ミルクティー
――それからしばらくして、火の始末や片づけをし、邸の中に戻る。
「……ブレンダさん、ちょっといいかしら」
与えられた客室に入ろうとすると、ミランに呼び止められた。
「? はい、どうしましたか?」
「お風呂に入る前に、私とお話ししましょう」
「それはもちろん」
こちらへどうぞ、とミランの客室の扉を開いてくれたので、有難く中に入る。
部屋の内装や家具の配置などは、私の部屋とそんなに変わらないみたいだ。
勧められるままソファにお互いが向かい合うように座る。
「……ブレンダさん。少し待っていてね」
そう言ってミランは、使用人にお茶を持ってくるように言った。ほどなくして、紅茶――ミルクティーが二つ運ばれてきた。
「ありがとう、もう下がっていてくれる?」
ミランの言葉に使用人はお辞儀をして、下がる。
私はミルクティーの淡いベージュを眺めながら、今日起きた出来事のうち――アレクシス殿下のことを思い出していた。
ミランは、ミルクティーに口をつけると、微笑んだ。
「ブレンダさん」
「はい」
ミランはカップをテーブルに置くと、私を見つめる。
「ブレンダさんは、とても素敵な人よ」
「それは……ありがとうございます」
ミランの方が、よほど素敵だ。そう思いながら、お礼を言う。
「いいえ、だからね――」
ミランは、そっと目をふせ、カップを取ろうかどうしようかと迷っていた私の手を握った。
「そんなあなたに対して、今日の……アレクシス殿下の態度はあんまりだと思うの」
「!」
ひゅっと、息が止まる。気づかれていたんだ。
「気づくわ。大親友が悲しそうな顔をしているんですもの」
「……ミラン様」
ミランは私の心を見透かしたように、そう言って、握る力を強めた。
温かいその温度に張りつめていた気がふわりと緩む。その緩みは、熱い雫となって表れた。
「っ、ごめんなさ――」
慌てて握られていない手の方で、涙をぬぐう。
「謝らないで。大丈夫よ、ブレンダさん」
ミランはそれこそおまじないのように、大丈夫、大丈夫、と繰り返した。
大親友の大丈夫は、優しく胸に染み込み、零れ落ちる涙が止まる。
「聞いていいことか、わからないけれど……。ブレンダさんとアレクシス殿下の間に、何かあったの? 話しにくいことであれば、今の質問は忘れてね」
ゆっくりと、穏やかな口調で言われた言葉を脳内で反芻し、ミランに、この別荘に来てすぐのことを話す。
アレクシス殿下と会話をしたのは、そのときくらいだった。あとは頷きなどの反応が返ってきたり、こなかったりだったので、アレクシス殿下が夏季休暇中に急に私を嫌いになった……などでなければ、原因はそのときになる。
ミランは話を一度も遮らず、適度に相槌を打ちながら、耳を傾けてくれた。
「……なるほどね」
ミランは話を聞き終わると、呆れたように、ため息をついた。
やっぱり、私の返答が良くなかったのかな。
不安に思いながら、ミランの次の言葉を待つ。
「ブレンダさんは、悪くないわ。悪いのは、アレクシス殿下よ」
――悪くない。
その言葉に、救われた気がする。でも、問題は未解決なままだ。
「……いろいろとアレクシス殿下に私から言いたいことはあるけれど」
ミランは、そこで一度言葉を切り、私を見つめた。
「ブレンダさんは、どうしたい?」
「どうって……?」
「アレクシス殿下にあの態度を謝ってほしいのか、仲直りしたいのか、それともこのままか」
「仲直り、したいです」
ゆっくりと望みを口に出す。
「だったら、そうね――魔法の言葉を教えてあげる」
ミランは手を離して立ち上がると、私の傍までやってきて、耳打ちした。
「……え? えっ、それが魔法の言葉なんですか?」
「ええ、そうよ。言うか言わないかは、あなた次第だけれどね」
「いえ、ありがとうございます。……試してみます」
私も立ち上がり、ミランと目をあわせる。
「ミラン様、相談にのってくださり、ありがとうございました」
「いいえ」
行ってらっしゃい、と手を振ってくれたミランに手を振りかえして、客室を出た。
◇◇◇
アレクシス殿下が使っている客室は、一階の奥側だったと思い出しながら、階段を降りる。
その途中で、クライヴとすれ違った。
「ミラン様は、まだお部屋にいらっしゃいますよ」
「ああ、ありがとう」
「いいえ」
会釈をして、階段を最後まで降りきり、アレクシス殿下の客室へ行くと丁度アレクシス殿下がでてきた。
「アレクシス殿下……」
ナイスなタイミングだ。
……ナイス、だけれども。
アレクシス殿下は、一瞬私の方を見たけれど、また視線を逸らそうとする。
なので、ミランから聞いた魔法の言葉を唱える。
「アレクシス殿下、私……、アレクシス殿下と『一番』仲よくしたいです」
ミランに言われた通り、一番を強調しつつ最後まで言い切った。
どうかな、これで、仲直りできる?
