表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

5.5話(幕間):ミミ、魔女と会話する

本筋とは少し話が逸れる(そしてかなり長い)ので、幕間で5.5話と致します。本筋を早く読みたい方は6話へどうぞ。

落としかけたタオルがフワフワと宙に浮いていた。

ミミが振り返ると、モルセラ伯爵夫人ナンシー・ヌーン──奥様が、ニコニコと微笑み佇んでいた。彼女の右手には、手のひらより少し長い程度の杖が握られていた。白く細く、指揮棒のような杖だ。タオルと杖の先は、キラキラとした光をまとっている。

「……失礼しました、奥様」

「いいのよ、気にしないで。ルーナちゃんの様子はどう?」

ミミが軽く膝を曲げてお辞儀をすると、ナンシーは右手をひらひらと振った。杖がパッと消える。文字どおり、魔法みたいに。いや、確かに魔法なのだ。

「今朝になってようやく熱が下がりまして。入浴されたいとのことでしたので、これから湯を張ろうかと」

「それは良かったわぁ。また後でお見舞いに行くと伝えてちょうだい」

「かしこまりました」

再びお辞儀をしたミミがルーナの部屋に向かおうとすると、ナンシーは「あ、そうだわ」と彼女を引き留めた。

「仕事が落ち着いたら、私の部屋に来てくれるかしら? 少しお話したいことがあるの」

ミミは素直に頷いたが、内心首を傾げていた。一体、奥様が私に何の御用かしら?



ミミがヌーン家に勤めるようになってから、モルセラで初めての冬が訪れようとしている。確か、初めて屋敷に来たのが4月の中頃だったから、もう8か月近くになるのか。ルーナは病弱で大人しい令嬢と聞いていたが、彼女の世話は意外と退屈しない。ミミはモルセラでの生活を楽しんでいた。残念ながら、彼女の実際の性格より冷淡に見える見た目──硬質な黒髪と黒い瞳のせいで、そうは見えなかったが。

ミミはモルセラ出身ではなく、ヌーン家の前にトレニアという街の貴族・シヴィル家の屋敷で働いていた。トレニアはモルセラより北にある小さな街で、シヴィル家はヌーン家の長女、すなわちサイラスの妹・ルーナの姉であるロザリーの嫁ぎ先でもある。

ミミはかつての主人、トレニア子爵夫人・ロザリーの紹介でこの家にやって来たのだ。


「ねえ貴女、わたくしの実家で働かないかしら?」

ご息女を抱いた当時の奥様──ロザリーがそう声をかけてくれたのは、確か今年の年明けごろ。ミミはご令嬢のフローラの侍女となるべく、ロザリーに仕える先輩侍女から厳しい指導を受けていた頃のことだった。

「私が……ですか?」

「ええ、実家から手紙が来てね、わたくしの妹の侍女がもうすぐ結婚して辞職しそうだから、新しい侍女を探さないとと」

「でも私はフローラお嬢さまの、あ、いえ……私の働きに不足がありましたら申し訳ございません」

「とんでもない! 違うのよ、あのね、わたくし……フローラの世話を乳母と侍女任せにしたくないの!」

「え、あ、はい?」

ロザリーの発言に、ミミは思わず目をパチパチと瞬かせた。失礼な物言いにハッとして口元を抑えたが、ロザリーは気に留めることなく続ける。

「だって、こんなに可愛い可愛い子なんですもの! 一時たりとも離れたくないわ! 娘の成長を見逃したくないの!」

ロザリーはぐっと右拳を掲げた。

この国の貴族には、子育ても使用人に任せてしまう習慣がある。子どもが生まれてすぐ、同じ時期に出産した女性を乳母として雇い、生母は授乳すらせずに忙しく社交界での「お付き合い」に勤しむのだ。1日1時間程度しか子どもと交流を持たない生粋の貴族も珍しくない。

「わたくしのお母さまなんて、まあお体がよろしくないというのもあったでしょうけど、幼いころに遊んでもらった記憶がほとんどないのよ。乳母からは『お母さまはお忙しいのですよ』とか、『お嬢さまも大人になれば分かります』とか言われ続けてきたけど、結婚してフローラを生んだ今になっても、まーったく分からないわ! むしろなぜ世の奥様方はこんなに可愛い自分の子から離れることができるのかしら!」

