第一レース「ローリングスターート」
──風の先が見たいんだ。
お父さんが見た景色、その続きを。
私、最上和羽は現状に絶望していた。
中学一年も終盤の12月、私は亡くなった父親の実家である山形県の狩川へ引っ越すことになった。
母との二人だけを乗せて走る電車の景色は緑一色で、人々の賑わう東京から野生生物賑わう娯楽のない田舎への引っ越しはかなり心にクる。
「はぁ……」
なんで死んじゃったのよ……と、母に悟られないよう溜息の続きすら小さく漏れた。
いつも優しかったお父さんは、私に何も残してはくれなかった。
「どうしたの、溜息なんて吐いて。これから新生活だっていうのに」
「新生活ぅ!? 新って、何もない田舎の旧石器生活だよぅ〜? 友達も居ないし……」
「そんな事言わないの。こっちで作ればいいでしょ。ほら降りるよ」
私達の狩川駅到着を迎えたのは、実家で一人暮らしだったおばあちゃん。
「荻婆ァ!」
自転車から車まで修理しちゃうオイル塗れの笑顔で、今日も気さくだ。車は借りてきたのだろう。隣の家に停まっていたのを見た記憶がある。
続いてお世話になりますと母が告げ、発生する二人の軽い受け答えには目もくれずに、私は車へと荷物をそそくさと運び込んだ。
「よぐ来だねぇ」の方言定型文からの形式張った会話が続く中、後部座席から窓の外をぼんやりと眺めていると、“デストロイヤー”とペイントされたゴーカートが駆け抜けていった。
「うそでしょ?」
前を見ればお母さんも荻婆ァも楽しげに会話を弾ませて気に留めている様子もない。
きっと見間違いだったのだろう、理解できない事は考えない主義の私である。一先ずこの問題を放置し、空腹に悩むことにした──。
実家に到着しおばあちゃんの作ったご飯を食べた私は早々に
「やること無くなった!」
大好きなレースゲームで全国の猛者を追い抜きたいものの、当然ネットは開通しておらず、パソコンは無用の置物、ゲームも一人プレイは飽きている。勿論ゲームセンターもあるわけない。
何か……何かないのか。時計を見れば二時、まだ二時なのだ。退屈に殺されてしまう前に縋るような想いで私は外へ飛び出した。
「行ってきます!」
「どこ行くのー?」
「どこかー! その辺見てくるー!」
これから住む土地なのだ。把握しておきたい事は山ほどある。
見上げた空は──ただ広かった。
家と家の間隔が広く、遠くに山が幾つも立ち並び、風車まで立ち並んでいる。
「さっむ……」
適当に真っ直ぐ進みながらスマホを開き、現在地周辺からめぼしい“何か”を名産覧から検索する。
「なの花温泉田田……庄内豚豚丼……」
道の駅と謂うより未知の駅だし、同じ言葉を重ねた並びの多さに不思議な感覚を覚える。
「ベリーベリーソフト、これだわ!」
意気揚々と距離検索するも、縮尺がおかしい。
「何キロ歩かせるのよぅ……無理無理蝸牛過ぎるでしょ……帰ろ……」
肩を落とし、乾いた笑いを絶望の淵で浮かべながら橋の上から小川を眺めていると──肩を捕まれた。
変質者か!?
そう思い冷や汗を浮かべ振り向くと、同い年程のゴスロリ少女が立っていた。
「自殺は……やめよう」
私はそこそこ民家の並ぶこの小川を自殺箇所に選ぶほど酔狂ではないし、見た所飛び降りた所で度胸試し程度が関の山の高さと深さである。
多分良い人なのだと思うが、田舎でゴスロリが自殺防止運動をしている事実に解析が追い付かず、私はフリーズした。その事実は変質的ではあるけれど、端麗な容姿に似合っていて可愛い。そして何故か方言じゃない。
「あっ……あの、違うんです。私、引っ越してきたばっかりで、何かないかなーって、面白いもの! ははは……私、最上和羽って言います!」
情報量に敗北した私は──飛び降りて死にたくなった。
「そう……それなら、風」
挙動がおかしくなってしまったが、目の前のゴスロリ美少女はデフォルトで相当らしく、救われた気がした。
「風?」
回転する風車を見上げる彼女は、何か別の物を見ているように思える。
「貴女は風を、感じたことありますか?」
「ないけど……」
そう答えると何がおかしかったのか、クスリと笑われた。
ムッとする人だ。続けざまに──
「つまらない目をしているわね」
等と言う。
「つまらないから訊いてるのよ!」
これだからおかしな不思議ッ娘は苦手なのだ。かなり可愛いからと、バカにして来る……ッ!