「……っ」
アレクシス殿下は驚いたように目を見開いたあと、ふぅ、とため息をついた。
「――ブレンダ」
「は、はい」
新緑の瞳は逸らされることなく、私を見つめている。
嬉しいけど、とても緊張する。人に見つめられるって、こんなにも、緊張することだったっけ。
「すまない」
……すまない。
頭の中で、その言葉を反芻する。
「それは……」
その謝罪は仲良くしたくない、とか、そういう――。
「くだらない嫉妬で、君を困らせたな」
「え――」
嫉妬? アレクシス殿下は嫉妬してたの?
「私は……自信がない。だから、君が他の男と楽しそうに話しているだけで、こんなにも嫉妬する。だが、その自信のなさを――君に押し付けるべきではなかった」
私が、他の男性と楽しそうに話しているだけで、嫉妬するっていう具体的な事例は、ジルバルトとクライヴについて話を咲かせていたことだろう。
……なんて、冷静に分析する部分があるとは裏腹に。
嫉妬する意味を探してしまう愚かな私もいた。
まだ、私のことを好きでいてくれているってこと? そうだったら、いいのに。
……いやいや、この方は第二王子。私のような平民に拘っているべきではないわ。
でも、嬉しい。
胸の中で様々な感情が渦巻き、何も言えずにいると、アレクシス殿下は目を伏せた。
「本当に、すまない。もし良ければ、仲直りしてもらえないだろうか?」
「はい、それはもちろん」
笑顔で頷き、アレクシス殿下が差し出した手を握る。
わぁ。好きな人の手に触れるだけで、こんなにもどきどきするのね。
うるさい心臓の音に気づかれませんように! と思いながら、手を離した。
「……ブレンダ」
「? はい」
「ありがとう」
アレクシス殿下は、柔らかな笑みを浮かべてそう言った。
「! い、いえ……」
その笑みに、胸がじんわりと温かくなる。
「これからは、くだらない嫉妬をしないように、気をつける。……おやすみ」
「……おやすみなさい」
やったー! おやすみの挨拶も出来た。
私はるんるんと弾む心で、お風呂に入った。
この邸は二つ浴室があるようで、今回は女湯と男湯で分けられている。
ミランは後から入るらしいので、あまりまたせないように、でも丁寧に体の汚れや疲れを落す。
「……はぁ」
温かなお湯は、ゆっくりと強張っていた体をほぐす。
「今日は、濃い一日だったなぁ」
別荘にきて、ダウトをして、ばーべきゅーをして、アレクシス殿下に避けられて、仲直りして。
「明日からは、どんなことをするんだろう」
どんなことでもみんなと過ごす夏季休暇は、楽しくなるに違いない。
未来の予想に胸をふくらませながら、お湯から上がった。