ロザリーの熱弁に、ミミは黙って微笑んだ。正直なところ、彼女は──心の底からおもしろがっていた。


ミミは、大人っぽく、冷静に見えるという周囲の評判に反して、「おもしろい」と感じられる物事が大好きなたちだ。貴族の屋敷での仕事を選んだのも、母もまたメイドだったということだけでなく、醜聞に塗れる貴族の暮らしを間近で見ることができるという点に強く惹かれたからなのだった(残念ながら、シヴィル家は期待に反してごくごく「普通」の貴族の家であったが)。

シヴィル家での退屈な暮らしに飽き飽きしていた頃、彗星のように現れた若く美しい花嫁、ロザリー・ヌーンは、貴族の女性としてはかなりの変わり者だった。夫を支え、そっと後ろで控えるどころか、夫を叱り飛ばし、自らも財産管理を担う。彼女は屋敷に淀んでいた古き悪しき空気を吹き飛ばし、新しい風を呼び込んでくれた。新たな女主人の振る舞いに頭を抱える者も少なくなかったが、ミミはとても楽しんでいた。

ロザリーは貴族らしい精神を持ち合わせてはいたが、使用人に理不尽に当たるようなことは決してない。変わった人ではあるが、悪い人ではないのだ。


「だからね、貴女には貴女が必要となる場所で、働いてもらいたいの。それに……」

ロザリーはそう言って、どこか遠くを見つめるような目をした。

「あの家には、貴女のような人が必要だと思うの」

奥様にそこまで言われてしまっては、もはや断れるすべはない。それに実際、ミミはロザリーの実家の様子が気になって仕方がなかった。兄のモルセラ伯爵は若いくせにお堅い頭の貴族だと聞くが、実際のところは? 妹のルーナはか弱く大人しいらしいが、このロザリーと同じ血を引いているのでは? ミミの胸はわくわくと躍り、好奇心でいっぱいになる。

「かしこまりました、奥様。私喜んで参ります、モルセラへ」

こうしてミミは職場をシヴィル家からヌーン家へ移すことになったのだ。


「ああ、それから、あの家には『魔女』がいるから、気をつけなさいね」

ロザリー「元」奥様の言葉の意味が分かるのは、ミミがモルセラへ引っ越してからしばらくのこと。



チョコレート色の厚い扉を軽くノックすると、向こう側から「はぁい、どうぞ」とのんびりした声が聞こえた。ドアノブを回すと、ナンシーは立ち上がってミミを部屋へ迎え入れてくれた。

屋敷で最も日当たりの良い場所に位置するナンシーの部屋は、普段ミミが暮らしている質素な使用人部屋とはまるで違っていた。品の良い花柄の壁紙に、質の良い調度品の数々。大きな窓を彩るレースのカーテンには、目立たないながらも凝った刺繍が施されている。まるで女性雑誌からそのまま出てきたような部屋だった。

使用人部屋の次にミミが出入りすることの多いルーナの部屋にも、また異なる趣がある。ルーナは屋敷に古くから伝わる家具をそのまま使用しており、歴史の重厚さを感じられるが、少女らしさには乏しかった。ルーナ自身があまり見た目に頓着しない性格のようなのだ。

ナンシーはニコニコと微笑み、ミミに座るよう促した。彼女が差し示したのは深紅のビロード張りのソファで、ミミは気後れしてあまり深く腰掛けることができなかった。柔らかいクッションに腰が浮く。

「お茶を淹れるわねぇ。お菓子もあるの。よかったら食べて」

ソファ前のローテーブルには、美しいティーセットとさまざまな焼き菓子が並べられていた。モルセラ伯爵夫人であるナンシーが、最大級の気合いで「おもてなし」をする時のフルコースだ。食器はシンプルだが全てにしっかりと金の縁取りが入っているし、カトラリーは全て純銀製。焼き菓子は、素朴なレシピながらも最高級の材料を使用しているのだと、以前料理人に教えてもらったことがあった。

……絶対に失敗できないお茶会に出すような代物を、どうして一介の使用人に?

ミミは訝しんだが、不安よりも興味の方が勝っていた。ミミはジャムの乗ったクッキーを皿に取る。苺とブルーベリーを1枚ずつ。甘酸っぱい香りが空腹を誘った。

ミミが菓子を選ぶ間、ナンシーは紅茶を注いでいた。主人自ら、だが彼女は自身の「手」を利用したのではない。タオルを拾い上げた時と同様、彼女は白く細い杖を使って、ポットとカップを自在に操っていた。まるで重さなど存在しないように宙をフワフワと舞う食器類を、ミミは興味深く見つめる。