直後、ゴスロリが後ろに鋭い眼光を向けると、黒塗りの高級車から「お嬢様〜! また勝手に出歩いて! 帰りますよ! 華道のお時間です! それからピアノとお習字もですよ! それからそれから」と甲高い声を撒き散らし、こちらへ向かってくる。
それを見て私は全てを察した。逃亡者だと。
先程のふわっとした眼差しはどこへやら、ゴスロリ女はレースゲームをしている時の私と同じ眼をしており、脱兎の如く疾走した。
車の通れない小路を超稼働のゴスロリが縦横無尽に駆け抜け、後追う高級車が撒かれていく不思議な光景は、私の目に嫌が応にも焼き付いた。
一陣の黒い疾風は背中で語る。“誰も私に追いつけない”と。
「不思議な町……」
満足した私は帰路に着いた。
……筈なのだが、迷った。けれど、焦っても仕方がないし、住所はスマホに入っているので暫くフラつく事にした。
すると、エンジン音鳴り響く公園のような場所に辿り着いた。検索するとここは風車村と謂うらしく、カートのレースもしているらしいく、何台か停まっているのを見掛ける。
道路から緑色の一台が向かってきてはヘルメットを外した。
「萩婆ァ!?」
「和羽やねげ、どすたこだな所で」
「お婆ちゃんこそ……なに? なんで!?」
「車は維持費高ぇがら、カート足さ使ってるのさ。買い物帰りだ」
「んぅ?」
またもや私の思考はフリーズした。
緑色に塗装されたゴーカートで買い物に行っていたお婆ちゃんに遭遇した……という事だろう。
「何って、マスンの事がい? 都会じゃ余り見んよな。だが、こごいらのとしょりはみんな乗っとっず? それに……このマスンは、カズヤの昔乗っとった愛車での、車手放すて丁度いいげぇ、乗りどうなったのさ」
「お父さんの!?」
「そうじゃ。カズヤも風を感ずられるどしょっちゅう乗り回すておったわ。すぐそごがコースになっどる。乗ってみるがい?」
「うん!」
「ほんじゃ徐行で走ってぐげぇ、後ろがら着いでぎぃ」
「わかった!」
園内には長くうねうねとしたコースが設置されており、爆音鳴らしてマシン群が走り回っていた。登録を済ませ、マシンに乗り込み、走行位置に着き、アクセルとブレーキの位置を確認する。
……いける!
「これよりレースを開始します!」
けれど、この展開は予想していなかった。
「魂さ火、点いぢまったんだべ? 思いっきり走りぃ」等とトントン拍子で事が進み、試運転をする間もなく風車村サーキット場のスタートラインでマシンを温めている。
眼前には“デストロイヤー”とペイントされたマシン。先ずはあれから抜いていくことになる。
ゲームの中とはいえ、幾度も繰り返してきた光景が現実の物となっている高揚感。スタートダッシュに備えてペダルへ乗せた足が今か今かと武者震いを起こしている。
人生初のリアルレースであったが、誰にも負けない自信があった。
そして、誰にも負けたくないと謂うレースゲーム全国一位の誇りがあった。
旗が振られ、全車両がスタートが同時にスタートを切る。
私はアクセルを一杯に踏んだ。ゲームとはまるで違う、鳴り響くエンジン音。ハンドルから伝わる振動に胸の鼓動が共鳴する。
──楽しい。
好調のスタートダッシュで他車を抜く感覚がゲームの何十倍も脳汁が溢れる。
マシンの性能もさることながら、培った技術が生かし切れている感覚に、VRゲームの技術力の高さを逆説的に思い知らされる。
──気付けば最前のマシンと並走しては抜かれる連鎖の中にいた。最早三位以降は一意争いに参加すらしていない距離、たった二台レースと化していた。
ストレートで抜き掛けても、どうにも振り切れず、コーナーで距離を取られて抜ききれない。
「──ッ! どうすれば!」
集中力が切れてきたのか、外野からの声が嫌に耳へ届く。
「すっげーぞ! 誰だあの緑の! 音速のゴスロリと張り合ってんぞ!」
「なんだよそれ」
「私服がゴスロリの東北ナンバーワンレーサーだよ! お前しらねぇの!?」
……あぁ、名前は知らないけど、ハッキリ分かったわ。絶対アイツだ!
だったら、尚の事負けたくないッ!
だから、敢えてこのコーナーを捨てる。捨てて、私とアイツの差は何か見極めるッ!
コーナーにさしかかり、曲がる瞬間、彼女全体重は、重心はズラ大幅にインコース側にズレ、マシンが滑らかに曲がっている。
こんな簡単な事にどうして気付かなかった……ゲーム脳の弊害かッ!
だけど、体重を計算に入れた動き──それなら……インコースから食い破れるッ!
最後のコーナー、ピッタリ真後ろに着いた万全の距離からインコースの更に深く……抉る角度で、私の前輪が彼女の後輪を捉える……
「“今”だ!」
ハンドルを大きく右へ切り、車体がコンパスのように半回転して凄まじい風とGが身体を通り抜け──彼女と目が合った。
「“いい目になったわね”」
そう云われた気がした。一瞬だったけれど、永遠にも似た対話だった。
もう半回転し、大幅に失速した二台のマシン。後続が来るまでに立て直せる時間は折り込み済みで、ゴスロリの真ん前からリスタートの配置、全てが計算通り。敗北の要素は無かった。
アクセルを踏み、ゴールへと走り抜ける。
──結果、私は行為の反則と、魔改造婆エンジンのダブル反則で失格となり、スタート地点へと戻った所でヘルメットを脱ぎ、一位のゴスロリと再び目が合った。
「面白かった?」
反則とは謂え、順位上での自身の優勝を認めきれていない。悔しさを含んだ眼差しだった。
「うん。次は勝つよ」
だけど、負けたのは私なのだ。
「羽前六歌よ」
「うん。……六歌ちゃん。次は負けないから」
お父さんの残してくれたこのマシンで。