おひとりさま
「……はぁ」
自室にやっと戻って来た。
乗合馬車に乗っている間、私の将来の選択肢について、考えていた。
それなりの生活水準を維持しようと思ったら、やっぱり研究職だと考えていたけれど。それだけが全てじゃなかった。
もちろん、天文塔はとても良かった。見学してみて、雰囲気も良いなと思ったし、待遇も良い。
……でも。
他も考えた上で選ぶのと、他を考えずに選ぶのとではその選択に後悔が生じる割合がかなり違うと思う。
それを気づかせてくれたのは、アレクシス殿下だ。
例えば、王城で侍女の一人として働くのだって、高給が確約されている。王城なので、雇用条件も確実にいいし、周囲からも羨まれる職だろう。その分、狭き門だろうけれど。
元公爵令嬢として、礼節は一通り学んでいるし、それこそ臣下として、アレクシス殿下――好きな人の近くで働けるかもしれない。
「将来、かぁ……」
まだ一年生だから、という言い訳はできない。私は一年生だけど、平民で、戸籍上は家族がいない。だから、私自身のことをしっかりと考えていかなくちゃ。
――朝になった。昨夜は悩んでいるうちに、眠ってしまった。
気持ちを切り替えて、今日も一日頑張ろう!
「……何をしようかな?」
現在、女子寮にいるのは私と寮母さんだけなのだ。
だったら……せっかくのおひとりさま――正確にはおふたりさまだけど――を満喫しないと損じゃない?
「よし!」
そうと決まれば、寮母さんのところに行ってみよう。
「おはようございます」
「あら、ブレンダさん。おはよう」
寮母さんは私に気づくと、花壇に水をやっていた手を止め、顔を上げた。
「私も、一緒に水やりをしてもいいですか?」
「まぁ、手伝ってくれるの? ありがたいわ」
ジョウロに水を入れて、花にかける。
日差しに照らされた花は、水の雫できらきらと輝いていて、とても綺麗だ。
水やりをしながら、寮母さんとお話しする。
「困っていることはありませんか?」
「そうねぇ……。一番気になっているのは、この寮の外観ね」
寮の中はみんな丁寧に使っているから綺麗だけど、外壁の劣化――特に汚れをどうにかしたい、と寮母さんは話していた。
「‥…なるほど」
確かに外壁を見てみると、かなり汚れている。でも、寮母さんは、最近、腰を痛めていた。はしごにのぼったり、長時間ブラシでこすったりすることが必要な外壁掃除は、手を出しづらいのだろう。
「わかりました! お任せください」
「ブレンダさん?」
「お掃除道具を貸していただけたら、すぐに取り掛かります」
でも……、と悩んでいる寮母さんを説得させるべく、言葉を重ねる。
「いつも、寮を管理してくださり、ありがとうございます。いつもお世話になっている一員として、手伝わせてください」
「……わかったわ。くれぐれも無理はしないでね」
やった、許可が出たわ!
喜びながら大きく頷いた。
「じゃあ、掃除道具をとってくるわね」
「私も場所を憶えたいので、ついていってもいいですか?」
もちろんよ、と頷いてくれた寮母さんにお礼を言って、掃除用具入れの場所を教えてもらう。
掃除用具入れは、寮母さんの部屋の隣だった。
「そうね……必要なのは、ブラシとホースと、洗剤と……はしごかしら」
「ありがとうございます!」
掃除道具を受けとり、やる気満々のまま掃除を開始しようとして――。
「ブレンダさん」
「? はい」
「可愛らしいお洋服が汚れたら大変よ」
そう言って寮母さんが作業着を貸してくれた。
ありがたくその作業着を受けとり、自室で着替えてから、いざ、掃除へ。
外壁といってもそこまで高所は汚れていないのと、さすがに怖いので、はしごで届く範囲内で綺麗にすることにした。
洗剤をブラシに付けて、優しくこすっていく。
「……おおー!」
最初はあんまり効果がないように思えたけれど、徐々に、汚れが薄くなっていくのがわかり、とても楽しい。
はしご――そこまで高くはない――をおりたり、あがったりを繰り返しながら、こする。
外は暑いので、適度に水分休憩をはさみつつ、二時間くらいこすっていくといい感じになって来た。
「よーし」
こんなものかな。最後の仕上げだ。
ホースを蛇口につけて、水を出し、それを壁に吹き付ける。
「わぁー」
泡や汚れを含んだ黒い水が壁からながれ、綺麗な真っ白い外壁があらわになる。
すごい。眩しいほどの真っ白だ。
蛇口をひねった後、まだその白さに見入っていると、寮母さんに声をかけられた。
「ブレンダさん」
「はい」
「ありがとう。お礼もかねて、クッキーを焼いたのよ。食べましょう」
「! ありがとうございます」
わーい。おひとりさまを満喫したかっただけで、特に見返りを期待してたわけじゃないけど。
すごく、嬉しい。
喜んで、道具を片付け、作業着からいつもの服に着替えて、寮母さんの部屋に入る。
バターの香ばしいにおいがした。
「!」
そのにおいをかぐと同時に、私のお腹の虫もなった。
少し、気恥ずかしく思っていると、寮母さんが優しく笑っていた。
「……ブレンダさんは、本当に素直ねぇ」
「そうですか?」
感情を殺すのをやめた、という意味では素直なのかもしれない。
「ええ」
勧められた椅子に座りながら、寮母さんが焼いてくれたクッキーをつまむ。
「わ、とても美味しいです」
ルドフィルがいつも焼くクッキーも美味しいけれど。寮母さんのクッキーは、それよりも、素朴な味わいだった。とても美味しい。
「良かったわぁ」
寮母さんは、微笑みながら、冷たいレモンティーに口をつけた。
「最初は、心配だったの。あなたが周囲となじめるか」
「……はい」
私は、元貴族で現平民というやっかいな立ち位置だ。
「でも、あなたはすぐに周囲と打ち解けられて、良かったわぁ。私は何年も寮母をしてきたけれど……特待生で平民の子は、かなり個性あふれる子が多くてねぇ、貴族の子と衝突することも少なくなかったのよ」
……なるほど。もしかしたら成績が下降したら、特待生から外され、この学園から去らなければならない、というプレッシャーもあり、周囲に気を遣う余裕もなかったのかも。
私も周囲と衝突しないとも限らないし、気をつけよう。
「でも、あなたは、身にまとう雰囲気が柔らかいから、きっと大丈夫ね」
そう言って、寮母さんは微笑んだ。
「ありがとうございます」
――その後もしばらく和やかにお茶をして、解散した。
いつもお読み下さり、ありがとうございます。
本作の書籍が9月20日に発売されます!
TOブックス様の公式サイトなど、場所によっては、特典SSがつくところもあるそうなので、
何卒、よろしくお願い申し上げます!!




