お姫様
「……ん、ふわあぁ」
大きなあくびを一つして、起き上がる。懐かしい、夢を見ていた。
――リヒトお兄様は、いま、どうしているのかな。
浮かんだ考えを、頭を振って追い出した。
私は、公爵家から勘当された人間だ。私に気にされても、困るだろう。
そういえば、まだ明るかったし休憩するだけのつもりだったから、カーテンも閉めずに眠ってしまっていた。
窓からは、月の光が差し込んでいる。
「……綺麗」
今日は満月のようで、とても明るい。
「外に、出てみようかな……」
考えてみれば、この学園に来てから、夜の散歩をしていない。それは、門限があったからだけど、この夏季休暇中は門限はないらしい。
……こんなに明るいんだし、女子寮の周りを歩くくらいなら、問題ないよね。
部屋着から外出着に着替え、外に出る。
蛙の鳴き声が聞こえるだけで、あとはとても静かな夜だった。
……そういえば。
蛙で思い出した。女子寮の近くに池があるのだ。
池の周りは草も切りそろえられていて、とても綺麗らしい。でも、いつも人――特にカップルが多いから、あまりいったことはないのよね。
でも、今学園に残っている生徒はほぼいないから、独り占めできるかも。
「行ってみよう」
池までの道は、何度か通ったことがあるけど、夜に見るとまた違った道に見えて、とても楽しい。
それに、この学園には夜に咲く花も植えられていたらしい。白い小さな花は、とても可憐で、いい香りがする。
その花を眺めながら歩いていくと、あっという間に池に着いた。
「……わぁ」
思わず歓声を上げる。
月の光を受けきらきらと輝く水面は、とても綺麗だった。
学園内でも人気の場所だからかベンチがあったので、座って池を眺める。
……とても贅沢な時間だわ。
「……?」
しばらく眺めていると、誰かの足音が聞こえてきた。それと同時に、荒い息遣いも。
こんな夜中に出歩いているのが、私だけじゃないなんて。
不思議に思って、立ち上がりその足音の方に、近づく。
「はぁっ、はあっ……」
深い紺色の髪。月光の光を受けて輝く、赤の瞳。そして美しい顔立ちは、体がきついのか歪められている。
……ジルバルトだ。
「ジルバルト、様?」
必死に――少し怪しい動きで――走っているジルバルトの名を思わず呼んでしまった。
「!?」
ジルバルトは、私に気づくと、とても驚いた顔をして――。
「ブレン……!」
盛大に転んだ。
「ジルバルト様! お怪我はありませんか?」
慌ててジルバルトを助け起こす。
「……ありがと。怪我も大丈夫」
お礼を言いながら、恥ずかしそうに横を向いたジルバルトは少し早口で言った。
「でもブレンダ、こんな遅い時間に出歩いたら危ないよ――通りかかったのがボクだったからよかったけど」
確かに、軽率だったかもしれない。でも……。
「そうですね、気を付けます。ところで――ジルバルト様もなぜこんな遅い時間に走っていたんですか?」
「うっ」
私の疑問に、ジルバルトは言葉を詰まらせた。そして、しばらくうんうんと唸ってから、観念したようにこちらを見た。
「笑わない?」
「笑いませんよ」
しっかりと、目を見つめて頷く。
「……うん、わかった。ブレンダを信じる」
ジルバルトは、大きく息を吐いた。
「ボクは非力なんだ。……といっても男だから、ブレンダよりは力があるとは思うけど――」
確かに、ジルバルトは全体的に細い。
でも、それを気にしているとは気づかなかった。
「でも、筋力はないよりはあったほうがいいでしょ? そのほうが守りたいものを効率よく守れる」
「効率よく……」
なんとも、頭のいいジルバルトらしい言葉だ。
「うん、そう。だから、この時期は、毎年走って体を鍛えるってきめてるんだよね」
「……そうなんですね」
でも、なんで夏だけなんだろう。それこそ、一年中鍛えた方が、筋肉もつきやすいと思うけど……。
疑問に思っていると、ジルバルトは続けた。
「でも、そもそも、ボクは運動に向いてないらしくて。一年の頃は、季節を問わず朝に走ってたんだけど――……」
運動に向いていない?
「ボクの動きがどうも他の人の走り方とは違うみたいで……、遭遇した子たちにとても怖がられたんだ」
悲しそうな目をしたジルバルトは、はぁ、とため息をついた。
……確かに。ジルバルトの走り方は、どこが間違ってるとか指摘はできないけど、何かがおかしかった。
「だから走るのは人目に付きにくい、夏季休暇中の夜って決めてるんだ」
「……なるほど」
走るのは夏だけだけど、そのかわり毎日自室で筋トレをしているらしい。
「でも、なかなかつかないんだよね、筋肉。……ブレンダだから話したけど」
形のいい唇に人差し指を当てて、ジルバルトは微笑んだ。
「このことは、誰にも秘密ね」
「はい、もちろんです」
大きく頷く。誰にだって、他人に知られたくないことの一つや二つあるだろう。
それを話してくれたことが嬉しかった。
ジルバルトは、ありがと、と言うと、右腕を差し出した。
「……?」
この腕は、どういうことだろう?
意味を図りかねていると、ジルバルトが優しく微笑んだ。
「遅い時間でしょ、女子寮まで送るよってこと。ほら、お手をどうぞ、お姫様」
「っ!」
……恥ずかしい。
頬にかぁっ、と血が上るのを感じる。
でも、これはジルバルトが悪い。誰だってそんな笑みでお姫様、なんて呼ばれたら、照れてしまう。
腕に手を添えられずにいると、ジルバルトは噴き出した。
「……ふ、あはははは!」
「あっ、からかいましたね!」
もちろん、本気でお姫様って呼ばれているわけではないのは、わかっていたけど。
「ごめん、ごめん」
……全く心がこもってない!
「でも」
「?」
「間違いなく、ブレンダはお姫様だよ」
……どういうこと!? まさか、以前言っていた氷姫とかそういう――……。
そう口にしようとして、やめる。
ジルバルトの瞳は、あまりに優しい色をしていた。
「……ボクだけ、じゃないのは気に入らないけど。それでもいいよ」
それでもいい。
そう言って笑った顔は、どこか諦めも入っていて。でも、それだけではない強さもあった。
「ジルバルト様……?」
その表情の意味を知りたくて――、手を伸ばす。
「うん……帰ろう」
けれど頷いたジルバルトの表情は、いつものものに戻ってしまった。
ジルバルトにエスコートされて、女子寮まで帰る。
……服の上から触れた腕も、その体温まではわからなかった。
――ただ、あのときの表情だけが、目に焼き付いていた。
いつもお読みくださりありがとうございます。
皆様がお読みくださるおかげで、本作の書籍が出ることになりました!
発売日は9月20日です!
何卒よろしくお願い申し上げます。