ナンシー・ヌーン──奥様は、「魔女」だ。この国では数少ない、正真正銘の本物の「魔女」である。


彼女の出身国・アルストロメリアはユーストマから西にはるか海を越えた大陸に位置する新興国である。自由を謳うかの国では、ユーストマのような身分制度は存在しない。しかし、生まれながらにして決まる身分の差よりも、はるかに平等で残酷な格差が存在している──貧富の差だ。ナンシーの実家・ミラー一族は大規模な綿花栽培による綿織物の製造で巨万の富を得た商人の家系である。その財産の大きさはユーストマ貴族複数家をまとめても足らないそうだ。

ナンシーは巨額の財産を持つ他に、もう一つ特筆すべき点があった。それは彼女が「魔女」であること。

ユーストマを含めた諸国が魔力の実用化をほとんど諦めかけているにも関わらず、アルストロメリアでは魔法研究が非常に盛んに行われている。一般化にも成功し、幼い子どもですら魔法を簡単に操れるとも聞く。子どもの話は嘘だとミミは思っていたが、気軽に魔法を使うナンシーを見ているとあながち間違いでもないのかもしれない。彼女はあまりにあっさりと魔法を使う。

もちろん、盛んでないというだけで、ユーストマにも魔法は存在している。主に使用される分野は医療と芸術。ルーナのかかりつけの医師も、一応は「魔法使い」だったはずだ。


「単刀直入に話すと、ルーナちゃんのことなの」

ナンシーの言葉にミミがはっと気付けば、いつの間にか紅茶の注がれたティーカップが手元にあった。お得意の浮遊魔法でミミの手のひらまで持ってきてくれたのだろうか。

「あの子ね、春に一度倒れてから、妙に活動的になったでしょう。お勉強に励むのはとても良いことだと思うけれど……庭師の子とも何だかしょっちゅうコソコソ話しているみたいだし」

「はあ……」

ミミは曖昧な返事しかできなかった。ルーナが「活動的になった」とはナンシー以外の他の人間──同僚の使用人たちからも聞いているが、ミミがこの家にやって来たのは彼女が倒れた後のことだ。過去と現在の違いがいまいちよくわからない。確かにロザリーに聞いていたほど、気弱で大人しくはないなと思ってはいたが。

「そうですね、まあ、少食だとは聞いていましたが、少なめによそっているとおかわりを希望されますし、三食しっかり食べられますね。お庭の散歩も毎日一時間以上続けていますよ。後は、勉強のお時間以外はベッドで過ごすことが多いというお話でしたけど、私がお部屋を覗くとベッドや椅子で何か、その、……踊ってらっしゃいますね、よく」

「踊る?」

「筋トレ……筋力トレーニングだとか。あとは、『らじおたいそう』ともおっしゃっていました」

「何だか聞き慣れない言葉ね」

ナンシーははあ、と深くため息を吐いた。「貴族令嬢に筋力が必要なのかしら」と彼女は額に手を当てる。その仕種は真に迫っていて、ミミは、ナンシーが本気でルーナを心配していることに気がついた。夫の姉妹・小姑といえば、嫁とは上手くいかないという話の方が多いが、ナンシーとルーナは実姉妹のように仲が良い。それはきっと、サイラスが良き夫かつ良き兄でもあるということだろう。伯爵夫妻には子どもこそまだいないものの、二人の仲は非常に睦まじかった。

「体のことはいいのよ。無理をしすぎて今回みたいに熱を出すようなことが少なくなれば、健康に越したことはないし」

「そうですね」

「私が心配しているのは、庭師の子と親しくしている方なの。乳母の子で、幼なじみではあるけれど、異性でしょう?」

ナンシーは話を本筋に戻す。

……失敗しちゃった。

ミミは、密かにテディ(心の中ではそばかす少年、とこっそりと呼んでいる)から話を逸らすことができなかった。ナンシーはミミを非難するつもりなのかもしれない。何せ、エイミーから侍女を引き継いだ際に、そばかす少年が侵入することもそのまま許し続けたのは、他ならぬミミなのだ。

そして、その理由は単純に──ルーナとそばかす少年の会話が、非常に「おもしろい」と感じたからだった。

とはいえミミにも分別がある。年頃の男女である彼らを二人きりにはしたことはない。二人にあまり意識されず、かつすぐ近くで常に控えている。

「ルーナちゃんには婚約者もいることだし、噂になるようなことはして欲しくないの。それに、万が一、その……もし『間違い』が起きたら、」

「大丈夫ですよ。ルーナ様はそばかす、いえ、彼のことを完全にただの友人だと思っていらっしゃいますし」

「ええ、ルーナちゃんは、ね。でも彼はどうかしら」

あーあ、そばかす少年、気付かれてるわよ。ミミは内心舌打ちをした。

そばかす少年がルーナに恋心を募らせていることは、ミミも当然気がついていた。むしろ、あまりに明白すぎて、彼の恋を知らないのは当のルーナ本人だけではないかと思うくらいだ。奥様方は直接そばかす少年と顔を合わせることはないからわからないはず、と勝手に思い込んでいたのだが、彼女を侮っていたかもしれない。

