろうし、狂った父を放っておくはずがないわ。
そう思いながら、アレクシス殿下の瞳を見つめ返す。
「もしかして、私が不参加を選びやすいようにしてくれたのか?」
一人欠席すれば、欠席しやすくなるから。そう付け足して、アレクシス殿下は、首を振った。
「いや――そうだ。君は昔から、そういう人だった。だって……」
アレクシス殿下は語りだした。――私たちの過去のことを。
◇◇◇
私たちが、一緒にでかけた日のことを憶えているだろうか。丁度、婚約して一年が経った頃のことだ。
王城で会話をしながら、紅茶を飲んだ。いつもならそれだけで解散なのに、その日は気まぐれを起こした。
私から君に一緒に出掛けよう、と誘ったんだ。君はいつものように微笑をはりつけ、頷いた。
そこで外に出て馬車に乗り込もうとしたとき、私は、あるものに気づいた。『それ』から目が離せなくなり、足が止まった。『それ』はどうしようもなく、私が苦手なものだった。
首をかしげた君に理由を説明することも出来ずに、無言で城の中に入った。
どうしよう。馬車の位置をずらしてもらうか? いや、そんなことをすればなぜ――と理由を説明しなければいけなくなる。
しかしそれは、私にとってこの上ない苦痛だ。
ぐるぐると悩んだ。だが、しばらくして理由も言わずに、君を置いてけぼりにして、城の中に戻って来たことを思い出した。
慌てて、また外に出て君の姿を見たんだ。
君は、それを――虫の死骸をハンカチで包むと、近くの花壇の中に埋めた。
「……ブレンダ?」
私が呆然と君の名前を呼ぶと、君は相変わらずはりつけた微笑でいった。
「花を眺めておりました。アレクシス殿下、もうご用はすまれましたか?」
虫を片付けたことなんて、口に出さずに、君は首をかしげた。
「……ああ。忘れ物をしてな」
「そうなんですね」
特に何も持っていない私の白々しい私の嘘を、君は追求することなく頷いた。
「では、いきましょうか」
そういった、君に手を差し出した。
「……ああ。ありがとう」
◇◇◇
――アレクシス殿下の語った過去は、私も憶えている。
でも、虫を除いたことを知られているのは、知らなかった。てっきり、気づかれていないと思ていたのに。
アレクシス殿下は話し終わると、ため息をついた。
「アレクシス殿下?」
私に虫が嫌いだと気づかれていたことが、嫌だったのかな。
そう思い、首をかしげると、アレクシス殿下は首を振った。
「ああ、いや……。過去の私の愚かさについて考えていた」




