きっかけ
翌朝、昨日のように朝食をとりながら、何をして過ごすか話し合い、その結果、今日は別荘の近くにある湖に行くことになった。
「湖かぁ……」
ボートもあるし、魚釣りもできるみたいだ。
客室で準備を整えながら、今日はどんな髪型でいこうか考えていた。暑いだろうし、帽子はいるよね。
悩んだ挙句、髪を切ることにした。
私は、今のところ平民でい続けたい気持ちの方が強い。
まだ、確実に平民だ、とは決められないけど。やっぱり今は自由を満喫したいから。
だから、中途半端な長さまで伸びた髪をそのままにしておくのは、なんだか違う気がする。
それに、貴族に戻るならまたそのときに伸ばせばいいもの。
ミランに以前切ってもらった時のことを思い出しながら、髪を切った。
「よし!」
今日も夏を満喫するぞー!
ワクワクしながら、客室から出た。
今日は全員参加することになったので、みんなで話しながら、湖までを歩く。
「魚は、どんなものが釣れるんですか?」
隣にいた釣り道具を運んでくれているルドフィルに話しかけると、ルドフィルは笑顔で教えてくれた。
「パイクなどの淡水魚がとれるみたいだよ」
「そうなんですね!」
私も釣りに挑戦してみようかな……。
ちなみに、ボートは基本二人乗りか一人乗りらしい。
ミランとクライヴはおそらく一緒にのるだろうけれど……。一人で漕ぐのも楽しそうだ!
みんなでわいわい話しながら、歩くとあっという間に、湖についた。
「綺麗だわ!」
「綺麗ですね!」
日の光できらきらと輝く水面は、とても美しかった。
「マーカスくん、ボクも釣りしてみたい」
「もちろんですよ、ローリエ殿」
ルドフィルとジルバルトは釣りをするらしい。
「ミラン嬢、一緒にボートに乗らないか?」
「はい、もちろんです」
やっぱり、ミランとクライヴは一緒にのるみたいだ。私も邪魔しないように、少し離れて一人乗りボートに乗ってみようかな。
そう決めてボートの方へ向かっていると、声をかけられた。
「ブレンダ」
「はい。なんでしょう?」
胸を高鳴らせながら、振り返る。思った通り、その声の主はアレクシス殿下だった。
「よければ、一緒にのらないか」
「私で良ければ、よろこんで!」
満面の笑みを浮かべる。好きな人と一緒にボートに乗れるなんて、夢みたいだ。
アレクシス殿下が先にボートに乗り込み、私に手を差し出してくれた。
「わっ!」
「大丈夫か?」
意外と揺れたので、体重移動に気をつけながら、そーっとボートに乗り込む。
「はい。ありがとうございます」
二人乗りといっても、オールはアレクシス殿下側にしかついてないので、私は漕げそうもない。
……少し残念だ。
ゆっくりとオールを漕いでいる、アレクシス殿下を見つめる。
「……アレクシス殿下」
「どうした?」
新緑の瞳は、穏やかな色を湛えている。その瞳を見つめ、どきどきしながら尋ねた。
「アレクシス殿下は憶えていらっしゃいますか?」
……憶えてるかな。憶えているといいな。
「もしかして、昔、ロイと君と私の三人でボートに乗った日のことか?」
良かった。憶えていてくれた!