「力で抑え込まれてはどうしようもないでしょう? か弱いルーナちゃんでは余計に」

「あの少年なら大丈夫だとは思いますが……」

ミミは言葉を濁す。ただ、そばかす少年を無害だと確信しているのは事実だ。ミミが観察した限り、彼の恋心はあまりに純真すぎて、手に入らないルーナを力ずくで「モノ」にしてやろうなどという欲望が全く感じられない。あの感情は、信仰に近いものだ。崇拝ともいうべきか。

そばかす少年の恋心についてどう説明しようかとミミが思いあぐねている間、ナンシーは黙ってティーカップに口をつけていた。やがて彼女は紅茶を飲み干すと、ミミの目をまっすぐ見つめて、再び口を開いた。

「ルーナちゃんがこの先どんな道を進んでいくにせよ、あの子はいつか必ず結婚して、社交界に出なければならないの。必ず、よ。あんな場所で上手くやっていくには、醜聞の一つもない方が絶対に良いわ」

おっとりした伯爵夫人にしてはひどく珍しい、力強くはっきりとした言い方で、ミミは思わず身震いをした。彼女の視線は厳しく、いつものやわらかい雰囲気が消えている。


「……奥様は、社交界でご苦労なさってきたのですね?」

失礼だとは思ったが、聞かずにはいられなかった。ナンシーは何も答えず、いつもの微笑みを浮かべている。


アルストロメリアは肥沃な土地を広大に持つおかげか、ミラー家のような規格外の大富豪が多々存在している。富を手に入れた彼らが次に欲するもの、それは確固たる地位だ。新興国生まれの彼らには歴史がない。古い国々に存在する由緒正しい貴族の家系は、喉から手が出るほど手に入れたいものだろう。

だから、彼らは自らの子どもたちに巨額の持参金を持たせ、各国の貴族と結婚させる。しかしながら、その婚姻は社交界では褒められるものではない。

「財産欲しさに卑しい新興国の人間と結婚した」などと蔑まれるのだ。

モルセラ伯爵家も例外ではない。いや、モルセラ伯爵のような古くからの貴族だからこそ、成金の娘との結婚は、より非難の対象になったに違いない。ましてや、ナンシーはこの国ではほとんど存在しない「魔女」でもあるのだ。彼女は結婚の直前まで、アルストロメリアの魔法学校に通っていたと聞いている。

……遠い異国から一人嫁いできたナンシーは、怪しげな魔術を使う恐ろしい娘だと、誹りを受け続けてきたのではないか。

ミミはようやく、この女性雑誌から出てきたような素敵な部屋も、誰にも文句のつけられない豪華なティーセットも、全て彼女が社交界で立派な伯爵夫人として認められるために整えたものだということに気がついた。貴族でない女性が、貴族らしい趣味を身に着けるための努力は凄まじいものだったはずだ。

思えば、以前の主人・ロザリー様は生粋の貴族だった──風変わりながらも、社交界での面倒くさい交流を軽々とやってのけていた。でも、このナンシー様は違う。彼女は努力して血筋に基づかない「貴族らしさ」を得たのだ。ミミはナンシーへの尊敬の念を抱き始めていた。


「……私には夫がいてくれたからまだ何とかなったけれども、ルーナちゃんの夫になる人が、サイラスと同じだとは限らないでしょう。最悪、あの子は一人で歩いてなければならないわ」

ナンシーは容赦がなく、とても普段の穏やかな彼女から出る言葉とは想像もできない。強かな商人の血を受け継いだ、「魔女」である彼女は夫が選んだルーナの婚約者ですら信用していない。

「それで……奥様は、私に何を頼まれるおつもりですか?」

ミミは尋ねた。ナンシーが、一介の使用人に最高級の「おもてなし」を施したということは、きっとそれなりの見返りを要求してくるはずだ。

「貴女はこれからルーナちゃんの一番側にいることになるでしょう? ルーナちゃんが今後何か行動したり、誰かに何かを唆されたりしたとき、それが未来のあの子、社交界に出なければならないあの子に不利益なことであれば、それを阻止して欲しいの。もちろん、ただでとは言わないわ。お給料は弾むし、貴女の報告で未然に防ぐことができれば、追加で報酬も出します」


