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2話:テディ、提案する

ユーストマ王国の南東に位置する地方都市・モルセラはかつてヌーン一族の領地だった。封建制度が崩壊した現在でも、一家は広大な土地を所有している。

ヌーン家は王国内でもたいそう古い歴史を持つ貴族であり、由緒正しい彼らの屋敷で働けることは、このモルセラ出身の民としてとてもとても名誉のあること……などと、テディ・ウッドは幼い頃から耳にタコができるほど聞かされてきた。

テディはヌーン家の屋敷に勤める庭師の三男坊である。先先代のモルセラ伯爵に「拾って頂いた」という祖父は、仕事を息子へ譲った後の隠居生活で、とかく孫たちにヌーン家の庭を作る栄誉について教えることに勤しんだ。幸か不幸か、祖父の考え方はテディの長兄にもきちんと受け継がれ、他家の庭師の下での修行が終われば、彼が父を継いで三代目の「庭師のウッド」になることだろう。

テディの母が現・モルセラ伯爵が妹、麗しのルーナお嬢さまの乳母に選ばれたのも、祖父の厚すぎる忠義のおかげだ。

テディが畏れ多くもルーナの幼なじみとして共に育ったのも、そして今現在、屋敷の中庭の木を登り、こっそりルーナの寝室に忍びこもうとしていることも、全ては偉大なるお祖父さまのおかげなのだった。



「お嬢さま、ルーナお嬢さま!」

テディはなるべく小さな声で、窓の内側へ呼びかける。ルーナがベッドの上に座っているのは見えたが、彼女がこちらに気がつく様子はない。テディはそっと手を伸ばし、指先でコンコンと窓ガラスを叩く。先の細い枝から落ちないよう、勢い余ってガラスを割ることのないよう、慎重に。ルーナの寝室前に植えられた木はまだ若く、成長期のテディの体重を支えるにはそろそろ心許なくなってきた。

お嬢さまに会うにも、別の方法を考えなきゃなァ。

テディは頭を掻く。

「テディ!」

何度かノックを繰り返していると、とうとう音に気づいたルーナが窓を開けてくれた。テディは軽い身のこなしで、枝から寝室へ滑りこむ。

「来てくれて嬉しいわ。ありがとう」

「思ってたより元気そうで安心しましたよ」

三日前、ルーナが高熱に倒れたことはテディの耳にも入っていた。一時は意識を失い、いよいよ危ないかもしれないと噂されていたことも。それが奇跡的に回復したと聞いたとき、テディは心の底から安堵した。家族一同必死でお祈りをした甲斐があったというものだ。祖父に至っては、無茶な願掛け──高齢にも関わらず冷水を頭から被るとか──に挑もうとするので、テディは止めるのにひどく苦労した。

ネグリジェから覗くルーナの首や腕は相変わらず簡単に折れそうなほど細いままだったが、顔色はいつもより少しはましになっているようだった。ベッドの脇にあるワゴンの上の食事も、ほとんどの皿が空になっている。普段の少食ぶりを思えば、良い傾向だ。

「ええ、まあ……そうね。熱は、下がったわ」

しかし、ルーナの表情は憂いを帯びている。声色も明るいままだったが、どこか悲しそうにも聞こえる。

「何か気になることが? もしまだ気分が悪いようなら……」

「違うの。何でもない」

ルーナはベッドの端に腰掛ける。自らの体の弱さを気に病んでいる彼女が、体調を崩した後暗くなるのはいつものことだが、今回の落ち込み具合はやや異ななっているように感じられる。テディの幼なじみとしての勘がそう告げていた。

「言ってみてくださいよ。言うと気が楽ンなるってこと、あるでしょ? オレじゃ何の解決もできないかもしれないけど、聞くだけならいくらでもできますから」

テディが食い下がると、ルーナはため息を吐き、ためらいがちに微笑む。

「そう……そうね。滑稽な話に聞こえるかもしれないけれど、聞いてくれる?」

テディも彼女の隣に腰を下ろし、深く頷く。どんなに些細であったとしても、テディはこの少女の力になりたいのだ。



熱を出してる間ずっと、長い夢を見ていたの。夢の中で私は今よりもっと年上のお姉さんで、普通に健康でね。住んでるところも都会で、なんていうこかな、ここから見ると未来都市? みたいな街だったのね。