「はい!」
嬉しくて、声が弾んでいるのが自分でもわかる。
そう、昔――私とアレクシス殿下がまだ婚約者になりたての頃。一度だけ、アレクシス殿下とその侍従のロイとボートに乗ったことがあるのだ。
「懐かしいですね」
「そうだな」
「……ふふ」
あの頃の様子を思い出して、笑う。
アレクシス殿下は、目を伏せた。
「どうしましたか?」
アレクシス殿下を見つめる。
「あの頃の私は、君にどう接すればいいかわからなかった。私たちの間に挟まれたロイが伝書鳩のような役割をしていたな……」
「そうでしたね」
アレクシス殿下がロイに話しかけて、その内容をロイが私に話しかけて。
婚約者時代はそもそもいつだって仲が良いとは言えなかったけど、それでも婚約したばかりというのもあって、一番ぎこちなかった。
ロイが必死で、私は(表現しなかったけれど)緊張していて、アレクシス殿下は――ぼんやりとした瞳だった。
「……ブレンダ」
「はい」
アレクシス殿下は、湖の真ん中の辺りで、オールを止めた。
「あの頃の私は意志というものがまるで、なかった」
「……そうですね」
あの頃のアレクシス殿下は、無感動な表情が印象的だった。それこそ、感情を殺していた私よりも、無表情だったかもしれない。私は、一応微笑をはりつけていたし。
「私は、当時、個というものがなかった。きっかけは――海だった」
それは、初めて聞く話だった。
周囲の音が聞こえなくなるのを感じながら、アレクシス殿下の話に耳を傾ける。
「君も知っての通り、私はあまり期待されずに育った。兄という、輝かしいばかりの存在がいたから、私はスペアとしてさえも、興味を持ってもらえなかった」
確かに昔からアレクシス殿下の兄である、王太子殿下は多芸多才な人で有名だった。
「そんな父がある日、公務以外で、初めて私を連れて二人で外出するといった」
アレクシス殿下は、そこで、細く長い息を吐きだした。
「行き先は海だ。私は初めて期待、というものを覚えた」
微笑を浮かべ、アレクシス殿下は続ける。
「まぁ、その期待も意味はなかった。結論から言うと――海には行かなかったんだ」
「!」
ひゅっと、喉が変な音をたてた。
期待をしたアレクシス殿下の落胆を想い、胸が痛くなる。
「兄が……熱を出したんだ。ご想像の通り、兄を優先した父によって、海への外出は無くなった」
「……」
「それ以来、私の中で人なりに存在していた、感情も希薄になった」
当時のぼんやりとした、アレクシス殿下の瞳を思い出す。あれは、全てを諦めた瞳だったんだ。
「その後も兄には、溢れんばかりの愛も贈り物も側近も、全てが与えられた」
アレクシス殿下は続ける。
「対して、期待を全くといいほどされていない私に与えられたのは、兄がいらないと切り捨てたお下がりだった」
「……そんな」
アレクシス殿下は微笑を消し、目を伏せた。
「だが、もうそれでよかった。悔しいだとか、悲しいだとかそんな感情も浮かんでこなかった」
悲しい。……過去はどうにもできないとわかっているのに。
どうしようもなく、悲しくて、悔しい気持ちが、私の中に広がる。
「……自分は何が好きで、何が嫌いかさえわからなかった。だが――」
アレクシス殿下は、目を開けて、ふわりと微笑んだ。
「そんな私に、初めて好きなものができた」
アレクシス殿下の好きなもの。ピアノ、ポワレ、それから春など様々なことを思い浮かべる。
「私が初めて好きになったもの。それは、水色だ」
確かに、アレクシス殿下は昔から水色が好きだった。いつから、好きだったのかわからないけれど。
「水色が好きになったのは」
――アレクシス殿下の瞳にはしっかりと意志が宿っていた。
「君の色だからだ」
「!」
激しいほどの熱を帯びた視線に見つめられ、胸が高鳴る。
私は思わず、アレクシス殿下に手を伸ば――。
「ブレンダさん、アレクシス殿下!」
急に、世界に音が戻って来た。
「……ミラン様、クライヴ様」
こちらに振られた手を振り返す。
ミランとクライヴがのったボートが徐々にこちらに近づいてきた。
「そろそろお昼休憩にしないか?」
クライヴの言葉にアレクシス殿下が頷いた。
「たしかに、もういい時間だな」
「……え?」
空を見上げると、太陽が高い位置にあった。
「では、戻ろうか、ブレンダ」
アレクシス殿下は微笑んで、私を見る。
本当は、あの話の続きを聞きたい。でも、もう聞けるような雰囲気ではなくなってしまった。
「はい」
なので頷くしかなかった。
ボートを漕ぐ、アレクシス殿下を見つめる。
「? ブレンダ?」
みつめすぎてしまったようで、アレクシス殿下は首をかしげた。
「どうした?」
「いえ……」
そうか、と微笑むアレクシス殿下からは、先ほどの熱は感じられない。穏やかな光があるのみだった。
あの熱を帯びた瞳を胸に中に刻み込むように。私は、そっと目を伏せた。
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たくさん書き下ろしの番外編をかいたので、何卒宜しくお願い申し上げます!!!!!!




