予感
ミランの実家である侯爵邸は、庭も綺麗だった。様々な季節の花が咲き誇るそれは、現女主人であるミランの義母の趣味なのだという。
「綺麗ですね」
「ええ。私もこの庭が好きなの」
ミランの横顔は、本当に好きなものを愛でる時の顔だった。
「噴水もあるのよ」
「噴水もあるのですか!」
私の母も噴水が好きだった。だから、かつての公爵邸にもあった。だけど、母が亡くなった時に、父によって撤去されてしまったけれど。
そんなことを考えながら、ミランに案内されて、噴水へ。
噴水の水は澄み切っていて、濁りがなく、よく手入れされていることがわかる。
「わぁ! 涼しいですね」
「ええ。とっても気持ちがいいわよね」
ぼんやりと、噴水にまつわる記憶を思い出しながら、その横を通る。
「ほら、ここよ」
噴水から少し歩くと、ミランの家である侯爵邸の本邸についた。
「ここで、ミラン様は生まれ育ったんですね」
ミランの幼少期に思いをはせる。ミランはライバル視されていた頃から、利発さで有名だった。でも、そんなミランも幼い頃は、この邸で駆け回るようなことをしていたのかな……。
「ええ。小さい頃は割とお父様たちを手こずらせたみたいよ。……かくれんぼが得意だったの」
「そうなんですね!」
この広い邸は確かに、隠れがいがありそうだ。
……そんな幼少期の思い出に花を咲かせていると、ふと、ミランがこちらを向いた。
「手紙にも書いたけれど、今この邸にいるのは、私とマインと使用人が何人か……だから、父やお義母様のことは気にしなくていいわ」
「はい」
現在の夫妻は、仕事や社交の都合上この侯爵邸ではなく、王都の侯爵邸にいるそうだ。
「あっ、ミラン様」
……せっかく買ったのに、すっかり忘れていたわ。
ミランに向きなおる。
「どうしたの?」
荷物の中から包みを取り出すと、ミランに渡した。
「これ、クッキーの詰め合わせです。ミラン様、お家にご招待くださり、ありがとございます」
手土産に買ったのは、王室御用達のクッキーだ。
ルドフィルと街を散策したときに、買っておいたのだ。
「まぁ、嬉しいわ。あとで一緒に食べましょう。それから、こちらこそ、来て下さってありがとう」
ミランは嬉しそうに微笑んだ。
ミランの笑みはとっても可憐で美しい。
「さぁ、まずは客室に案内するわね」
「はい。お願いします」
笑みに見惚れながら、頷いていると、視界の端に影が見えた。
「ミラン様、危ない!」
ミランをかばうように、ぎゅっと抱きしめる。
「どうし……」
――べしゃ。
そこまで重くはない衝撃にほっとしつつ、ミランの無事を確認する。
「ミラン様、お怪我はありませんか?」
「ええ、私は問題ないわ。でも、ブレンダさん、服が――」
ミランと過ごす夏季休暇。その中でも初日は特に大切だと思って、一番お気に入りのワンピースを着てきたのだけれど。そんなワンピースは茶色く汚れている。
衝撃の正体は泥団子だった。
「このくらいなら、洗えば落ちますから、大丈夫ですよ」
泥団子がぶつかった、ということは誰かが投げたということ。
「ごめんなさい、ブレンダさん。この償いは必ずさせるわ。マイン! 出てきなさい」
ミランがこんなに怒っているの、初めて見た。
衝撃を感じながら、階段のほうに目をこらす。階段の陰から、少年がこちらに近づいてきた。
「……姉さま」
少年――マインは、茶髪に青目をしていた。貴族の少年らしく綺麗に整えられた服を着ているけれど、その服も泥に汚れている。
マインは、私たちのほうに近づくと、私を指さした。
「ぼく、こいつきらい!」
きらい……かぁ。
初対面でここまではっきり言われるのは、初めてなので、少し悲しい。
「こら、マイン! 泥団子のことも、今の言葉も謝りなさい。ブレンダさんは、私の大親友よ。ブレンダさんに対する侮辱は、私に対する侮辱ととるわよ」
ミランは厳しい声でそう言ったけれど、マインはなお私を指さして、大きな声で言った。
「ぼく、こいつ大嫌いだもん!」
そう言って、走り去っていく。
「待ちなさい! マイン‼」
マインを追いかけようとしたミランを慌てて止める。
「ミラン様、大丈夫ですよ」
「でも……、ブレンダさんに申し訳ないわ。せっかく来てくださったのに」
眉を下げたミランは、心底悲しそうだった。
「いいえ、子供のしたことですし」
ミランを安心させるように微笑む。
驚いたし、嫌いって言われたのは少し悲しかったけど。
「私にも悪戯っ子だった時期はありましたから」
「そうなの?」
意外そうなミランに大きく頷く。
私は幼い頃――母がまだ生きていた頃だけれど、公爵邸で水色の悪魔と呼ばれていた時期もあった。懐かしく思いながら、その話をすると、ミランはようやく笑ってくれた。
「……ふふ。『完璧な淑女の氷姫』からは想像もつかないわね」
「あっ! ミラン様まで私のことをそう思っていたんですか!」
氷姫、なんて恥ずかしすぎるあだ名はいったいどこまで広がっていたのかしら。
「ふふ、でも今はそうは思わないわ。あなたって、……氷と言うよりお日様みたい」
「……お日様」
そんなこと初めて言われた。
「ええ。私は、ブレンダさんといると胸が温かくなるもの」
「ミラン様!」
好き!
感極まった私はミランに抱きつこうとして、服が泥だらけなことに気づいた。
「ミラン様、服を着替えたら抱きついてもいいですか?」
「……ふふ。ハグの予告なんて初めてされたわ。客室はこっちよ」
ミランは笑いながら、客室に案内してくれた。
「わぁ、とても綺麗ですね」
内装もとてもおシャレでいて、品よく整えられていた。
クリーム色を基調とした部屋は、女子寮のミランの部屋を思い出させた。
「家具の配置が気に入らなかったら、自由に変えてもらって構わないわ」
「いえ! とっても気に入りました。ありがとうございます」
ひとまず、服を着替えるためにミランは外で待っていてもらう。
荷物から服を取り出しながら、とっても楽しい夏季休暇になる予感に心を躍らせた。
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