夢の私は働いていたんだけど……あ、そう、貴族じゃなかったの。そこそこ忙しい毎日を過ごしながら、趣味でアイドルのファンもやってて。


アイドルって……そうね、単純に言えば歌手かな。歌うのはもちろん、ダンスもできて、だいたい美男美女でキラキラしてるの。

私はUNIVERSEっていう男性アイドルグループをデビューからずっと推しててね。すっっっっごく、かわいくてかっこよくて魅力的なんだよ。歌もダンスも最初は全然だったけど見るたびどんどん上達していって、センターの我妻アキラくんなんかすごいカリスマがあってさぁ、あ、ごめん、脱線した。

それでね、ユニバ──あ、UNIVERSEの略称ね──はデビュー3年になるとこで武道館ライブが決まったの! すごくない? 全然無名だった頃からたったの3年だよ? 事務所も全然大きいところじゃないからテレビにもそんなに出てないのに……。

あっ、えーと、武道館っていうのは、えーと……有名なコンサート会場? たくさんのアイドルがそこでライブをすることを目標にしてて……もちろんユニバも武道館ライブは目標の一つだったの。ファンとの約束って昔アキラくんが言ってた。

ライブが決まって、私はもう飛び上がるくらいに、すごくすごく嬉しかった。チケットも即申し込んだし、武道館までのカウントダウン・カレンダーも作っちゃってさ、毎日毎日、どの曲やるのかな、どんな衣装着るのかな、武道館で皆はどんな景色を見せてくれるんだろう、ってすっごいワクワクドキドキしてたの。


でもね、ある朝、仕事に行く途中で、私は事故に巻き込まれて死んじゃうんだ。そこで夢が覚めたの。


あれだけ楽しみで仕方なかった武道館ライブを私は見られなかった。

死んじゃったのは仕方がないけど、やっぱり、どうしても見たかったんだよ。武道館でたっくんがバク宙決めるのも、ハルさんが投げキッス飛ばすのも、しょー様のウインクも、ケンちゃんが絶対歌詞飛ばしちゃうのも、……アキラくんが広いステージの中心に立つとこも、全部見たかった。

でも、見られなかったんだよ。どうしても。そしてもう永遠に、見られることはないの。



ルーナは項垂れ、深く長いため息を吐いた。テディはパチパチと瞬きを繰り返す。

正直なところ、彼は今聞いたばかりのルーナの話の半分も理解できていなかった。

「オス」ってなんだ(「押す」か)? アイドル? ライブ? ブドウカン?? 

ルーナの「夢」の話には彼女の大人しい性格からは考えられないほど熱がこもっており、さすがのテディでも「それって、夢の中の話でしょ?」とは口が裂けても言えそうになかった。彼女は本気で──夢の中の、見に行くはずだった「武道館ライブ」を惜しいと思っているのだ。心の底から、強く。

テディには十分に理解した。何せルーナのことは生まれてからずっと知っている。

落ち込む彼女があまりに不憫で、テディはどうにかしてやりたかった。右手でそっと彼女の肩を抱こうともしたが、思いとどまり、代わりに彼はふっと思いついたことを口にする。

「そんなに見たかったンなら、いっそ自分で作ってみる、ってどうです?」

「えっ?」

ルーナは目を丸くした。

「オレにはわかんないけど、その、『アイドル』の『武道館ライブ』ってやつを、お嬢さま自身が作ってみたらいいんじゃないスかね」

ルーナは皿のように目を開いたまま、まじまじとテディを見つめた。彼女の瞳は今、自分だけを映している。テディは頬に血が上るのを感じながら、畳み掛けるように続けた。

「覚えてますか? 一昨年の冬、お嬢さまが楽しみにしてた芝居を、今と同じように熱出して見られなかったこと。その時お嬢さまの代わりに見に行ったオレが、ここで芝居を真似してみせたじゃないですか。そんな感じの。お嬢さまがどうしても見たかった『ライブ』とやらを、別のかたちで作って見てみる」

二年前、幼いテディの一人芝居は笑えるほどに拙かった(実際兄二人には馬鹿にされた)。それでもルーナを喜ばせたくて、テディは懸命に舞台での俳優の動きを真似てみたのだ。そしてその時、彼女は笑顔を見せてくれた。よく覚えている。ルーナとの思い出は数え切れないほどあるけれど、一つ一つがどれも忘れ難く、愛おしい。昔ほど一緒に居られなくなったここ数年間の出来事は、なおさら。

「私が、武道館ライブを、作る……?」

テディはルーナを見つめ返し、こくりと頷く。

暗く翳っていたルーナの瞳の奥に、小さな明かりが灯ったのにテディは気がついた。彼は密かに、ぐっと拳を握る。

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