ああ……なんて……「おもしろい」んでしょう! これこそ、貴族の家で働こうと考えたとき、思い浮かべていたような出来事だわ。


ミミが感情がそのまま表情に出るタイプだったなら、彼女の目は今キラキラと輝いていたはずだ。

ロザリーが生粋の貴族なら、ナンシーは生粋の「お金持ち」であった。彼女は金で下々の人間を思いのままに動かすことを全く厭わない。罪悪感など持たない、それが当然だと思っているのだ。彼女にはそれができる財産と権利がある。

これこそ「魔女の誘惑」だ、とミミの胸は高鳴った。

「魅力的なお話ですわ、奥様。でも……お断りさせて頂きます」

しかし、ミミの口から出たのは、辞退の言葉だった。

「どうして?」

ナンシーは笑顔のまま、眉一つ動かさない。さすがだわ、とミミはますます彼女を好きになった。

「奥様とルーナ様はまた別の人間だからです。奥様がお辛いと感じたことが、そのままルーナ様も同じように感じるとは限りません。ルーナ様は確かに体は弱いですが、意外と打たれ強い部分がおありだと、私は思います。私はただの侍女ですが、この8か月、ルーナ様を最も側で見てきたつもりです、奥様もご存知のとおり。それに、あの方は……ロザリー様の妹であり、旦那様の妹でもいらっしゃるのですよ。道端の小石を取り除かなければならないくらい、か弱い貴族令嬢だとは到底思えません」

ミミの言葉に、ナンシーは一瞬だけ動揺の表情を浮かべた。まだ若い伯爵夫人は、すぐ顔を整え再び微笑む。

「そう……そうね。確かに、あの子はこの家の末娘ですものね」

彼女の言葉はどことなく寂しそうに聞こえた。


「それに、奥様もいらっしゃいますし」

「え?」

「ルーナ様は、奥様の義妹でもあるんですよ。外国からお一人で嫁いで来られた、『魔女』でもある奥様の。確かに、ルーナ様とは血が繋がっていないでしょうが、確実にルーナ様には奥様に影響を受けた部分があるはずです」

ナンシーは目を丸くし、それから、再び満面の笑みを見せた。それが彼女が初めて見せる心からの笑顔であることに、ミミは気がついた。

「……そうね、そうだわ。私の誘いは忘れてちょうだい。貴女に、とても失礼なことをしてしまったわね」

「いいえ、お気になさらず」

ミミはつられて微笑んだ。ナンシーはぎょっとしたような表情を浮かべる。

全く、ご姉妹でよく似ていらっしゃること。他人の笑顔で驚くなんて、失礼しちゃうわ。

ミミは、冷たく見える自分の笑顔が人に凄みを感じさせることを、まだ知らなかった。


ナンシーの部屋を下がる時、ミミは言った。

「奥様のお話、とってもおもしろかったですわ。もし、今後もお話し相手が必要になりましたら、ぜひお呼びください」

「ふふ、考えておくわぁ」

すっかりいつもの調子を取り戻した女主人にお辞儀をして、目の前のドアがパタンと閉まるとき、ミミはまたこの部屋を訪れることがあるかもしれない、という予感を覚えた。ナンシーの侍女はその道大ベテランの壮年の女性で、身分を重んじ必要以上に彼女に話しかけることはない。サイラスを除けば、きっとこの屋敷で最もナンシーの年齢に近いのは、ミミのはずだ。ミミは、もしかしたら使用人という立場を超えて、ナンシーの「友人」になれるのかもしれない。

「ロザリー様、『あの家には私のような人が必要』とは、こういうことでしょうか?」

ミミは一人、ひっそりと呟く。長い廊下には人気はなく、窓の外では木枯らしが吹いていた。



その後、ミミは屋敷を出て街に向かった。ポケットには病床のルーナから託されたメモがある。この広告を街に貼りだして欲しいの、彼女はそうミミに頼み込んだ。メモの文章は彼女が普段部屋で踊っているダンスと同じくらい奇怪なものだったが、ミミは理由も尋ねることもなく、ただ了承した。

一目見た瞬間、これはおもしろいことになりそう、と感じたのだ。

ミミの心は弾み、足早に街への道を駆けていく。夕飯の時間までには戻らないと、上司に叱られてしまう。


──奥様には悪いけれど、私は「おもしろい」方の肩を持ちますわ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